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10/17/2010

ラスタとナイヤビンギ

本日は晴天なり、秋晴れ、めちゃ天気が良い


グウェン姐御から、思わぬ方向に展開して行った

僕はラスタマンじゃないので、マリファナは必要なし

カリフォルニアのように合法化されば(ターミネーターの政策が通れば)、吸っても良いが、どうでも良い・・・


今のところ、酒がバイオエタノール、肉や魚がオイル、タバコが排気ガス


医食同源

チベット医学はチベット医学の考え方がある

僕は特定のモノだけを信奉しない・・・ それぞれに、メリット、デメリットがある


チベット医学入門―ホリスティック医学の見地から (ヒーリング・ライブラリー) トム ダマー、久保 博嗣、 井村 宏次 (単行本 - 1991/8

ラスタと自由の女神が衝突する・・・ 要は折り合いである・・・

ラスタは旧約聖書に基づく部分もある・・・ 旧約聖書に基づいた自然信仰の土俗なのかな?

バリ・ヒンドゥも似ている、ヒンドゥに基づいた自然信仰の土俗である・・・



プロテスタントとカトリックと無神論者の衝突があるのだろう@USA

WASPは、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント

一方、ヒスパニックの多くは、カトリックだと思うが・・・


---Wiki


旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教およびキリスト教正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての「新約聖書」を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、ヘブライ語聖書と呼ばれる。その大部分はヘブライ語で記述され、一部にアラム語が用いられている。
上記3宗教の文化圏では近代の考古学によって古代文明の詳細が明らかになるまで、世界最古の文献と信じられてきた。



ユダのライオン
  ユダ族の征服獅子王、ハイレ・セラシエを象徴するライオン。また、ラスタ社会における男性優位の象徴ともされ、家、旗、礼拝所などいたるところに見られる。




ラスタファリズムでは同性愛を不自然な行為であるとし、異性愛を尊重している。同時に、同性愛者を強く迫害している。そのため人権団体や同性愛団体から差別的であると度々批判されている。[要出典]
根拠となる聖書の記述は以下のようなものがある。
  • レビ記18-22
女と寝るように男と寝る者は両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死刑に当たる。



10/13/2010


福岡事務所(仮) - BirdMan Inc.


グウェン・モード@Now

The Sweet Escapeを買った、一貫性が無くて、バライティに富んでいる、面白いアルバム




Wind It Up 3:10 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ 1
The Sweet Escape 4:06 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Orange County Girl 3:24 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Early Winter 4:45 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Now That You Got It 3:00 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
4 In the Morning 4:51 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Yummy 4:57 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Fluorescent 4:19 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Breakin' Up 3:46 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Don't Get It Twisted 3:37 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
U Started It 3:08 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Wonderful Life 3:59 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ
Wind It Up (Live) 3:25 Gwen Stefani The Sweet Escape ポップ


---Wiki

グウェン・ルネイ・ステファニーGwen Renée Stefani1969年10月3日 - )は、アメリカ合衆国女性歌手。スカパンクバンド、ノー・ダウトのボーカリストでもある。
Stefani とはイタリア系のファミリーネームであり、実際には「ステファーニ」と発音する([1])。 Stephanie(スファニー)という女性のファーストネームとは全くの別物である。日本での愛称は「グウェンちゃん」、または「グウェン姉さん」。


レゲエとマリファナ

インディアンとタバコ

坊主と線香

シャマニズムには葉っぱが付き物


ナイヤビンギ (Nyahbinghi) とは、ラスタファリアンの宗教的な集会、またはその集会で演奏される音楽のこと。


なるほど、ナイヤビンギはラスタマンチャント


Rastaman Chant 3:48 Bob Marley Burnin' [Japan Bonus Tracks] Reggae



神道の雅楽とラスタマンチャントは似ている、シャマニズムの音楽だ

ラスタマンのジャーと、神社のジャーの本質は同じ

ドラゴンシステムの地、土俗信仰である


天 > 人 > 地

気象族 > 生産族 > 司法族


ジャーがパンを与えてくれる - レジェンドより

まさしく、社稷である

ボブもグローバルから、ローカルまでを歌っている・・・


  • ラスタファリアンは、「イズム」(-ism) ではなく「暮らし方」(way of life) と考えるため、それを踏まえてラスタファリ運動 (Rastafari movement) と表現される。



神主は司法族になる

【社稷】しゃしょく

①[礼記(祭儀)]昔の中国で、建国のトキ、天子・諸侯が壇を設けて祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。

②[論語(先臣)]国家。朝廷。



日本は先進国、政教分離すべき



ボブとアイスリーズ






北京オリンピックの陸上100メーター ボルトと女子のワンツースリーフィニッシュ

こいつらは、ジャマイカの自然薯を喰っていると言っていた・・・



グウェンとノーダウト

この辺りも、ラスタの香りが漂う理由だろう



なるほど、だから、ボブもイズムを歌っているんだ、グローバル対応

ラスタファリアンであるラス・ブラウンが議員選挙に立候補し、政界に進出する。ここで初めて黒人知識層がラスタファリズムの「主義」の部分に注目するようになる。

1/31/2008
ボブ・ディランとジョーン・バエズがアメリカのセント・ローレンス大学?かどこかで行なったコンサートのようなものができたら最高だと思う。

音楽でなくても、芝居や踊りなどでもかまわない。ライブでできたら、いいよな。



こちらも、入れとかないと・・・John Coltrane 1963



これも、入れとかないと・・・ エチオピア皇帝ハイレセラシエ1968年、カリフォルニアでの演説に基づいて、ボブ・マーリィが歌った・・・ War



青柳洋介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボブ・ディラン(Bob Dylan, 1941524 - )は、アメリカの歌手・詩人・作曲家。本来の本名は、ロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)だったが、のちに本名もボブ・ディランに改名している。「ボブ・ディラン」の名前は、詩人のディラン・トーマスから取ったとも、また叔父の名前であるディロンから取ったとも述べている。

ミネソタ州ダルースに生まれる。祖父母はリトアニアやロシア、ウクライナからの移民である。父エイブラハム・ジマーマンと母ビアトリス・ストーン(愛称ビーティ)は、ダルースの小規模だが絆の固いユダヤ人社会の一員だった。

幼少時より家にあったピアノを独学で習得。ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、ディランもまたエルヴィス・プレスリーにあこがれた少年としてロックバンドを組み、音楽活動を始める。また、ハイスクールの卒業アルバムには「リトル・リチャードと共演すること」が夢だと記したりもしている。また、ランボー、ヴェルレーヌ、ブレイクといった象徴主義的な作風の詩人にも、表現技巧など創作上の影響を受ける。

1960
年代

ボブ・ディランとジョーン・バエズ、1963年当初はトラッド・フォークやブルースを中心に歌っており、自作曲は少なかった。やがて、プロテストソングやトピカル・ソングなどメッセージ色の強い曲を作るようになり、「風に吹かれて ("Blowin' In The Wind") 」、「時代は変わる ("The Times They Are A-Changin'") 」などの作品を発表した。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいて、ディランは「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになった。

・・・
・・・

(出典)

http://www.cec-web.co.jp/column/disc100/disc100_13.html

 ジョーン・バエズ。1941年、後にスタンフォードやMITで教鞭をとるメキシコ系物理学者の父とスコットランド出身の母の間にニューヨークで出生。従って、生まれながらにして彼女の血には、父方のラテン的情熱と母方からは質実な忍耐強さが混在していた。小さいころから肌の色などで屈折した思いを味わされたりはするが、信仰心豊かな両親のもと、考えることの好きなごく普通の女の子として成長。とくにその天性の透明な美しいソプラノは小さいころから大いに注目された。10代初めから歌とギターを習い、ボストン・カレッジ在学中には、コーヒー・ショップやクラブで歌うようになる。1959年、第1回ニューポート・フォーク・フェステイバルに飛び入り出演するや、熱狂的支持を受けて、一躍スターダムへと駆け上がり、翌60年、第2回フェステイバルに正式出演。このころには、早やフォーク歌手として全米で不動の地位を獲得していた。
 大学のキャンパス・コンサートや、反戦や難民救済コンサートには積極的に参加、プロテスト・ソング・シンガーとして、おしもおされぬ存在となり、62年のカーネギーホール・コンサートでは大成功をおさめる。このころ大ヒットした曲が、「朝日のあたる家」「ドンナ・ドンナ」「雨をよごしたのは誰」「勝利を我らに」などである。

・・・
・・・

---Wikipedia

ジョン・コルトレーン(John Coltrane1926923 - 1967717日)は、アメリカノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックス奏者。テナーサックスをメインとするが、活動の最初期はアルトサックス、1960年代よりソプラノサックス、最晩年にはフルートの演奏も残した。活動時期は、1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、さらにフリー・ジャズの時代と、それぞれの時代に大きな足跡「ジャイアントステップ」を残した。

チャーリー・パーカー(アルトサックス)亡き後、ソニー・ロリンズ(テナーサックス)と並ぶジャズ・サックスの重要人物。モダンジャズのテナーサックス演奏では、コルトレーンの影響下に無いものがいないという状況が長く続いた。

ピアニストのアリス・コルトレーンを妻に、サックス奏者のラヴィ・コルトレーンを次男に、サックス・クラリネット奏者のオラン・コルトレーンを三男に持つ。


[
編集] 略歴
13
歳でクラリネットを始める。後にアルト・サックスに転向し、1946年よりプロとして活動開始。

1949
年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その頃からテナー・サックスに転向。いくつかのバンドを転々とした後、1955年にマイルス・デイヴィスのグループに入った。この当時はマイルスからも下手だといわれるほどに評価が低かった。しかし次第に才能が開花し、2年後の1957年にはプレスティッジ・レコードと契約して、バンド・リーダーとしてもデビュー。同年にはセロニアス・モンクのリーダー・アルバムにも参加して、音楽的に影響を受ける。そして、独特の演奏スタイルを確立して、後のジャズ界に影響を与えた。なお、コルトレーンの演奏を形容する時にしばしば用いられる「シーツ・オブ・サウンド」という言葉は、音楽評論家のアイラ・ギトラーが、1958年に『ダウン・ビート』誌で使ったのが最初。文字通り、音を敷き詰めたような彼の演奏スタイルをよく表している。

1959
年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』に参加し、モード・ジャズという手法を世に示す。同年アトランティック・レコードに移籍し、1960年『ジャイアント・ステップス』発表。その後マイルスのバンドを脱退。

1961
年、インパルス!レコードに移籍。一時的にエリック・ドルフィー(バスクラリネット)を加えたクインテットで活動するが、その後は主にマッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルビン・ジョーンズ(ドラム)とのカルテットで幾多の名演を生んだ。1962年にはデューク・エリントンとも共演。晩年は、精神性を強めたフリー・ジャズに傾倒。196512月にマッコイ・タイナーがバンドを離れ、アリス・マクロード(1966年にジョンと結婚)が加入。19663月にはエルビン・ジョーンズも退団。

1966
7月に来日。9都市を回るという大がかりなツアーであった。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し「私は聖者になりたい」と答えたというエピソードがある。

1967
57日、ボルチモアで最後のコンサートを行う。1967717日、肝臓癌で亡くなる。

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(出典)

http://www.waseda.jp/sem-lateame/02work/jamaica.htm

ラスタファリ運動はジャマイカ特有のメシア運動であり、このメンバーは、エチオピアの皇帝ハイレセラシエが、白人による圧政下にあるこの世界で流浪の身とされたすべての黒人を救済する黒いメシアの現し身であると信じられている。これから、ジャマイカにおける宗教、ラスタファリ運動の歴史的背景、展開、ラスタ的信仰世界を考察することで、ラスタファリ運動に対する理解を深める。

・・・
・・・
シンボル

 ドレッドロックス  

  社会への挑発のシンボル。このシンボルはお互いに「ドレッド」と呼ぶラスタたちに一体感を持たせる役割を果たしている。

アイタル・フード

 自然な状態にあるものを食事として認める。ラスタファリアンは基本的に菜食主義で、身体に有害とされる豚肉はまず食べない。主食としては12インチにみたない小魚や、果物、あらゆる種類のジュースがあげられる。

ユダのライオン

  ユダ族の征服獅子王、ハイレ・セラシエを象徴するライオン。また、ラスタ社会における男性優位の象徴ともされ、家、旗、礼拝所などいたるところに見られる。

ラスタ言語

  ラスタファリアンの言語。動詞を用いず、主語と目的語の対立関係を避けるというのが特徴。「われわれ」=「I & I」と言うなど、社会で悩む他者を自己同一視する過程において、二項対立をのり越える魂の言語である。
12/16/2008
「義を見てせざるは勇無きなり」

[
論語(為政)]人の道として当然行なうべきことと知りながら、これを実行しないのは、勇気がないというものである。


世界は広いぞ~~~


若者よ、少しは、お勉学にもお励みになったら?


ボブ・マーリィは、単なるレゲーおじさんじゃないの! レゲーの神さまです・・・


ボブ・マーリィの歌った曲


War
Lyrics
 Bob Marley

What life has taught me
I would like to share with Those who want to learn...

Until the philosophy which hold one race
Superior and another inferior
Is finally and permanently discredited and abandoned
Everywhere is war, me say war

That until there are no longer first class
And second class citizens of any nation
Until the colour of a man's skin
Is of no more significance than the colour of his eyes
Me say war

That until the basic human rights are equally
Guaranteed to all, without regard to race
Dis a war

That until that day
The dream of lasting peace, world citizenship
Rule of international morality
Will remain in but a fleeting illusion
To be persued, but never attained
Now everywhere is war, war

And until the ignoble and unhappy regimes
that hold our brothers in Angola, in Mozambique,
South Africa sub-human bondage
Have been toppled, utterly destroyed
Well, everywhere is war, me say war

War in the east, war in the west
War up north, war down south
War, war, rumours of war

And until that day, the African continent
Will not know peace, we Africans will fight
We find it necessary and we know we shall win
As we are confident in the victory
Of good over evil, good over evil, good over evil
Good over evil, good over evil, good over evil


戦争
詩 ボブ・マーリィ
訳 青柳洋介
人生が僕に教えたことを
学びたい人と分ちあいたい

この哲学が
つまり、民族に優劣をつける哲学が
最終的に永遠に拒否され、捨て去られるまで
戦争は終わらない、と僕は言う

階級がなくなるまで
すべての国で市民が平等になるまで
肌の色が
目の色よりも重要でなくなるまで
戦争が起きる、と僕は言う

平等な基本的人権が
民族に関わらず、すべての人に保障されるまで
戦争だ

その日が訪れるまで、つまり
永遠の平和、世界市民
国際モラル規範の夢が
儚い幻想ではなく、われわれのものとなるまで
達成されなければ、説得を続ける
今は、世界各地で戦争が起こっている

恥ずべき不幸な体制が
アンゴラやモザンビークに課されている体制が
南アフリカの奴隷制が
転覆され、完全に破壊されるまで
そう、世界各地で戦争が起きる、と僕は言う

東でも西でも戦争
北でも南でも戦争
あちこちで、戦争、戦争、戦争、、、

その日が訪れるまで、アフリカ大陸は
平和にならない、アフリカ人は戦う
戦わねばならない。勝つことは分かっている
勝利を確信している
善は悪に勝つ、善は悪に勝つ、善は悪に勝つ
善は悪に勝つ、善は悪に勝つ、と確信している


Creator Aoyagi YoSuKe



---Wiki

ラスタファリズム (Rastafarianism) またはラスタファリ運動 (Rastafari movement) は、1930年代ジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動。



聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世ジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する。
主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義ドレッドロックスガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。
なお、ジャマイカの多数派宗教はキリスト教(プロテスタントバプティスト派)であって、ラスタファリズムを信仰するのは全国民の5~10%前後である。

  • 英語では Rastafarianism(ラスタファリアニズム)だが、日本ではラスタファリズムと呼ぶのが一般的である。
  • ラスタファリズムの実践者は「ラスタファリアン」だが、口語的には「ラスタマン」(女性なら「ラスタウーマン」)または「ラスタ」と呼ぶ。
  • ラスタファリアンは母音の /i/(イ)を強調する傾向があるため、「ラスタファーラ」(rasta-far-i) と発音される。そして頭にジャー (Jah) を付けて、「ジャー・ラスタファーライ」と言うのが一般的。
  • ラスタファリアンは、「イズム」(-ism) ではなく「暮らし方」(way of life) と考えるため、それを踏まえてラスタファリ運動 (Rastafari movement) と表現される。














マーカス・ガーベイの「予言」 [編集]


マーカス・ガーベイ
1910年代、ジャマイカ生まれのマーカス・ガーベイはアメリカ合衆国に渡り世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)を組織しパン・アフリカ主義を提唱した。当時、カリブの黒人社会に根強く残っていたエチオピアニズム(近代になっても植民地化されなかったエチオピアを黒人の魂の故郷とする考え方)を拡大解釈し、黒人に対してアフリカに帰ることを奨励した。ガーベイの主張はアメリカのみならず、カリブや南アメリカなどの多くの黒人の支持を得た。
カリスマ的な演説活動をするマーカス・ガーベイは、1927年に「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」という声明を発表する(この声明はラスタファリズムにおいては「預言」ととらえている)。これがラスタファリズム出現へとつながっていく。

ハイレ・セラシエ即位 [編集]


TIME誌1930年11月3日号の表紙を飾るハイレ・セラシエ1世
1930年11月、エチオピアの皇帝にハイレ・セラシエ1世が即位する。マーカス・ガーベイの信奉者にとっては、まさに預言どおりの奇跡が起こったのだ。この「神の啓示」をきっかけにして、ジャマイカの首都、キングストンでレナード・ハウエルを中心にガーベイ主義の布教がはじめられ、初期ラスタファリ運動が始まった。イギリスによる植民地支配と度重なる自然災害で、多くの黒人は疲弊していたこともあり、救いを求める下層階級の人々を中心に信者が増えた。1934年、運動に危機を感じた政府当局は弾圧を始める。この弾圧を逃れたラスタファリアンは山の奥地に逃げ込み、そこでコミューンを展開する。このコミューンでの共同生活によって、ラスタファリアン達はドレッドロックスや大麻による儀式などラスタファリズムの基本スタイルと信仰を確立した。
政府当局によるラスタファリアンの弾圧は断続的に続いたが、一方で、一般市民にも「ラスタファリズム」の存在が知られるようになる。1961年、ラスタファリアンであるラス・ブラウンが議員選挙に立候補し、政界に進出する。ここで初めて黒人知識層がラスタファリズムの「主義」の部分に注目するようになる。1962年、ジャマイカは英国から独立。しかし社会情勢は不安定のままで、ラスタファリアンのアフリカ回帰の渇望は募るばかりだった。

セラシエ来訪とレゲエ音楽 [編集]


演奏するボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
1966年、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪。ラスタファリアン達は熱狂的にセラシエを歓迎した。ここでセラシエは、「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」言う内容の私信を主なラスタ指導者に送った。これによって、「ザイオン(アフリカ)回帰よりバビロン(ジャマイカ)解放」という新しい考えが定着し、どこか世捨て人風で厭世的なラスタ達を、社会へ参加させるという思わぬ効果も現れた。
当時のジャマイカの音楽シーンに目を移すと、1960年代半ばまではジャズR&Bの影響を多大に受けたスカロックステディが流行していたが、セラシエ来訪を契機にラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエへと流行が変遷していった。ラスタのミュージシャンやシンガーが、さまざまなラスタのメッセージを音楽に乗せ、国民の多数に支持されるようになるのだ。特にボブ・マーリーは国際的な名声を得るに至り、ラスタファリアンからも支持が篤かったため、1975年にハイレ・セラシエ1世が死亡するという悲報を受けても、ラスタファリ運動のモチベーションは決して下がることはなかった。むしろ、"Jah Live"(ジャーは生きている)と歌っていたのだ。少なくとも、1981年にマーリーが死亡するまでは、ラスタファリ運動は活発であった。

ボブの死から今日まで [編集]

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています
ボブ・マーリーの死後ジャマイカにおけるラスタファリ運動は一時的に停滞するが、ラスタファリアンのレゲエ・シンガー、ガーネット・シルクの活躍と突然の死や、ブジュ・バントンケイプルトンといった人気レゲエ・ディージェイがラスタファリアンになったことなどにより、1993年頃から若年層を中心に再び活発化した。
ラスタファリアンによると、彼らはセラシエが復活し、再臨することを「信じている」のではなく、「知っている」集団なのだそうである。

ナイヤビンギ [編集]

ナイヤビンギ (Nyahbinghi) とは、ラスタファリアンの宗教的な集会、またはその集会で演奏される音楽のこと。ナヤビンギ、あるいは単にビンギとも言う。ナイヤビンギでは、円陣を組んでガンジャを吸う、太鼓を叩いて歌う(チャント/Chant)、話し合うなどする(リーズニング/Reasoning)。ラスタファリアン同士の交流の場。

ナイヤビンギ音楽 [編集]

音楽としてのナイヤビンギは、ケテ・ドラム(Kette Drum/Akette Drum/Kettle Drumなど綴りは一定しない)と呼ばれる複数の太鼓によるアンサンブルにチャントと呼ばれる賛美歌を乗せたものである。ケテドラムには低音部を担当するベース(Bass)、中音部を担当するフンデ(Funde)、高音部を担当するリピーター(Repeater)という3種類がある。

ナイヤビンギ音楽の主な作品 [編集]

ラスタ・カラー [編集]

ラスタ・カラーは、一般的にはエチオピアの国旗に倣った赤、緑、金色(黄色)の3色とされるが、本来は黒、赤、緑、金色(黄色)の4色であった。これはジャマイカ独立のために戦った黒人戦士の黒、戦いで流れた血の赤、ジャマイカの自然の緑、ジャマイカの国旗の金色(太陽の色)を表す。ファッションや日用品など、ラスタファリアン達のあらゆる生活の場にこの色の組み合わせが頻繁に用いられる。汎アフリカ色としても知られる。
一方で、ラスタファリ運動の指導者マーカス・ガーベイが組織したUNIAでは赤、黒、緑の3色をシンボルとしており、これをラスタ・カラーと呼ぶという説もある。

髪型 [編集]

ラスタファリアンの多くはドレッドロックス(ドレッドdread=恐ろしい、locks=房状の)という髪型をしている。これは、下記の旧約聖書の中の記述に則り、たとえ髪の毛であっても自らの身体に刃物を当てることを禁じた結果、頭髪が絡まって房状になったものである。しかし、ドレッドロックスではないラスタファリアンや、ドレッドロックスではあるがラスタファリアンではない者も存在する。
「頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたりしてはならない」
「その子の頭に剃刀をあててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」

ガンジャ(マリファナ) [編集]

自然回帰指向のラスタファリズムにとって、ガンジャは神聖なである。もともとは呪術的な色の濃いアフリカ土着的な宗教主流だったころから、ガンジャは薬草として扱われてきた。ラスタ出現以降は、ガンジャ(≒マリファナ)の吸引はバビロン社会への反抗の手段という意味にもとれる。ラスタ思想において、ガンジャは精神をより穏やかなものにする、とされている。
ガンジャはもともとはヒンディー語である。イギリスの植民地であったジャマイカに、ヒンドゥー教徒のインド人労働者が入植した際、大麻の種子が持ち込まれて普及した。これがジャマイカでもガンジャと呼ばれるようになった由来と言われている。
以下のような聖書の中の言葉を解釈することで、ラスタファリズムでは大麻の使用は正当な行為であるとしている。
神は言われた。「地は草を 芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
  • 創世記3章18節
お前に対して 土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。
肥えた牛を食べて憎み合うよりは 青菜の食事で愛し合うがよい。
家畜のためには牧草を茂らせ 地から糧を引き出そうと働く人間のために さまざまな草木を生えさせられる。
※ガンジャの正当化は思想上のものであり、ジャマイカでは吸引、所持、栽培、日本では法律上で所持、栽培を禁止している。

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ラスタファリアンはアイタルフード(Ital Food)と呼ばれる自然食を食べる。Italとは「自然な」「真の」という意味で使われる。基本的には菜食主義で、特に豚肉やエビなどの甲殻類、貝類などは旧約聖書にのっとって禁じられている。こうした菜食主義やラスタファリズムは少なからずインド系の移民の思想の影響を受けて誕生したとも言われている。
厳密に言えば自然から採れるものを摂取しなければならないという教義のために、塩などのミネラル分を加えることも禁止されている。ただし、小型の魚は食べてもいいとされているし、人によってはチキンやヤギ肉は食べる人もいる。禁酒も戒律のひとつである。かわりに野菜スープやハーブティ、果物のジュースを飲む。

言語 [編集]

ラスタファリを信仰する人々は実際には母国語(ジャマイカにおいては英語)を主に使用するが、それ以外にアムハラ語を学ぶ。これはハイレ・セラシエ1世が使っていた言葉であり、信者が自らをエチオピア人であることを認識するために学習する。また、アムハラ語以外の言語はすべて植民地の言語であると考えている。そのため、ポジティブな信念を反映させるためにいくつかのネガティブな言語を変えたりして話している。
例としては以下の通り。
  • "me"や"you"、"we"といった人称代名詞を"I and I"と言い換える。
  • 特にI(アイ)は重要な単語で、"Ras tafari"を"Rasta-far-I"(ラスタファーライ)、"Selassie"を"Selassi-I"(セラシアイ)と発音する。
  • "Ital"(アイタル)という言葉は、英語のVitalから派生した造語。"Irie"(アイリー)は、あいさつの時や肯定の時に使われる造語。
  • "understand" を "overstand"と言い換える。"under-"という部分を嫌ったため。
  • "dedication" は "livication"と言い換える。"dedi-"が"dead"(死)を連想させるため。
  • "oppression"(圧迫の意味)は、より権力者の力を強調するために"downpression"と言い換える。
  • "Zion"(ザイオン)は通常はシオンの意味だが、ラスタにとっては「天国」または「エチオピア」のことを意味する。
  • "Babylon"(バビロン)は、西洋の文明社会を意味する。

異性愛主義 [編集]

ラスタファリズムでは同性愛を不自然な行為であるとし、異性愛を尊重している。同時に、同性愛者を強く迫害している。そのため人権団体や同性愛団体から差別的であると度々批判されている。[要出典]
根拠となる聖書の記述は以下のようなものがある。
  • レビ記18-22
女と寝るように男と寝る者は両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死刑に当たる。

記念日 [編集]

  • 1月7日 エチオピアン・クリスマス
ハイレ・セラシエ1世の誕生日
  • 2月6日 ボブ・マーリー誕生日
  • 4月21日ごろ グラウンデーション
皇帝ジャマイカ訪問(1966年4月25日)を記念した日
  • 8月17日 マーカス・ガーベイ誕生日

主な指導者 [編集]

日本におけるラスタファリズム [編集]

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています
日本では単にサブカルチャーファッションと捉えられることが多いが、我が国の政治不信、勝ち組・負け組という言葉にも象徴されている社会階層の顕在化、長引く経済不況による若年層の就職困難などの要因により、抑圧を感じているティーンエイジャー〜20代を中心として、思想面での影響を受けはじめている者も多くなっている。

その他の国におけるラスタファリズム [編集]

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フランスでは各省庁が連携してのセクト(カルト)対策が行われているがそのフランスにおいてセクトであるとみなされている。ちなみにフランスのセクト選別は主に裁判記録や警察記録と無数の人権団体への被害報告などに基づいて行われた。

関連項目 [編集]

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The Definition Of Art Harbour Blog



The Definition Of Art Harbour


Virtual International Trade Harbours Of Art


Opening Anniversary Date: December 1, 2006

Language: Multi Language


Each harbour can export the works toward the virtual world.

People and organization can import the works from all over the world.


Now,Item: Works on Art Activities that are expressed with Photos and Explanations etc.

Export Method: Each Harbour put the Works onto this blog

Import Method: People and Organizations accsess this blog

Order Method: People and Organizations put some comments about the Works onto this blog.


In the future, we will need transportation including trains,airplanes,ships, cars, buses etc.

in order to export and import people, goods etc. ?


Art Harbour


アート・ハーバーとは


アートのバーチャル国際貿易港


開港記念日:2006年12月1日

言語:マルチ言語


各港は、バーチャルな世界へ向けて、作品を輸出できる

人や組織などは、バーチャルな世界から、作品を輸入できる


現時点輸出品目: アートに関する活動などを「写真と文などで表現した作品」

輸出方法: 各港で作品をこのブログに書き込むことで、輸出したものとみなす

輸入方法: 人や組織が作品をこのブログで参照することで、輸入したものとみなす

注文方法: 感想などをコメントに入れることで、注文したものとみなす


将来、、、列車、飛行機、船、車、バスなどを利用して、リアルな人や物が輸出入できる?


アート・ハーバー

Multi Language

現時点では?


ブログは日本語ベース


Google Translatorで、各国語へ、変換




そして、現場で、リアルなコミュニケーションは?


英語ベースで、現地語がお愛想・・・


こんな感じかな?


Aoyagi YoSuKe

Art HarbOur


The Gaiaと各ハブは?


英語がベースで、Google Translatorで、各国語へ・・・

Copyright and Responsibility of AH Shimokitazawa blog



Copyright:


Each manager or each member of Each AH Local must independently handle Copyright.


Each may insist on Copyright or discard Copyright independently.


Copyright depends on each manager or each member.


Responsibility:


Each manager or each member of Each AH Local

must independently have the resposibility on the posted works.

Art Harbour Shimokitazawa


コピーライト:

各アート・ハーバーのマネージャーまたはメンバーは

各々でコピーライトの取り扱いをしなければならない。

コピーライトを主張するか破棄するかは各々に任される。


責任:


各アート・ハーバーのマネージャーまたはメンバーは

各々が投稿した作品に関して責任を持たなければならない。


アート・ハーバー 下北沢


Posting Rule - 掲載ルール




Introducing People, Works, Shops etc. related to Art Harbour as a spot ad.


As a general rule, the details such as map, price should be in the Official Sites related to the ad.

Each ad may contain the Official Sites' URL related to the ad.


Restriction: The Number of Photos is within 6(basically 3). about 640x480 pixel


Ad Size: Within about 2 standard printing papers.


Example: Spot ad. , Flyer, Live Report, Poem, Short Story, Illustraltion, Photo, Paintings etc.


Art Harbour Shimokitazawa



アート・ハーバーに関連した人、作品、店などをスポット広告として紹介する。


原則として、地図や価格などの詳細は広告に関連したオフィシャル・サイトに掲載する。


各広告には関連オフィシャル・サイトのURLを掲載しても良い。


制限:写真など6枚以内(基本は3枚) 1枚に付き640×480ピクセル程度


サイズ:標準プリント用紙(A4)約2枚以内


例:スポット広告、フライヤー、ライブの報告、詩、イラスト、絵など



アート・ハーバー 下北沢