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青柳洋介
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1/15/2009
Sony DNAの元祖 - 盛田さん
盛田さんの「フロンティア・スピリッツ」こそが、カギである・・・
(出典)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20081226/181496/
先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。
1986年3月31日号より
日本でよりも海外で人気のある会社、ソニー。「ミスター・ソニー」を自任する会長の盛田昭夫その人も例外ではない。シンデレラ物語を地で行った戦後派企業と、世界の檜舞台で活躍する"花形スター"の性格は、ともに自己主張する点で見事に一致している。自己抑制、禁欲主義とは正反対の、自分の意志に忠実に思うがままに生きようとする飽くなき欲求。この貧欲さが、事業さえも自己充実という至上の価値に従属させる。(文中敬称略)
(末村 篤)
「Do you know me?」で始まるアメリカン・エキスプレスのテレビコマーシャルを御存知だろうか。ゴルフの帝王、ジャック・ニクラウスがクレジット・カードを片手に語りかけてくるあのCFだが、本家本元の米国でこのテレビCFににこやかに登場するたった一人の日本人がいる。白髪の紳士は、画面の中でソニーのポケットテレビに映った自分と対話し、最後に「I am Akio Morita chairman of SONY」と締めくくる。ソニー会長、盛田昭夫その人である。
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盛田の棲む世界を知るヒントの一つはソニー会長室のパソコンの中にある。ソニーの前身、東京通信工業の創設以来40年間にわたる活動の軌跡とも言うべき約6000人の「フレンド・リスト」が記憶されているのだ。この人名録の過半、3000人以上は外国人といい、こんな会話がリストの一端を垣間見せる。
「IBM元会長のワトソン、モトローラ会長のギャルビンとは家族ぐるみの友人だし、キャサリン・グラハム(ワシントンポスト会長)やラムズドルフ(前西独経済相)が日本に来た時はウチで食事をして行く。キッシンジャー(ハーバード大学教授)やサッチャーさん(英国首相)とは電話でよく話しをする」。グラハムは大統領夫人よりも影響力のある女性として有名だ。さらに、帝王、カラヤンとの交遊も付け加えておかねばなるまい。
国際舞台の花形スター
"盛田人脈"は、ビジネスマンから政治家、芸術家まで実に幅広く、ほとんど無秩序に近い。共通しているのはいずれも各界の一流の人物であるということくらいだろう。「相手の名声を利用してやろうということは考えてない。誰だって好きなことをする時は目的なんて考えないのと同じで、あの人は社交そのものを楽しんでいるようだ」と牛尾はみる。いちいち目的を持ってこれだけの人間と付き合えるわけがないというのである。
もっとも、最初から無目的だったかどうかは疑問だ。盛田は昭和38年から1年半、家族を伴ってニューヨークに滞在しているが、この時「一流企業のトップに相応しい生活をさせて欲しい」と言って5番街の最高級アパートを借りて住んだ。「田島会長(道治、当時)が渋い顔をした」(井深大ソニー名誉会長)と言うほどで、旅行者の外貨持ち出し制限が500ドルだった時分、家賃は月1000ドル近かったといわれる。
米国の一流人が住む最高級アパートに居を定めた盛田は、たどたどしい英語で三日にあげずにパーティーを開き、米国の上流社会に顔を売って行く。ソニー製品を売るばかりかソニーという会社、そして自分自身を売り込んで行ったのだ。ソニー製品を売るためには高級イメージを自ら作り出す必要があるという戦術論から出たものなのか、根っからの社交好きで自分を売り込んだ結果がソニー製品の販売促進につながったのかは定かでない。
いずれにせよ、日本人の発想と行動様式を超えたセールス手法だ。盛田が意識的に、かなり背伸びをしてまで一流の人物達との交流を望み、実行して行ったことは間違いない。
日本社会以上に欧米社会に融け込んでいるように見える盛田は、西欧人にとって比較的理解し易い人間なのだろう。井深が語る盛田評は含蓄があって面白い。「盛田君は何をやっても相当にいい点数を取る人で、その時必ず自己主張が存在する。何事も自己主張の中に取り込んで片付けてしまう」と言うのだ。つまり、仕事だろうが何だろうが、対象を自分の欲求の下に従属させて、しかも、きちんと答えを出してしまう、ということだろう。
自己主張は元来、日本人の最も苦手とするところだ。自分の考えをはっきり言うことは日本ではなかなか難しい。ところが盛田は平然と思ったことを言う。例えば昨年までの円安局面での発言だ。盛田は「貿易摩擦の元凶は行き過ぎた円安にある。米国の経済運営にも問題はあるが、日本の銀行や保険会社がマネーゲームでドルを買うから円安を助長する」と持論を展開した。
一面の正論ではあるが、売上高の70%を輸出に依存するソニーにとって円安は福の神。評論家や学者の発言ならともかく、本音では円安を歓迎している輸出企業の経営者には「綺麗事」に聞こえたろう。借金をしている企業のトップが堂々と金融機関批判をぶつなど、およそ日本の産業界の常識からはズレている。
経団連人事より私的交遊
空港のカウンターで盛田が航空会社の女子社員をしかりつけている図を想像して頂きたい。実際に目撃者がいるのだが、盛田の性格も事情もよく知らない他人の目には、「権威を嵩にきた高圧的な態度」と映る。だが牛尾の解釈は違う。「盛田さんは理に合わないことに我慢がならない人だから、相手の落度を指摘してけじめをつけたのでしょう。"赤信号みんなで渡れば恐くない"、というのは日本人の付和雷同性を表しているが、盛田さんなら信号が赤なら渡るべきじゃない、みんなで無視するなら信号など取り払うべきだ、と言うでしょうね」。
もう一点、井深が自己主張という言葉に込めた意味を考えるならば、目の前に現れた課題の解決に当たって、自分のやり方で、自分自身のプラスになるように物事を処理して行くということだろう。トランジスタラジオの輸出市場の開拓という課題を見つけると、自ら先頭に立って製品と同時に自分自身をも売り込んでしまう。ビジネスを成功させるばかりか、ビジネスとは直接関係のない個人的な名誉欲や野心をも同時に満たしてしまう鮮かさだ。仕事でも何でも、自分の胃袋に飲み込んで消化し、吸収してしまうしたたかさ。仕事一途の自己抑制、或いは禁欲精神とは無縁の、個人として己の人生を充実させたいという一点に対する貧欲さこそ盛田の本質なのだ。
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「昭夫さんは要領がいい」
盛田家とは親戚で、子供の頃に盛田兄弟とよく遊んだという中埜又左エ門中埜酢店社長が語る印象は次のようなものだ。「盛田の両親とも衛生観念が発達していたのか、兄弟がまだ小さかった頃、部屋中の家具という家具に敷布がかぶせてあった。子供がなめると不衛生ということらしい。あの頃としてはかなり過保護に育っているな」。そして、「父は子供の頃から兄(昭夫)を銀行の幹部に会わせたり、会社に連れて行っていた」(未弟の正明ソニー副社長)というから、帝王学も仕込まれたようだ。
ところが盛田は家業を継がずに井深の誘いに応じて東通工の設立に参加してしまう。「我々の常識では、あれだけの旧家の跡取り息子が家を出るなんて信じられん。親父は勘当して当たり前なのに息子の勝手を許し、しかもソニーの借金を全部個人保証してやっている。親父を説得した息子も偉かったが、親父も偉かった。昭夫さんは要領がいいんだよ」と中埜は感心する。
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旧家の跡取り息子に相応しい教養を備え、強い意志を持った、人を使う人間として育てられたのだろうが、意志の強さは父親の期待に反して独立の道を選ばせた。しかし、自分は好きな道を進むから家業は弟(次弟の昭和)に継がせる、金の面倒は見てくれ、というのは随分手前勝手な行動でもある。「私が盛田家に彼の身柄をもらい受けに行ったのだが、案外簡単だった。盛田君は家業を継ぐだけでは満足できなかったんだろう」。こう言う井深は盛田の野心を見抜いていたのかも知れない。
二人三脚でソニーを作り育てたもう一方の井深も自己主張の強い人間である。井深は研究者としての初志を貫くため、東通工設立までに2度会社を変わっている。ソニーがトランジスタ技術を学んだ米国の技術者の「トランジスタをラジオに使うのは無理」という忠告を、井深は頑として受けつけなかった。井深は社長の時代でも、自分が関心を持つ研究、開発にひたすら打ち込むという形で自分の意志を通した。
2人の創業者の性格を反映してか、ソニーは今でも一種独特な空気を持った会社である。例えるならば他の大手メーカーに比べ、社員に対して会社への忠誠心の要求のし方が弱いのだ。盛田は入社式で先ず、「会社に忠誠を尽すよりも自分に忠誠を尽せ」と語りかける。「一度しかない人生、自分の幸せをソニーの中で見つけられないと思ったら早く辞めなさい。人生で一番大事なのは自分と自分の家族なのだから」と続ける。誰よりも自分自身に忠実な生き方を貫いているのが盛田本人なのだからこれは本音なのだ。
軍隊調の集団主義を好まぬある種の個人主義と言ってもいい。盛田は「民主主義」と呼ぶのだが、民主主義は自己主張する個人があって始めて成り立つ。良かれ悪しかれ独断で思考し、行動する自信家達だ。テープレコーダーからVTRに至るまでの製品開発、今までにない商品を売るための消費者教育から輸出市場開拓までのマーケティング活動。とかくモノ真似主義に陥ることの多い日本の企業の中では稀な創造性を発揮してきたソニーの行動は、盛田の生き方に表れた自分の意志に忠実な姿勢と無縁ではない。
大切なのは自分と家族
「大切な自分の人生」を充実させたいという思いが盛田を行動派にしている。興味の趣くところ何にでも自分で関わりたがる。交際歴10年以上の服飾デザイナーの三宅一生は、「我々の仲間うちでは"盛田少年"で通っている。好奇心の塊のような人」と語りはじめる。ソニーは創立35周年に当たる56年にユニフォームを新調しているが、このデザインを担当したのが三宅だった。
「ちょっとちょっと一生さん、お話があります、と言って盛田さん自身が私の事務所を尋ねて来られた。ユニフォーム委員会の委員長に自分で納まって、全委員会に出席された。現場を見ておく必要があるというので、芝浦の工場を案内して下さったのも、試作品を持って名誉会長の部屋に連れて行って下さったのも御本人です」。
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実質的なオーナー経営者が好奇心の塊で、しかも自分の意志に忠実に奔放にやったのでは完全なワンマン経営になって当然だろう。「民主的経営」を標榜する盛田は「ワンマン」と言われることを嫌うが、どこから見てもワンマンには違いない。しかし盛田の持つ奔放さには歯止めがかかっており、それが暴走を食い止めていることも事実だ。歯止めの一つは盛田の体に流れる商人の血だろう。
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永遠のナンバーツー意識
だがそうしたこと以上に盛田にとって最大の歯止めになっているのはパートナーである井深の存在ではないか。2人の出会いは第二次大戦中の戦時研究会だった。民間の技術者として参加した井深37歳、海軍技術将校として参加した盛田24歳。「初対面で信頼できる人間だと感じた」と井深が言えば、盛田は「私の人生は井深さんとの出会いで変わった」と言う。「井深さんとは平気で激しく議論するから不仲説なんかもありますがね」(盛田)という不仲説の真偽はともかく、赤の他人が40年間も一緒にやってきて大きな不協和音が聞こえてこないということ自体驚くべきことだろう。
盛田は実質的には副社長時代から経営の采配を振っていたのだが、社長に就任する46年までの25年間、形式的には井深に次ぐナンバーツーであり続けた。マスコミで脚光を浴びたのも井深の方が先だった。長い間ソニーは実態とは違って井深の会社と見られてきた。現在のソニーは盛田一族が株式の約10%を保有する実質上の筆頭株主で、会長の盛田が全権を握るほぼ完全な"独裁"体制なのだが、井深の重味は消え去っていない。今でも精神的な支えとして井深の存在はソニーに生きており、盛田自身いまだに、「ソニーは井深さんの夢を実現させてやりたいという同志が集まってできた会社」という言い方を変えようとしない。
世間には「井深さんのイメージをうまく利用している」という見方もあるが、「会長は心底井深さんを尊敬している」という弟、正明の言葉は額面通りに受け取ってもよさそうだ。英雄並び立たずというが、この2人を並び立たせたものは人間の性格からくる役割分担がうまく行ったことのほかに、13年という年齢の差ではなかったろうか。
ひと回りも歳が違えば、お互いをライバル視する必要もなくなる。井深に対する盛田の感情が、ある意味で盛田に永遠のナンバーツー意識を持たせ、"独裁者"としての暴走を食い止めているように見える。「一部の人事を除いて、今でも盛田君がやっていることは私の考えと全く変わらない」と井深は言うのである。
貿易摩擦でいよいよ出番
こう見てくると、ますますソニーという会社が持つ輝きと翳りは、そのいずれもが盛田の性格を色濃く映し出したものに見えてくる。無論、盛田はプロの経営者なのだが、一方では少年のような好奇心を持ち続けていることにみられる一種のアマチュアリズムの匂を放っている。企業はこうあるべし、経営者はこうあるべしという社会の常識にとらわれないアマチュアリズムの精神がソニーの創造性を育んできたのだろうし、逆に対外的には「頭が高い」、「自社の主張をゴリ押しする」という批判を呼び、商売に徹し切れない甘さにもつながっているようにみえるのだ。内に向かっては組織よりも個人を優先させ、管理が徹底しないという問題もアマチュアリズムと無関係ではなさそうだ。盛田にはそもそも管理の発想が希薄ではないかと思われるフシがある。
ソニー役員OBの一人は、「盛田さんには世間でいう事業家の印象が薄い。センスとカンの良さは抜群だが、むしろプロデューサーと言った方が近いのではないか」という。陣頭指揮を採るという点をみれば戦術家であって戦略家ではないという言い方もできる。今何が必要かを感じ取り、先頭に立って突進する時のエネルギーがソニーの創造力の源泉であることは確かだが、大局的な見地に立って、権謀術数の限りを尽す老獪さには欠ける。この弱点が表面化したのが松下、ビクターを相手にした家庭用VTRの規格競争での敗北だった。
1兆円企業となったソニーは現在、創造性の維持と組織管理の甘さの克服という二律背反の課題を突きつけられている。しかし、盛田にはそう深刻に受け止めている様子はない。依然、「ファンから好ましい人格を持った会社と思われる会社でありたい」と言い、ソニーの象徴として「まだ当分の間は私に代わることのできる人は現れないだろう」と、「ミスターソニー」であり続ける意志を表明する。
貿易摩擦が激しさを増す昨今だからこそ自分の出番も多い、とも考えているようだ。「30年間、継続的に外国との交渉を持ち続けた人間は私以外にいない。私にしかできない日本と外国との橋渡し役を、民間人として務めて行きたい」と言うのだ。ソニーという企業の発展と自らの自己主張を何の矛盾もなく結び合わせ楽しんできた盛田は、日本と欧米との"接着剤"という大仕事をも、「人生を充実させる道具」にしてしまうのだろうか。
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