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4/21/2010

カダフィ大佐

カダフィを語らずして、アフリカのイスラムを語れない・・・

アフリカ絡みの情報は錯そうしている・・・


小泉政権300議席に投票した若者も同罪である・・・


行って来い、アフリカ、イラクへ・・・ 石油を買って来い・・・


トーキョーは?


人マシンなど、人でなしばかり。クリエイティブでない

よって、


あなたたちの石油の取り分は残りゼロです - アッラー


あなたたちのガスの取り分は残りゼロです - マルクス&ケインズ


あなたたちの食料の輸入分は残りゼロです - 9億人の飢餓者


あなたたちのウランの取り分は残りゼロです - クジラ






これは、グローバルの公正な判断です - G8首脳(除く、ジャパン)






問題ありません。我が国は鎖国します。すべて、内需で賄います。


唯一、開国しているのは、横須賀港です - エンタープライズ













日本の国会議員が「違憲」の「靖国参拝」を強行した。



古に回帰無くして国家再生はあり得ず


小泉首相が、一月六日伊勢神宮に参拝、翌日付産経新聞のコラムでは「日本は神々の国である」と括り、同月十四日には、内外の反発を受けながらも靖国神社に参拝したのは記憶に新しい。


そして建国記念日の二月十一日には、「政府後援の式典は神武創業の意義に触れていない」として、独自の行事を開いている神社本庁や日本の建国を祝う会(会長拓殖大総長)等をはじめ、各地で紀元節の奉祝式典が執り行われた。祝日法により「建国を偲び、国を愛する心を養う」とした、意義のある記念すべき日だったのである。




今の日本の若者には、海外で仕事をするタフネスはないのでは?


上が内弁慶、親方日の丸の法則で、下も内弁慶・・・




小泉政権の政策は、机上の空論としか思えない・・・


こんなに厳しいアフリカやアラブ・・・ 対応できる人がいない・・・




どうすんの? この後始末は? 下っ端ばかりの首切り犯、小泉純一郎さん?







2/01/2009


イラク戦争敗戦処理

安倍さんは、イラク戦争・敗戦国の責任を取って、緊急にイラクへ連行された・・・

防弾チョッキを着て、イラク戦争の惨禍の後を視察。

イラク復興支援、一体、いくらかかる・・・

おそらく、右翼団体なども、復興支援の実働部隊として、イラクへ移送されるだろう・・・



同時に、日本国内の敗戦復興処理が始まる・・・

アメリカは、オバマ政権の下、敗戦復興処理はスクランブル態勢で、進んでいる・・・


そっくりでしょ、負け戦なのに、ブッシュ大統領は、最後まで、「勝った」と言っていた・・・


Aoyagi YoSuKe


政府与党の公金の乱用の実態


1.ミサイル防衛システム 1兆円 (担当、石破)

2.アフリカ支援 2兆円(担当、福田)

3.金融危機対策(IMF) 10兆円(担当、麻生)

4.アジア支援 1.5兆円(担当、麻生)

参考)国内

定額給付金 2兆円(担当、麻生)


分かっているだけを上げてみました。


これを政治とは呼ばない・・・ 金権利権に基づいた、金のばらまき、ですよね?

だれの金、税金、国民の金だよね? 加えて、財政赤字、国・地方合わせて、1000兆円以上

何だろうね? ニッポンとは?


国際貢献というよりも、国際政治というよりも、外交というよりも、まるで、「援助交際」・・・

信じられね~~~、笑い



参考) 1月30日は、76年前に、ナチスドイツが結成された日。

そして、カルト教団・ニッポン狂のファシズムが滅亡した日でもある・・・

天の配剤とは、摩訶不思議~~~


ナチス・ドイツは、その当時の民主憲法と言われたワイマール憲法の穴をついて、ファシズムへ走りました。

カルト教団・ニッポン教も同様の手口で、ファシズムに走ろうとしたが、あまりの時代錯誤ぶりに自滅した、笑い




http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/h177.html




来訪したイラン副大統領と協力覚書に調印
2007年12月26日、イランのパルヴィズ・ダウーディ副大統領、ダウード・ダネシュジャファリ経済・財政相、ムハンマド・サイーディキア住宅・都市計画相がリビアを訪問し、合同投資委員会の創設など10の覚書に調印した。イラン政府高官のリビア訪問は25年ぶり。ダウーディ副大統領一行は滞在中、カダフィ大佐を含むリビア政府高官と相次いで会談し、両国関係の強化、二国間問題、地域問題等について意見交換した。カダフィ大佐は会談で、良好な両国関係および世界におけるイランの役割の重要性について言及した。
またカダフィ大佐は「リビアの巨額のインフラ事業へのイラン・ビジネスマンの参画を歓迎する。両国の協力はアフリカ諸国や中南米諸国にも応用できよう」「両国の協力の強化は、双方に新たな地平線を切り開くことになる」と述べ、両国関係の強化に期待を示した。さらにリビアのバグダディ・アル・マフムーディ首相は共同記者会見で、「両国は二国関係からはじまってイラク問題まで、主要な二国間・地域問題について協議した」「リビアはイランの平和目的の核開発を支持する」「会談は建設的かつ前向きなものであった」と語り、会談結果に満足の意を示した。
他方、イランのダウーディ副大統領は「兄弟国の関係強化はイラン・イスラム革命の成功後の両国国民の意思によるものである」「両国は経済・技術・文化協力を通じてイスラムの尊厳の維持に向け協力していく」「イランは言ったことを実現する。それは合法的な核燃料サイクルの保持である」と語り、あくまでも自国内でのウラン濃縮に固執する考えを改めて表明した。なお、今回調印された覚書は、合同投資委員会創設、観光協力、高等教育協力、海上輸送協力、漁業協力、中央銀行同士の協力などであった。

国連安保理議長国となりライス米国務長官と協議したシャルガム外相
07年10月に国連安全保障理事会の非常任理事国に選出されたリビアは、国連安保理の08年1月の議長国を務めることとなり、1月3日には本年初の会合に臨んだ。リビアのジアダッラー・エタルヒ国連大使は同日、「我が国が議長国に選出されたことは、我が国が国際社会に復帰したこと、および、我が国が直面していた問題が過去のものとなったことを意味している」「過去に制裁を受けた国家として、安保理で他国への制裁について協議する際に極めて難しい立場に立たされている」と微妙な心境を吐露している。国連安保理では、当面、スダンのダルフール紛争やセルビアのコソボ自治州の独立問題、イランに対する第三次経済制裁問題等が焦点となる模様である。ちなみに、安保理の議長は1ヵ月ごとの輪番制である。
そのリビアのアブドゥルラフマン・ショルガム外相が08年1月3日、ワシントンを訪れ国務省でライス長官と会談したほか、妻女とホワイトハウスを見学訪問し、さらに米国大企業の幹部たちと昼食会をもった。リビア外相のワシントン訪問は35年ぶりのことである。ショルガム外相は米国・リビア科学技術協力協定に調印した。
ライス国務長官はショルガム外相との1時間にわたる会談で、人権問題やパンナム機爆破事件、ベルリン・ディスコ爆破事件の犠牲者への補償金支払いの問題を話題にしたほか、ブッシュ政権の間にリビアを訪問したい意向を伝えた。
ショルガム外相は昼食会で約100人のビジネスマンを前に、「リビアにとり対米関係は極めて重要である」「我々は二度と戦争やテロについて語ることはない」「リビアは協力と投資と平和と安定の国である」「我が国は新たな友好関係を望んでいる」と呼びかけ、良好な関係の樹立に期待を示した。昼食会に重役が出席した主な米国企業は、ロッキード・マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマン、オクシデンタル石油、レイセオンなどであった。昼食会には米通商代表部からも数人が出席した。

イタリアとは長年の懸案事項であった移民協定に調印
シャルガム外相は07年12月29日、リビアの首都トリポリに来訪したイタリアのジュリアーノ・アマート内務相と長年の懸案事項であった移民協定に調印している。毎年、アフリカ諸国から数千人が小型船舶に乗ってイタリアやマルタ経由でのEU(欧州連合)への不法入国を試みており、社会問題化していた。この移民協定ではイタリアがリビアに合同沿岸巡視活動用の船舶6隻を供与することとなっている。アマート内務相は声明の中で、「この方法で不法移民に対してより効率的に対応することが可能となるし、生命を救い、犯罪団を打ち負かすことも可能となる」と述べ、今回の協定の意義を称えた。
またアマート内務相は「これによりイタリア人とリビア人の合同巡視員がリビアの海岸沿いや、不法移民者が出発するリビアの港湾や入り江の正面で巡視活動を展開することが可能となった」「今般のリビアとの合同巡視活動は、アドリア海を越えてイタリアに不法入国しようとしていた人々の流れを止めたアルバニアとのイニシアチブを思い起こさせる」と語り、今般のリビアとの協定がアルバニアと実施し成功を収めた合同巡視活動に倣ったものであることを明らかにしている。
このほかイタリア内務省はリビア側に対して、「今回の協定の一環として、我が国は不法移民対策を講じるリビア向けにEUからさらなる資金が供与されるよう説得活動に当たる」としている。
毎年数千人のアフリカの人々が設備の老朽化した小型船舶に乗って地中海を航行してEUに入ろうと試みており、長い海岸線を持つイタリアは彼らの目指す上陸地となることが多い。しかし、粗末な船舶であることから悲劇的な結末に終わることが少なくないほか、時には人道的理由から救助活動を余儀なくされることもあり、イタリアにとっては社会的問題であるばかりでなく経済的負担にもなっていた。






(財)国際開発センター
エネルギー・環境室
研究顧問
畑中美樹







---Wiki


ムアンマル・アル=カッザーフィー
معمر محمد القذافي
ムアンマル・アル=カッザーフィー

大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
初代革命指導者(事実上の国家元首)
任期:1969年9月1日 – 現職

リビア
第13代首相
任期:1970年1月16日 – 1972年7月16日

アフリカ連合
第7代総会議長
任期:2009年2月2日 – 2010年1月31日

出生:1942年6月7日(67歳)
リビアの旗 リビア、スルト



ムアンマル・ムハンマド・アル=カッザーフィーمعمر محمد القذافي Mu'ammar Muhammad al-Qadhāfī, 1942年6月7日、6月19日生まれ説もあり - )は、リビア軍人革命家政治家革命指導者の称号で呼ばれている。
一般に「カダフィ大佐」と呼称されている。かつては中東で最も反欧米の強硬派だったことや、数々の極端で奇怪な言動から「砂漠の狂犬」「アラブの暴れん坊」とも呼ばれた。
1969年革命以来、リビアの実質的な元首を務める。2009年2月から2010年1月まで、アフリカ連合の議長(任期1年)も務めた。2009年6月8日にガボンボンゴ大統領が死去し41年半の政権に幕を下ろしたため、カッザーフィーが現在世界で最も長く政権を維持している人物となった。

生い立ち [編集]

カッザーフィーはリビアの砂漠地帯に住むベドウィン遊牧アラブ)ガッダーファ部族の子に生まれた。1956年から1961年まで、リビア南部のフェッザーン地方で伝統的な宗教教育を受ける。エジプトナセル大統領の影響を受け、アラブの統一による西洋、特にキリスト教圏への対抗を志す。

軍人として [編集]

1963年ベンガジ陸軍士官学校に進んだ。在学中から仲間たちとサヌーシー朝王家打倒を計画し自由将校団の組織を始める。1965年に卒業するとイギリス留学に派遣され、一年後に帰国して通信隊の将校となる。 ただしイギリスに留学経験があるものの英語は苦手のようで、1986年4月に米軍がトリポリを空爆し米・リビア関係が極度に緊迫した時期、アメリカのある小学校の生徒たちがカッザーフィーに世界平和を求める手紙を書いて送ったところ、カッザーフィーは全員に英語で返事を書いたが、文法やつづりが間違いだらけだったという逸話がある。2007年8月の朝日新聞国際面の特集でも「カダフィ大佐は外国要人と会談する際に最近、英語も上達してきたようだ」との特派員の記述がある。

クーデター [編集]

1969年9月1日、カッザーフィーの同志の将校たちと共に首都トリポリクーデターを敢行。病気療養でトルコに滞在中の国王イドリース1世を退位させ、国家の中枢機関を制圧して無血革命に成功、イドリース1世はそのままトルコに亡命した。11月に公布された暫定憲法により、カッザーフィを議長とする革命評議会(正式名称は「革命指導評議会」だが、日本のメディアは終始一貫して「革命評議会」と呼称していた)が共和国の最高政治機関となることが宣言された(カッザーフィが革命評議会議長と公表されたのは翌年)。
1974年には政治理論の研究に専念するためとして革命評議会議長職権限をナンバー2のジャルード少佐に委譲(あくまで権限移譲であり、退任はしなかった)。1977年の人民主権確立宣言により、初代全国人民委員会書記長に就任。1979年からは全国人民委員会書記長を辞任し一切の公職を退いたが、「革命指導者」として現在に至るまで実質上の元首としてリビアを指導している。

思想──イスラム社会主義と汎アラブ主義 [編集]

1973年からは文化革命を始め、イスラームアラブ民族主義社会主義とを融合した彼独特の「ジャマーヒリーヤ」(欧米では「イスラム社会主義」と言われる)という国家体制を宣言した。現在のリビアの正式国号にも大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国と、ジャマーヒリーヤという言葉がある。1976年には自身の思想をまとめた『緑の書』という題名の本を出版した。緑とは、イスラームのシンボルカラーで、社会主義の赤に対して「イスラム社会主義」を象徴する。
同時にカッザーフィーは、ナーセルの汎アラブ主義の後継者でもある。1972年にはエジプトのサーダートシリアアサドと組んで汎アラブ主義三ヶ国によるアラブ共和国連邦を結成したが、本格的な統合を見ないまま5年後に解消している。
1970年代、カッザーフィーの汎アラブ思想に振り回されたエジプトのサーダート大統領からは「頭のてっぺんから足の爪の先まで狂っている男」と評されたことがある。

対外政策の舵取り [編集]


2008年4月、プーチン
カッザーフィーはパレスチナ解放機構(PLO)の有力かつ公然の支持者であった。そのため1979年にサーダート大統領がイスラエルと和平したエジプトとの関係を決定的に悪化させた。また、資金援助などを通じて西アフリカを中心に影響力を維持しているほか、地域機関であるサヘル・サハラ諸国共同体(CEN-SAD)を創設し、アフリカにおける影響力拡大の足場としている。
カッザーフィーには、1970年代1980年代欧米イスラエルに対する過激派のテロを支援した疑惑がもたれている。1988年の死者270人を出したパンナム機爆破事件はリビアの諜報機関員が仕掛けたテロであるとされるが、カッザーフィーは容疑者の引渡しを拒否し、国連制裁を受ける。そのためリビアは当時のアメリカロナルド・レーガン政権から「テロリスト」「狂犬」として名指しの批判を受け、以後アメリカとの対立は続く。
当時のカッザーフィーの欧米諸国との関係は常に対立的で、アラブ最強硬派と目されていた。1984年の駐イギリスリビア大使館員による、反リビアデモの警備を行っていたスコットランド・ヤード警官に対する射殺事件や、ローマ空港・ウィーン空港同時テロ事件などテロ支援の問題から欧米との関係は悪化の一途をたどり、1986年にアメリカは居宅を狙って空爆する強硬手段(リビア爆撃)を取り、カッザーフィーを暗殺しようとした。カッザーフィーは外出しており危うく難を逃れたが、この空爆により幼い末の娘を失った。この経験から、以降は住む場所を頻繁に変えているという。また、この空爆の直前、作戦に反対だったイタリア政府(当時政権の座にあったベッティーノ・クラクシ首相、ジュリオ・アンドレオッティ外相の決断による)から極秘に空爆を通告されていたことが後日判明した[4]

態度の変化 [編集]


2006年
アメリカによる経済制裁を受けて以降、彼の態度には変化が訪れる。ポピュリズム的な派手なパフォーマンスで国民から支持を得る一方で、1999年にはパンナム機爆破事件の容疑者のハーグ国際法廷への引渡しに応じ、2003年8月、リビアの国家としての事件への関与は否定しつつも、リビア人公務員が起こした事件の責任を負うとして総額27億ドルの補償に合意した。カッザーフィーは、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件に際して、アラブ諸国の中でアル=カーイダに対する激しい非難を表明した指導者の1人であり、世界的なテロ批判の風潮をリビア国内のイスラーム過激派組織「リビア・イスラーム戦闘団」の封じ込めに利用した。
更には、ブッシュ政権でイラク戦争後にアメリカをはじめとする西側諸国に新たな標的にされるのを恐れてか、2003年末には核放棄を宣言し査察団の受け入れを行った。アメリカなどはこれらの対応を評価しそれまで行っていた経済制裁などを解除し、テロ国家指定から外す措置を取った。そして2006年5月15日にリビアとアメリカの国交正常化が発表された。リビア政府はパンナム機爆破事件などの遺族補償として、15億ドルを米政府に支払った。一方の米側も、一連のテロの報復として米軍機がリビアを空爆した際の民間被害に対し、3億ドルの支払いに応じていた[5]。2008年10月にはアメリカ人犠牲者への補償金の支払いが完了し、国交を完全に正常化。2009年7月のラクイラサミットでは、夕食会の記念撮影の際にバラク・オバマ米大統領と握手を交し、国交正常化を印象付けた[6]。なおオバマ大統領についてカダフィは国内での演説で「オバマはイスラム教徒である」との誤った認識を語ったことがある。
核放棄宣言し、和解金を払い、爆撃で娘が死んでいても逆恨みをしていなかったカダフィは反省の色を見せ、過酷な人権弾圧をしなかったためか、サッダーム・フセインと正反対に命と政権が保障されたと思われる[7]。これによりイラク戦争はこのようなアメリカと敵対する国を大人しくする見せしめではないかと思われる。

2009年2月のアフリカ連合のサミットでのカダフィ。
こうした近年の態度の変化には、カッザーフィーの政治的関心が、各国間の対立が激しくて進展を見せない「汎アラブ主義」から、欧米との利害対立が比較的少ないといわれている「汎アフリカ主義」に移行しつつあるのでは、と指摘する意見がある。事実、2000年トーゴで開かれたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議に、長年同機構とは疎遠であったカッザーフィーが出席して地域統合の必要性を唱え、2002年のアフリカ統一機構からアフリカ連合への改組では、カッザーフィーが主導的な役割を果たしている。
2009年9月にリビア革命40周年記念式典が行われ、リビア原油の主要輸出先であるイタリアベルルスコーニ首相が植民地支配の謝罪・賠償合意に訪問し、式典にはベネズエラチャベス大統領、スーダンバシール大統領、ジンバブエムガベ大統領、カタールのハマド首長、フィリピンアロヨ大統領、イラクハーシミー副大統領らが姿を見せ、最高指導者のカダフィ大佐と笑顔で握手するなどした。リビアの国営通信社によると約50カ国から首脳や閣僚らが参列したが西側諸国は参加せず多くはアフリカや中東諸国だった[8][9]

2009年国連総会での演説 [編集]

近年は態度を軟化させたとはいえその特異な言動と舌鋒は衰えてはおらず、2009年9月23日に初めて出席した国連総会では、ニューヨーク郊外のニュージャージー州遊牧民族の伝統に則りテントを張り、そこを宿にした。
また一般演説の席上、国連安保理を「テロ理事会」と批判。国連安保理常任理事国にのみ与えられている拒否権を、国連憲章の前文で謳われている加盟国の平等に反するものと批判し、演壇から国連憲章を投げ捨ててみせ大国による体制を批判したほか[10]、「タリバンが作りたかったのは宗教国家だったのだ。だったらバチカンのように作らせてやればいい。バチカンもわれわれ(ムスリム)にとっては危険な存在だ」と発言。さらに「オバマがずっと執権していればいい。オバマはアフリカの息子であり私の息子でもある」、「ケネディ元大統領の暗殺はイスラエルの陰謀。捜査した方がいい」「新型インフルエンザは細菌兵器として軍事目的で作り出されたもの」などと怪気炎を発した。これにたいし、会場は笑いに包まれた。カダフィの演説は規定の時間である15分を上回る、1時間36分の長時間にわたった。この演説にたいしてオバマ大統領、クリントン国務長官などは、はじめから退席。イランアフマディーネジャード大統領も途中で退席。機関銃のように言葉が飛び出す長時間の演説に、国連のアラビア語同時通訳士が疲れきり、途中で交代する場面も見られた。


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The Definition Of Art Harbour Blog



The Definition Of Art Harbour


Virtual International Trade Harbours Of Art


Opening Anniversary Date: December 1, 2006

Language: Multi Language


Each harbour can export the works toward the virtual world.

People and organization can import the works from all over the world.


Now,Item: Works on Art Activities that are expressed with Photos and Explanations etc.

Export Method: Each Harbour put the Works onto this blog

Import Method: People and Organizations accsess this blog

Order Method: People and Organizations put some comments about the Works onto this blog.


In the future, we will need transportation including trains,airplanes,ships, cars, buses etc.

in order to export and import people, goods etc. ?


Art Harbour


アート・ハーバーとは


アートのバーチャル国際貿易港


開港記念日:2006年12月1日

言語:マルチ言語


各港は、バーチャルな世界へ向けて、作品を輸出できる

人や組織などは、バーチャルな世界から、作品を輸入できる


現時点輸出品目: アートに関する活動などを「写真と文などで表現した作品」

輸出方法: 各港で作品をこのブログに書き込むことで、輸出したものとみなす

輸入方法: 人や組織が作品をこのブログで参照することで、輸入したものとみなす

注文方法: 感想などをコメントに入れることで、注文したものとみなす


将来、、、列車、飛行機、船、車、バスなどを利用して、リアルな人や物が輸出入できる?


アート・ハーバー

Multi Language

現時点では?


ブログは日本語ベース


Google Translatorで、各国語へ、変換




そして、現場で、リアルなコミュニケーションは?


英語ベースで、現地語がお愛想・・・


こんな感じかな?


Aoyagi YoSuKe

Art HarbOur


The Gaiaと各ハブは?


英語がベースで、Google Translatorで、各国語へ・・・

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