1975年3月27日、アメリカのカリフォルニア州アシエンダ・ハイツに生まれる。メキシコ、スコットランド、アイルランド、
アメリカインディアンの系統
[1][2]。家族構成は父パット(Pat)、母テリー(Terri)、妹ダナ(Dana)との4人家族。
パットはファーギーのソロ・アルバム『
プリンセス・ファーギー』からの3rdシングルの「グラマラス」 feat.
リュダクリスの
ミュージック・ビデオに出演したり、テリーがファーギーに対して電話で
インタビューするラジオ番組に
ドッキリで出演したりしている。また、ファーギー自身は「学校の成績が良くないと両親からサポートしてもらえなかったから、高校時代の私の成績はオールAよ」、「ママは私の歌声は何もしなくても凄く良いと思っていたから、私が歌のレッスンをして歌い方がダメになってしまわないように、ダンスのレッスンだけをさせたの」と両親の事を語っている。
幼年・子役時代 [編集]
ワイルド・オーキッド時代 [編集]
子役として幼い頃から仕事をしていたため、常に自分の気持ちを抑えるようにしていたファーギーはこの頃から
エクスタシーをやり始め、その後
メタンフェタミン(
覚醒剤)に手を出し、中毒になってしまう。体重は41kgにまで減少し、友達には
拒食症だと嘘をつき、そのことを隠していたという。このため子役時代に稼いだお金をすべて使い果たし、実家に帰っている。
その後、
催眠療法や
セラピーによってかの薬物を克服してままならないときにワイルド・オーキッドのメンバーに自分の今までやっていたことを告白し、3rdアルバムの先行シングルには参加することを約束した上で活動停止状態だったワイルド・オーキッドから正式に脱退する。(しかし、先行シングルリリース後、3rdアルバムは発売中止になってしまい、ファーギーはショックを受ける。)
BEP時代 [編集]
気持ちを新たにしたファーギーは、無一文となってしまったため仕事を探し、
コンサートや
クラブでバック・シンガーや
ダンサーの仕事をし始めた。そうした中で、以前から大ファンであった
ブラック・アイド・ピーズがパフォーマンスする会場と仕事先が重なり、パフォーマンスを終えた
ウィル・アイ・アムに思い切って自分の連絡先を書いたメモを渡したのだという。当時ファーギーはブラック・アイド・ピーズといつか一緒に仕事をしたいと思っていて、自分のソロアルバムを出すという夢があり、それに参加してもらいたいと思っていたという。
こうしてファーギーはブラック・アイド・ピーズと交流し始め、友達になる。3rdアルバム制作中の
ウィルが“「シャット・アップ」のフィーチャリング・アーティストを探しているときに友人から「ステイシーを使えば?」と薦められ、最初はファーギーの歌唱力を疑っていたものの、いざレコーディングを始めるとすぐに曲は完成したらしい。その上、幾つかの曲でもバック・ヴォーカルを努めたことで、「ツアーをするのに女性バック・ヴォーカルも必要になるから一緒に来てくれないか」と誘われ、さらに話が発展して周囲の人々からメンバーとして加わるよう勧められる。
2003年より正式にブラック・アイド・ピーズに加わり、グループ名が"Black Eyed Peas"から"The Black Eyed Peas"になる。ブラック・アイド・ピーズの3rdアルバム『エレファンク』発売。「ホウェア・イズ・ザ・ラヴ?」、「シャット・アップ」、「ヘイ・ママ」、「レッツ・ゲット・イット・スターティッド」などのヒット曲が生まれ、一気にブレイクする。
BEP(2006年)撮影:Renato Souza
2005年、4thアルバム『モンキー・ビジネス』発売。「ドント・ファンク・ウィズ・マイ・ハート」や「ドント・ライ」、「マイ・ハンプス」など、ファーギーをフィーチャーした曲が軒並みヒットする。
ソロデビュー [編集]
私生活 [編集]
雑記 [編集]
BEPは、ファーギーの加入を機にブレイクしたという見解が一般的によく見られるが、少なくとも、ファーギーは、そのようには考えてはおらず、むしろ、BEPに救われたのはファーギー自身であり、2006年9月21日に、ニューヨークで行われたソロアルバム・リリース記念パーティーでは、メンバーの
ウィルに「私を信じてくれてありがとう。郊外に住んでるただの女の子から何かを見つけてくれて、理解してくれて本当にありがとう。」と、感謝の気持ちを述べている。
ファーギーの
ファッションスタイルは、自身でも語っているように、
チョラの影響を強く受けている。チョラとは、人種の区別において
混血の人を指す言葉であるが、その
ステレオタイプに「チノパンツをはき、
ノースリーブのシャツを着て、しばしば
入れ墨をしている」人を言う。この服装は、ファーギーのファースト・シングル「ロンドン・ブリッジ」で見ることができる。さらに、ファーギーが、2005年頃よくしていた長い三つ編みは、
チョリータの伝統的な髪型であり、この影響を受けてのものと思われる。他には、
アディダスのジャージを好んで着用し、
ベルトのバックルや
ボトムスのバックポケットのステッチにFergieの頭文字の「
F」を入れたりすることも有名。
ファーギー(2007年マッチミュージック・ビデオ・アウォーズにて)、撮影: ロビン・ウォング
ピアス・ホールが、全身で15個ある。両耳に7個ずつと右眉に1個あいている。この眉ピアスは、
ドラッグを克服するという決意を込めてあけられたもので、それ以外の
ピアスも、すべて何かを達成した記念にあけたもの。
自分の体で、一番好きなところは、絶対に太らない
脚で、美脚セレブリティ第1位に選ばれたことがあるほどの美脚の持ち主。一番嫌いなところは、すぐに太る
お腹。
髪が乾燥しやすく、髪をアップにして結うときなどは、食用の
オリーブ油を塗っている。
グループの
紅一点という存在であるという共通点があることから、
ノー・ダウトの女性ヴォーカリストの
グウェン・ステファニーとよく比較されるが、このことについてはお互いに「素敵な女性と比較されて光栄だ」と言っている。
ファーギーにとって、
ノートは必需品。何か思ったことを書き留めたり、スケジュールや詩、絵などを書くことが大好きだからとのこと。
ミュージカル映画『
アニー』が好きで、小さい頃から“トゥモロー”をよく歌っている。人生で初めて買ったアルバムは「アニー」の
サントラ。
歌手の
アラニス・モリセットが、BEPの大ヒット曲「マイ・ハンプス」の
パロディビデオを作り、
インターネット上で話題になったときに、ギャグにされたファーギーは、アラニスに「アラニス、あなたは天才よ。ファーギー」というメッセージと共に、お尻の形をしたケーキを贈った。※“マイ・ハンプス”の中では「ハンプ=お尻」の意。
---Wiki
- マラウイの地名についてはチョロ (マラウイ)を参照のこと。
チョロ(cholo)、
チョラ(chola)とは、
南アメリカの
ボリビア、
チリ、
ペルーなどの国で、
メスティーソを指す言葉である(チョロは男性、チョラは女性に当たる)。メスティーソはスペイン語圏全般で混血児を表す言葉として用いられる言葉だが、特に中南米では白人とインディオの混血児を指す。一方、チョロはインディオの特徴が強い混血児を指す言葉として、しばしば侮蔑の意味を持つ。
元々は
18世紀頃、スペイン人の服装や言葉、生活様式などを取り入れて暮らすようになった人々(特にスペイン女性の恰好を真似た現地女性)を指して使われ始めた(チョロの語源は、スペイン語で「着飾った人」「素敵な人」という意味のチュロ (
chulo)であるといわれるのはここに由来している)。このため、チョロを「都市化したインディオ」と説明することもある。この時代にはチョロはインディオに対する「上流階級」として位置づけられていたものと思われる。
現代においては、この頃の流行の服装を着続けている人たち(と、その家族)を指す言葉となった。この服装をした男性はあまりいなくなったが、女性は現代でも多くおり、
cholaの語尾に愛称をしめす
-itaをつけて「
チョリータ」(
cholita)と呼ばれている。チョリータの子供はチョロやチョラであるとされる。
しかし、この呼び名は「田舎者」や「貧乏人」という意味合いで侮蔑語として用いられることが多い。これは、南米における混血が進み、純粋なインディオがほぼいなくなったことにより、チョロが白人に対する「下流階級」であると意識されるようになったためであろう。
また、都市部に住む人たちは服装や生活様式をどんどん変化させたのに対し、田舎に住む人たちは18世紀の流行をほぼそのまま現代まで踏襲して暮らしているため、「チョロ=田舎の人」という認識になっていった。さらに、それらの田舎においては現代に至るまで識字率が低い状態にあるため、「チョロ=学力の劣る人」という認識にもなってしまった。それらの田舎の人たちにはインディオの特徴を強く持つ人が多いため、服装以外の特徴としてインディオの顔立ちに近い人をチョロと(蔑みの意味を込めて)呼ぶことが多い。
実際には、ボリビアでは首都
ラパスにおいてもチョロは多く暮らしている。(昔ながらの服装で暮らす人が多くいる。)彼らの中には、大学で博士号をとる者もいるし、実業家として成功している者もいる。
チョロ同士の会話においては、相手を「チョロ」と呼ぶときにはむしろ愛情の意味を持つことが多い。恋人同士が"Mi cholito", "Mi cholita"(「わたしのチョロちゃん」「わたしのチョラちゃん」)と呼び合うのは珍しいことではない。
しかし、一般には侮蔑的な響きが強いため、普段の会話で用いられることはあまりない。これらの言葉の代わりに、褐色または浅黒い肌をした人をさす言葉である「
モレーノ」(
moreno)や「
モレーナ」(
morena)を用いることが多い。また、チョラの場合、その特徴的な服装から、「
ポジェラの女性」 (
señora de pollera)とも呼ばれる。
関連項目 [編集]
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