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11/06/2009

オーストラリアの干ばつ

クイーンズランドで、干ばつ。カンガルーや、エミューが街中で飛び跳ねている・・・

腹減った~~~、喉が渇いた~~~ - カンガルー&エミュー


イルカの本はオーストラリアの研究日記でもある。


モンキー・マイアへ


私にはその言葉だけで充分だった。リチャードと私はケン・ノリス、バーンド・ワージック、ランディ・ウェルズに相談した。みな賛成してくれたが、モンキー・マイア行きの準備は自分たちでしなければならなかった。もっとも大きな問題は金だった。

 リチャードと私は学生ローンを申請した。しかし、手続に時間がかかって、学期末近くまで許可が降りなかった。その間はステレオや本や服などの手放せるものはすべて売って、ローンが降りるまでしのいだ。一九八二年の七月末までギリギリで暮らして金ができ、オーストラリア行きのチケットを二枚手に入れた。

 飛行機が西オーストラリアの首都パースに降りるまで、私たちは機中と通過待合室で三十時間以上も過ごした。まさしく、ひとつの人生のようだった。世界は次のような次元に凝縮された。ふたつの座席、トレー、小さな窓からの終わることのない空のながめ、前に座っている人の後頭部、座席の物入れから飛び出しているイヤフォン、忙しく動き回るスチュワーデス。私たちは瞬きほどしか寝られなかったし、カンタス航空の際限ない飲食サービスには飽き飽きした。空の旅は快適とはいいがたかった。

 私は手荷物を受け取って、母が書いてくれた紙切れを取り出した。その紙切れには、母の大学時代の旧友バート・メインとバーバラ・メインの電話番号が書いてあった。私たちは一時間後にはメイン家のリビングルームでくつろいでいた。メイン家はその後何年間もパースの中継基地となった。私たちは数日経ってから、パースの真北の道端に立った。荷物を山積みにして親指を立ててヒッチハイクをした。

 老朽化したステーションワゴンが停車したので、私たちは乗り込んだ。白いハイソックスと短パンをはいた赤ら顔の男が運転していたが、私たちは彼のオージーなまりの英語に戸惑いながらも、いっしょうけんめいに話した。男はアウトバック(オーストラリアの奥地)の中央出口付近にあるマーブル・バーの北に位置するオパール鉱山で働いているらしかった。空気が乾燥していて、とても暑かった。男はアボリジニとの出会いについて話し始めた。鉱山の入植地に入り込んだいきさつを話しながら、ダッシュボードの小物入れを開けて、22口径のピストルを取り出した。リチャードも私も本物のピストルを見たことがなかったが、まさか、車中でピストルと同居するとは思わなかった。

「俺たちは奴らを撃った」

と彼は宣告した。

 その夜はジェラルトンに宿泊して、海洋博物館へ行った。博物館には、船の残骸が多数展示されていた。それはブローホス諸島とジュチードープ・クリフで難破した船の残骸だった。この危険な海域はモンキー・マイアを囲む広いシャーク湾の真南にある。

 翌日になって道端に戻り、親指を立てて、ふたたびヒッチハイクをした。数台が通過した後で、ぼろぼろのホールデン製のステーションワゴンが止まった。ふたりの若者が運転席に座っていたが、後部座席はゴミの山で満杯になっていた。

「心配するな。すぐにゴミを片づけるよ、座れるよ」

とひとりが言った。

心もとなかったが、どうしてもモンキー・マイアへ行きたかったので、私たちはワゴンに乗った。私は古くて汚れたマットレスの山、ゴミ箱、車の屋根の隙間に押し込まれたが、そこには背もたれもなかった。私たちは時速百三十キロで、グレート・ノーザン・ハイウェイを北上した。前の座席に座っているリチャードとふたりの男は、缶ビールをつぎつぎに飲み干して、窓から空き缶を放り投げた。まるで、

「鉄の乙女」

が後方のスピーカーから、金切り声を上げているように感じた。

私はまぶたを閉じて、別世界へ行こうとした。その辛さは際限なく続くように思えたが、なんとかオーバーランダーへたどり着いた。

 カルナボン、ブルーム、ダンピヤー、ダーウィンへ至る道と、シャーク湾へ至る道の分岐点で車を降りた。オーバーランダーの停車場だけが、三百キロの道のりで、唯一の文明の痕跡と言えた。他には何もなかった。西オーストラリアの海岸方面へ向かうトラックや車は、オーバーランダーで燃料補給をして、乗車している人たちはトイレを使って食事もする。停車場はみすぼらしくて、従業員は暇をもてあましていた。空気はほこりっぽくて、水は悪臭がする。マネージャーが冗談めかして、

「ハエがオーバーランダーのマスコットです」

と平然と言う。

たしかに、オーバーランダーのハエは半端じゃなくて、咬みはしないが、人の目や鼻や口から体液を吸おうとねらっている。ハエは顔の周りにたかってきて、信じられないほどしつこい。追い払っても、さっと逃げて、二インチ(五センチ)くらい離れて、すぐに戻ってくる。ハエを追い払うには、顔をたたき続けるか、顔の周りの空気をかき回すしかなかった。まさに、

「オージーの歓待」

だった。

この歓待に慣れるか、気が変になるのに、時間はかからない。だが、私はオーバーランダーに好感を持ち続けている。シャーク湾へ行くための重要な停車地だし、乗り物から降りると、慣れ親しんだ匂いや音や景色が私を迎えてくれて、シャーク湾へ戻ったと実感できるからだ。興奮して、アドレナリンが血管を駆け巡り、私はモンキー・マイアへいそいそと向かう。

 ステーションワゴンの後部座席から降りて、停車場の赤土に降り立ったときには、生きていて良かったと心の底から思った。目的地に着くまで、何が起きるかの見当もつかなかった。

 パースを発って、緑の田舎道を走り抜けていると、黒インコの群れが鳴き声をあげている。ブドウ園や、馬の農場や、背の高いユーカリの林などもある。北へ向かうと、林は低木へと変化していく。低木は丈の低い薄緑色の茂みと、明るい赤土に囲まれている。カラスが鳴き騒いで、くさび形の尾をした大型のワシが、ウサギの死骸をつかんで道端へ舞い降りる。今ではカンガルーは少なくなったが、約十二メーターに一頭の割合で、ハイウェイに沿って並んでいる。カンガルーは危険なので、郊外を走る車は

「カンガルーよけ」

を装備している。

カンガルーよけは、車の前部が損傷するのを防ぐが、カンガルーとぶつかると、どこかしらが壊れる。

 オーバーランダーは、停車場と二車線の道路の他には何もなくて、茂みがところどころにあって、荒涼とした砂漠が周りに広がっているだけだった。私たちが停車場で冷たい飲み物を飲んで、渇きをいやし終わるころ、太陽が沈もうとしていた。雲が広い空に散らばっていて、雲の下で消え行く光がピンクからオレンジへと変わっていく。私たちは酒で酔っ払った道路工事の男の車に乗りこんだ。男はシャーク湾へ至る道の南方十キロ付近で寝泊りしていた。そのため、私たちはモンキー・マイアへ着く前に、オンボロ車から降ろされた。車が離れるにつれて、視界からテールランプが消えていった。私たちは自分たちが置かれた状況を考えた。何もない砂漠のど真ん中に置き去りにされて、食料も水もない事実に気づいて、急に怖くなった。他の車が見つからなければ、得体の知れないものが跳ねまわっている地面に寝るしかない。砂漠の夜の冷気が迫ってきたのに、私たちには寝袋もなかった。

 私たちは震えながら、頭上を通り過ぎる星を一晩じゅう眺めた。正体不明の奇妙な音がゴトン、ゴトンと聞こえた。後になって、それはカンガルーが立てた音だと分かった。小さくて奇妙な有袋類が這いまわりながら、私の背中で暖を取る夢を何度か見た。私は目が覚めても、夢か現かの区別ができなかった。

 夜が明けたとき、辺りの景色はあまりにも鮮やかで、現実離れして見えた。点在する野花の中で、ピンク色のインコの群れがエサをついばんでいた。華やかな薄ピンク色のオウムもいた。さまざまな大きさや形をしたアリが、私たちの体や、荷物の上や、周辺を這いまわっている。見慣れない鳥が茂みの中で跳ねまわっていて、鳴きながら、玉虫色の青と黄色の姿を見せびらかしている。片側には薄緑色の茂みがあり、反対側にはアカシアの茂みがあった。錆色のアカシアの花びらには、黄色の斑点がついている。輝く朝の陽光の中で、茂みの緑とアカシアの色が対比している。景色があまりにも美しくて不可思議だったので、私は地球以外の惑星で目が覚めた気がした。この日こそが、私がモンキー・マイアの光景を初めて目にした日だった。モンキー・マイアは小さなキャンプ地で、ペロン半島の北東部の海岸線に面している。ペロン半島は青緑色のレッド・クリフ湾の海に囲まれている。

 私たちが初めて訪れたころ、モンキー・マイアは設備もほとんどない、ぜいたくのかけらもない、ひなびた釣り場だった。五十ばかりのキャンプに、発電機が騒音を立てながら電気を供給していた。未舗装の広場には、RV車にガソリンを入れる「スタンド」があった。電気が通じていないバックパッカー向けの安キャンプもあった。広場の片側には、無線アンテナがついた小さな小屋があった。そこには、「公衆電話」が置いてあったが、その電話は繋がるとは限らなかった。トイレと塩水が出るシャワー付きのレンガ作りの小さな

「沐浴場」

もあった。

 デナムは半島の反対側にあって、モンキー・マイアから三十キロ離れている小さくて退屈な漁村だ。モンキー・マイアからもっとも近いが、町は寂れていた。店が二軒あって、一軒は郵便局を兼ねていた。週に二度だけ、デナム国際空港から郵便物を空輸している。空港には、未舗装の短い滑走路が一本と、トタン屋根の小屋が一軒あった。町には、居酒屋と、教会と、赤土を造成して作った小さなゴルフコースがあった。

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The Definition Of Art Harbour Blog



The Definition Of Art Harbour


Virtual International Trade Harbours Of Art


Opening Anniversary Date: December 1, 2006

Language: Multi Language


Each harbour can export the works toward the virtual world.

People and organization can import the works from all over the world.


Now,Item: Works on Art Activities that are expressed with Photos and Explanations etc.

Export Method: Each Harbour put the Works onto this blog

Import Method: People and Organizations accsess this blog

Order Method: People and Organizations put some comments about the Works onto this blog.


In the future, we will need transportation including trains,airplanes,ships, cars, buses etc.

in order to export and import people, goods etc. ?


Art Harbour


アート・ハーバーとは


アートのバーチャル国際貿易港


開港記念日:2006年12月1日

言語:マルチ言語


各港は、バーチャルな世界へ向けて、作品を輸出できる

人や組織などは、バーチャルな世界から、作品を輸入できる


現時点輸出品目: アートに関する活動などを「写真と文などで表現した作品」

輸出方法: 各港で作品をこのブログに書き込むことで、輸出したものとみなす

輸入方法: 人や組織が作品をこのブログで参照することで、輸入したものとみなす

注文方法: 感想などをコメントに入れることで、注文したものとみなす


将来、、、列車、飛行機、船、車、バスなどを利用して、リアルな人や物が輸出入できる?


アート・ハーバー

Multi Language

現時点では?


ブログは日本語ベース


Google Translatorで、各国語へ、変換




そして、現場で、リアルなコミュニケーションは?


英語ベースで、現地語がお愛想・・・


こんな感じかな?


Aoyagi YoSuKe

Art HarbOur


The Gaiaと各ハブは?


英語がベースで、Google Translatorで、各国語へ・・・

Copyright and Responsibility of AH Shimokitazawa blog



Copyright:


Each manager or each member of Each AH Local must independently handle Copyright.


Each may insist on Copyright or discard Copyright independently.


Copyright depends on each manager or each member.


Responsibility:


Each manager or each member of Each AH Local

must independently have the resposibility on the posted works.

Art Harbour Shimokitazawa


コピーライト:

各アート・ハーバーのマネージャーまたはメンバーは

各々でコピーライトの取り扱いをしなければならない。

コピーライトを主張するか破棄するかは各々に任される。


責任:


各アート・ハーバーのマネージャーまたはメンバーは

各々が投稿した作品に関して責任を持たなければならない。


アート・ハーバー 下北沢


Posting Rule - 掲載ルール




Introducing People, Works, Shops etc. related to Art Harbour as a spot ad.


As a general rule, the details such as map, price should be in the Official Sites related to the ad.

Each ad may contain the Official Sites' URL related to the ad.


Restriction: The Number of Photos is within 6(basically 3). about 640x480 pixel


Ad Size: Within about 2 standard printing papers.


Example: Spot ad. , Flyer, Live Report, Poem, Short Story, Illustraltion, Photo, Paintings etc.


Art Harbour Shimokitazawa



アート・ハーバーに関連した人、作品、店などをスポット広告として紹介する。


原則として、地図や価格などの詳細は広告に関連したオフィシャル・サイトに掲載する。


各広告には関連オフィシャル・サイトのURLを掲載しても良い。


制限:写真など6枚以内(基本は3枚) 1枚に付き640×480ピクセル程度


サイズ:標準プリント用紙(A4)約2枚以内


例:スポット広告、フライヤー、ライブの報告、詩、イラスト、絵など



アート・ハーバー 下北沢