東郷青児美術館へ、ペルジーノを見に行って、偶然に、ひまわりに出会った
http://cojicoviaggio.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/pietro_perugino_766a.html
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2007年5月25日 (金)
知らなかったピエトロ・ペルジーノ② Pietro Perugino che non conoscevo
15世紀末から16世紀初頭にかけて、イタリアだけでなくヨーロッパのほかの国々へ次々と送られるほど人気があったというペルジーノの作品。この美術展だけではその全貌が分からなかったので、家にある美術館の図録を広げ、集めてみた。
同じ図柄を使い人気が無くなったと言われているけれど、立派な作品が多い。
特に驚いたのは、1480年から82年にかけて、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂で描いたフラスコ画だ。この礼拝堂はミケランジェロの「最後の審判」から見て、右側の壁はモーゼの生涯、左側はキリストの生涯が描かれている。
ここを訪れた人々は、ミケランジェロの絵だけでなく、そのほかの絵もすばらしいのには気がつくと思うが、なんとその両側の一番目の絵が、ペルジーノがピントリッキオ(シエナ大聖堂内ピッコローミニ図書館の壁絵を描いた人。シエナ(4)に記述)の協力を得て描かれたものなのだ。
上図は、その右側1番目、「エジプトへ旅するモーゼ」だ。なんと見事な空間構成図だろう。色も美しく、人々も優雅である。下の図は、左側1番目「キリストの洗礼」。人々を規律正しく配置し厳かな印象さえ受けすばらしいが、空に浮かんでいる(お得意の)天使などがいなければ、もっと上品なのになあ、と思ってしまう。
左側の5番目「聖ペトロへの鍵の授与」もペルジーノらしいシンメトリーな構造を持っていて、色鮮やかな服装の優雅な人たちで溢れている。
ウフィッツイ美術館には、1490年前半に描かれた美しい絵があった。「王座の聖母子と聖人達」と「ピエタ」、奥行きのある空間に、登場人物も静かに厳かに佇んでいる。ピエタにも激しい悲しみの様子は見られない。上品ですね。
ところが、この絵の中で注目したいのは、上を向いている人物表現。たまたま持っていた1989年5月号「芸術新潮」によると、当時「ヴァチカン美術館特別展」が国立西洋美術館で開催されていたらしく、その解説でペルジーノの次の作品が出ていたので紹介する。
「聖女フラヴィア」《ペルージアのサン・ピエトロ聖堂の主祭壇画の一部を構成していたもので、キリストの昇天を見上げるこの聖女のポーズをペルジーノは多用しており、「パターン・ブック」を使っていたと思われる。》
前回アップした絵と全くそっくりな格好の2人の天使、そして当時人気のあった天を見上げるポーズの聖人は、ちゃんといる。上の2つのウフィッツイの絵も同じだ。
右図は、リヨン美術館所蔵でペルージアのサン・ピエトロ聖堂のための祭壇画「キリストの昇天」だが、これが、ボルゴ・サン・セポルクロ大聖堂の同じ題名の絵とが、全く瓜二つ。とても誠意ある態度とは思えない。
高階氏も書いている。「彼の流行は一時的なものであり、しかもあまりに同じ形式の作品を乱用したため、ほどなく飽きられるようになってしまった。」
あまりにも多数の注文をこなそうとした為に、こうなってしまったのだろうか?彼はすばらしいとは言わないまでも、初期の作品を見ると、ある程度の技量を持ち合わせていたと分かる。目先の人気を追わず、自分の力を信じて新しく作り出していく能力に欠けていたのかも知れない。
色、対称性、天使、見上げる人物・・・ペルジーノの作品といってもいいくらいに彼の特徴を確実に自分のものとしていたのですね。う~ん・・・良さを残しつつこれから脱皮していったラファエロは立派です。
《前編》 知らなかったピエトロ・ペルジーノ①はこちら
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