梅が丘まで歩いて寿司を喰いに行った。
閉店時間に近かったので、行きは大急ぎ、そして、帰りは気分が良くなって、いかに楽に歩くか?
試しながら歩いて帰ってきた。
iPhoneで、マライアのE=mc2を聞きながら、マイグレイトして、、、
やはり、マライアはピノコ、日の子系だ、アシャは土の子系だ・・・ などと考えながら・・・
インカの子は日の子系、ジャーの子は土の子系だ・・・
ピノコ
土の子といえば、代表格は土偶である・・・
そして、住まいの前に来たら、見たこともない車が止まっていた。すげえな~~~
時代に流れに反抗している・・・ いいんだけど、それにしても、すげえな、どこの車だろ
HUMMER 湘南ナンバー 4
どんな車を所有するかは所有者の問題。自身が正当であると考えれば、どんな車に乗ろうが、問題なし。ディバインシステムだから、判断は天が行う・・・ などと考えて、帰宅・・・
金融経済システムに関するグローバルコンセプトは?
マネーはもはや、情報である、クレジットである - モネータ&アッラー
私たちは使用人よ - 王政
私たちの、私の取り分は正当よ - ケインズ
資本が払うのは、労働に対する報酬だ - マルクス
商いは神聖です - モネータ&アッラー
三菱には高く売れますよ、ひまわりは - 餓鬼
そしたら、天気がおかしかった、ネットもおかしくなっていた・・・
Googleがハングアップ
投稿不能です。
AH Tokyoだけでなく、AH Manilaも・・・
mal-functioned
That is, the Japanese System is DOWN!
It is the Very Babylon System...
So it is mal-functioned...
だから、温暖化のせいで、寒暖の差が激しくなっている。
沸騰し始める鍋のお湯のようなものです => 金魚鉢が沸騰し始めた・・・
2月としては最高の気温観測
24日は全国的に気温が上がり、長崎市で2月としては120年ぶりに22度6分を観測するなど、西日本や東海北陸を中心に70以上の地点で2月として過去最も高い気温を観測しました。
気象庁によりますと、24日は広く高気圧に覆われて、南から暖かい空気が流れ込んだうえに、日本海側などでは山を越えた乾いた風が吹きおろすフェーン現象も加わり、全国的に気温が上がりました。日中の最高気温は、長崎市で2月としては明治23年以来、120年ぶりに22度6分まで上がったほか、大阪府枚方市で21度2分、福井県敦賀市で20度5分など、西日本や東海北陸を中心に全国の73の地点で、2月として過去最も高い気温を観測しました。また、熊本市で23度4分、松江市で22度6分、名古屋市で19度9分、東京の都心で16度6分などと、各地で平年を5度から10度ほども上回り、3月中旬から5月下旬並みの暖かさとなりました。気象庁によりますと、25日は西から前線や低気圧が近づくため、西日本では曇りや雨となりますが、上空には暖かい空気が残り、北日本や東日本では、24日より気温が上がる所もある見込みです。気象庁は、積雪の多い地域では雪崩や雪解けによる川の増水などに注意するよう呼びかけています。
こんなのも出た・・・
やはり、軍用車がモデル・・・ なるほどね・・・
---Wiki
ハマー(Hummer)は、アメリカ軍の軍用車ハンヴィー(高機動多目的装輪車両、Humvee)の民生用車種で、AMゼネラル社やGMが生産した大型SUVの市販ブランドである。尚、2009年6月1日にGMは連邦破産法11条を適用、「ハマー」ブランド(含む製造工程)は同年6月3日中華人民共和国四川省の民間企業である騰中重工へ譲渡合意をした。
///
軍用から、民生に転用したSUVだそうだ・・・
ということは、スポーツは、兵隊が、民生に転用されたということだ・・・
なるほどな・・・ だから、スポーツ礼賛の風潮は富国強兵策だった・・・
ところが、時代が変わった・・・ 日本は人材不足である・・・ 先進国としてのクリエイティブに大きく後れを取った・・・
---Wiki
SUV(Sport utility vehicle スポーツユーティリティビークル) は、
自動車の形態の一つ。「スポーツ多目的車」と訳される。
3ドアと5ドアがあり、5ドア車の一部の車種では3列目の座席をもつものもある。
///イルカの本より
こういう車は都会よりも、タフ・ロードで楽しむべきじゃないの? イルカの本より・・・
だから、中国内陸部開拓にマッチしているんじゃないの? 笑い
中国内陸部開拓の巨額投資の目的は?
1.格差是正
2.食料確保
だと、個人的に考えていますが・・・
どうなんでしょうか? 胡錦濤さん?
よって、HUMMER系を中国内陸部開拓に使用するのは正当である・・・
のかな?
オーストラリアのシャーク湾はパースの北にあります・・・
私は手荷物を受け取って、母が書いてくれた紙切れを取り出した。その紙切れには、母の大学時代の旧友バート・メインとバーバラ・メインの電話番号が書いてあった。私たちは一時間後にはメイン家のリビングルームでくつろいでいた。メイン家はその後何年間もパースの中継基地となった。私たちは数日経ってから、パースの真北の道端に立った。荷物を山積みにして親指を立ててヒッチハイクをした。
老朽化したステーションワゴンが停車したので、私たちは乗り込んだ。白いハイソックスと短パンをはいた赤ら顔の男が運転していたが、私たちは彼のオージーなまりの英語に戸惑いながらも、いっしょうけんめいに話した。男はアウトバック(オーストラリアの奥地)の中央出口付近にあるマーブル・バーの北に位置するオパール鉱山で働いているらしかった。空気が乾燥していて、とても暑かった。男はアボリジニとの出会いについて話し始めた。鉱山の入植地に入り込んだいきさつを話しながら、ダッシュボードの小物入れを開けて、22口径のピストルを取り出した。リチャードも私も本物のピストルを見たことがなかったが、まさか、車中でピストルと同居するとは思わなかった。
「俺たちは奴らを撃った」
と彼は宣告した。
その夜はジェラルトンに宿泊して、海洋博物館へ行った。博物館には、船の残骸が多数展示されていた。それはブローホス諸島とジュチードープ・クリフで難破した船の残骸だった。この危険な海域はモンキー・マイアを囲む広いシャーク湾の真南にある。
翌日になって道端に戻り、親指を立てて、ふたたびヒッチハイクをした。数台が通過した後で、ぼろぼろのホールデン製のステーションワゴンが止まった。ふたりの若者が運転席に座っていたが、後部座席はゴミの山で満杯になっていた。
「心配するな。すぐにゴミを片づけるよ、座れるよ」
とひとりが言った。
心もとなかったが、どうしてもモンキー・マイアへ行きたかったので、私たちはワゴンに乗った。私は古くて汚れたマットレスの山、ゴミ箱、車の屋根の隙間に押し込まれたが、そこには背もたれもなかった。私たちは時速百三十キロで、グレート・ノーザン・ハイウェイを北上した。前の座席に座っているリチャードとふたりの男は、缶ビールをつぎつぎに飲み干して、窓から空き缶を放り投げた。まるで、
「鉄の乙女」
が後方のスピーカーから、金切り声を上げているように感じた。
私はまぶたを閉じて、別世界へ行こうとした。その辛さは際限なく続くように思えたが、なんとかオーバーランダーへたどり着いた。
カルナボン、ブルーム、ダンピヤー、ダーウィンへ至る道と、シャーク湾へ至る道の分岐点で車を降りた。オーバーランダーの停車場だけが、三百キロの道のりで、唯一の文明の痕跡と言えた。他には何もなかった。西オーストラリアの海岸方面へ向かうトラックや車は、オーバーランダーで燃料補給をして、乗車している人たちはトイレを使って食事もする。停車場はみすぼらしくて、従業員は暇をもてあましていた。空気はほこりっぽくて、水は悪臭がする。マネージャーが冗談めかして、
「ハエがオーバーランダーのマスコットです」
と平然と言う。
たしかに、オーバーランダーのハエは半端じゃなくて、咬みはしないが、人の目や鼻や口から体液を吸おうとねらっている。ハエは顔の周りにたかってきて、信じられないほどしつこい。追い払っても、さっと逃げて、二インチ(五センチ)くらい離れて、すぐに戻ってくる。ハエを追い払うには、顔をたたき続けるか、顔の周りの空気をかき回すしかなかった。まさに、
「オージーの歓待」
だった。
この歓待に慣れるか、気が変になるのに、時間はかからない。だが、私はオーバーランダーに好感を持ち続けている。シャーク湾へ行くための重要な停車地だし、乗り物から降りると、慣れ親しんだ匂いや音や景色が私を迎えてくれて、シャーク湾へ戻ったと実感できるからだ。興奮して、アドレナリンが血管を駆け巡り、私はモンキー・マイアへいそいそと向かう。
ステーションワゴンの後部座席から降りて、停車場の赤土に降り立ったときには、生きていて良かったと心の底から思った。目的地に着くまで、何が起きるかの見当もつかなかった。
パースを発って、緑の田舎道を走り抜けていると、黒インコの群れが鳴き声をあげている。ブドウ園や、馬の農場や、背の高いユーカリの林などもある。北へ向かうと、林は低木へと変化していく。低木は丈の低い薄緑色の茂みと、明るい赤土に囲まれている。カラスが鳴き騒いで、くさび形の尾をした大型のワシが、ウサギの死骸をつかんで道端へ舞い降りる。今ではカンガルーは少なくなったが、約十二メーターに一頭の割合で、ハイウェイに沿って並んでいる。カンガルーは危険なので、郊外を走る車は
「カンガルーよけ」
を装備している。
カンガルーよけは、車の前部が損傷するのを防ぐが、カンガルーとぶつかると、どこかしらが壊れる。
オーバーランダーは、停車場と二車線の道路の他には何もなくて、茂みがところどころにあって、荒涼とした砂漠が周りに広がっているだけだった。私たちが停車場で冷たい飲み物を飲んで、渇きをいやし終わるころ、太陽が沈もうとしていた。雲が広い空に散らばっていて、雲の下で消え行く光がピンクからオレンジへと変わっていく。私たちは酒で酔っ払った道路工事の男の車に乗りこんだ。男はシャーク湾へ至る道の南方十キロ付近で寝泊りしていた。そのため、私たちはモンキー・マイアへ着く前に、オンボロ車から降ろされた。車が離れるにつれて、視界からテールランプが消えていった。私たちは自分たちが置かれた状況を考えた。何もない砂漠のど真ん中に置き去りにされて、食料も水もない事実に気づいて、急に怖くなった。他の車が見つからなければ、得体の知れないものが跳ねまわっている地面に寝るしかない。砂漠の夜の冷気が迫ってきたのに、私たちには寝袋もなかった。
私たちは震えながら、頭上を通り過ぎる星を一晩じゅう眺めた。正体不明の奇妙な音がゴトン、ゴトンと聞こえた。後になって、それはカンガルーが立てた音だと分かった。小さくて奇妙な有袋類が這いまわりながら、私の背中で暖を取る夢を何度か見た。私は目が覚めても、夢か現かの区別ができなかった。
夜が明けたとき、辺りの景色はあまりにも鮮やかで、現実離れして見えた。点在する野花の中で、ピンク色のインコの群れがエサをついばんでいた。華やかな薄ピンク色のオウムもいた。さまざまな大きさや形をしたアリが、私たちの体や、荷物の上や、周辺を這いまわっている。見慣れない鳥が茂みの中で跳ねまわっていて、鳴きながら、玉虫色の青と黄色の姿を見せびらかしている。片側には薄緑色の茂みがあり、反対側にはアカシアの茂みがあった。錆色のアカシアの花びらには、黄色の斑点がついている。輝く朝の陽光の中で、茂みの緑とアカシアの色が対比している。景色があまりにも美しくて不可思議だったので、私は地球以外の惑星で目が覚めた気がした。この日こそが、私がモンキー・マイアの光景を初めて目にした日だった。モンキー・マイアは小さなキャンプ地で、ペロン半島の北東部の海岸線に面している。ペロン半島は青緑色のレッド・クリフ湾の海に囲まれている。
私たちが初めて訪れたころ、モンキー・マイアは設備もほとんどない、ぜいたくのかけらもない、ひなびた釣り場だった。五十ばかりのキャンプに、発電機が騒音を立てながら電気を供給していた。未舗装の広場には、RV車にガソリンを入れる「スタンド」があった。電気が通じていないバックパッカー向けの安キャンプもあった。広場の片側には、無線アンテナがついた小さな小屋があった。そこには、「公衆電話」が置いてあったが、その電話は繋がるとは限らなかった。トイレと塩水が出るシャワー付きのレンガ作りの小さな
「沐浴場」
もあった。
デナムは半島の反対側にあって、モンキー・マイアから三十キロ離れている小さくて退屈な漁村だ。モンキー・マイアからもっとも近いが、町は寂れていた。店が二軒あって、一軒は郵便局を兼ねていた。週に二度だけ、デナム国際空港から郵便物を空輸している。空港には、未舗装の短い滑走路が一本と、トタン屋根の小屋が一軒あった。町には、居酒屋と、教会と、赤土を造成して作った小さなゴルフコースがあった。
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