参加型民主主義(草の根民主主義も参照)、市民運動なども、大事だが。
主権在民である。
市民の前に、国民である。
国民の前に、世界市民である。
世界遺産は、国宝である前に、世界遺産である・・・
日本は先進国である、世界市民であることを意識する人が増えることを望む・・・
世界市民の代表的存在は、国連事務総長である。
「郷土を喪失した人間」が始まり。カオスを克服したコスモス(秩序)による市民。
アレクサンドロスの征服によって汎ヘレニズム世界が成立したことからポリスや民族、人種に依存しない「市民としての倫理」が意識されるようになって主張されるようになった考え、アイデンティティ、意識。
キュニコス派のディオゲネスは、どこの市民かと問われたとき、「私はコスモポリテースだ」と答えたと伝えられる。ストア派につよく継承された。
カントの永久平和論などもその影響があるとされる。
潘 基文(パン・ギムン[3]、英語表記: Ban Ki-moon、ハングル: 반기문、ラテン文字転写: Ban Gimun、1944年6月13日 - )は、第8代国際連合事務総長。大韓民国出身。第33代大韓民国外交通商部長官。第11回ソウル平和賞(2012年)受賞者[4]。
1970年2月にソウル大学校外交学科を卒業し、同月高等外交官試験に合格、3月に外交部に入部した。1972年の駐インド韓国大使館副領事を初め、1974年同二等書記官など主に海外勤務畑を歩み、1980年に外交部国際組織条約局国連課長に就任した。
その後外交部派遣によりハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、1985年4月に修了、修士号を取得した。1985年4月に首相外交儀礼担当秘書、1987年7月には駐米大使館総領事、1990年6月に外交部米州局局長、1992年2月に外相特別補佐官、1992年7月に駐米公使、1995年2月の外交部副長官を経て、1996年11月には金泳三の外交安全保障担当大統領特別秘書となった。
その後2000年1月に外交通商部副長官、2001年5月に国連大使、2002年2月に無任所大使を経て、2003年2月、大統領盧武鉉(当時)の外交政策補佐官、2004年1月からは外交通商部長官(外務大臣)に任命されている。
盧武鉉政権下では、大統領府主導で政策決定が行われているため、潘基文は大統領府と外国政府の板ばさみになって大いに苦労した。太陽政策進展に尽力したが、自らの発言の数日後にその発言と反する内容の大統領発言があるなどの出来事もあった。
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