ラビって、町場の坊主、町医者じゃないの?
シオニズム=選民思想
シオニズムのシオはザイオン、聖地を意味するのでは?
必ずしも、選民思想だとは思えないが・・・
いわゆる
モーセ五書は、
ユダヤ教においては
トーラーと呼ばれている。創世記はヘブライ語では冒頭の言葉をとって「ベレーシース(ベレシート、ベレーシート、ベレシース)」(「はじめに」の意)と呼ばれており、ギリシャ語名の「ゲネシス」は「誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。
内容は大きく分けると「天地創造と原初の人類」、「
イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の三つに分けることができる。
ファリサイ派(ファリサイ、
ヘブライ語:
פרושים)は
古代イスラエルの第二神殿時代(
紀元前536年 - 紀元
70年)後期に存在した
ユダヤ教内グループ。本来、ユダヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、
ユダヤ戦争による
エルサレム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、
ラビを中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的に非常な重要なグループであったと言える。
ファリサイ人、
パリサイ派、
パリサイ人(びと)などと表記されることもある。ファリサイの意味は「分離した者」。 現在ではファリサイ派という名称は使われず、「
ラビ的ユダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。
ヘブライ語で「分離する」という言葉に由来するファリサイ派の源流は、元をたどれば
セレウコス朝シリアの
アンティオコス4世エピファネス時代のヘレニズム強制政策に反発したハシディーム(敬虔派)にまでさかのぼる。ファリサイ派とサドカイ派は同じころ、
ハスモン朝時代の一時期に現れたと考えられている。
フラウィウス・ヨセフスは著作の中で、ユダヤ教の四学派の一つとしてファリサイ派を挙げている(他の三つは
サドカイ派、
エッセネ派、
熱心党)。ヨセフスがあえて不適切な「学派」という言葉を用いたのは、
ギリシア哲学に親しんでいた当時の地中海世界の読者を想定していたためであった。ユダヤ戦争の終結までは、ファリサイ派も含めユダヤ教において特定のグループが主流派となることはなかった。
発生から神殿の崩壊まで、ファリサイ派は常にサドカイ派と対立していた。対立の理由はいくつかある。
- 階級対立があった。つまり、富裕層の支持が多いサドカイ派と、貧困者に支持者の多いファリサイ派、という構図があった。
- ヘレニズム文化に対して柔軟なサドカイ派と、否定的なファリサイ派の間には、文化的な対立があった。
- 祭司が多かったサドカイ派は神殿によってその権威を笠に着ていたが、ファリサイ派は民衆の中に入ってモーゼの律法の精神を生きるよう説いていた、という違いがあった。
- 聖書やそこから派生した多くの律法の解釈の違いが種々あることも対立の要因となっていた。
端的に言うなら、「神殿による権威主義的なサドカイ派」と「民衆の間にいることを目指した民主的なファリサイ派」と表現することができよう。
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