江戸前寿司の誕生~文政年間ごろ(1800年代前期)
江戸前握りずしの創案者は、両国は「與兵衛鮓(よへいずし)」の
華屋與兵衛とも安宅の「松之鮨(まつのずし)」、堺屋松五郎ともいわれる。
文献的には文政12年(1829年 1827年作句)『柳多留』に
「妖術という身で握るすしの飯」とあるのが初出である。
“写真”が無かった江戸時代の生活ぶりを覗う手段は、
浮世絵ですね。~その中で「寿司」に関する絵を
スクラップファイルから取り出してみました。
「江戸前寿司」は本来は、かつての江戸に面した江戸湾で採取された
魚介類を使った握り寿司のことである。
はじめは、屋台で売られていた安価な食べ物で、瞬く間に江戸中に
広まっていったのです。
ヘーイ~いらっしゃい!の声で店に迎え入れられた、
よく行った寿司屋の数々~
そこには“大将”がいて、『ねじり鉢巻』の“若い衆”がいましたね。
なぜか現代は皆「帽子」なのですね。~寿司屋に帽子はダメだね。~(笑)
「俎板」を出す店、「葉蘭」をカウンターに広げる店~~
そこに握った寿司を置いてくれました。
顔を見た瞬間にお好みのネタを板さんが覚えてくれていて、
黙っていても、次々に俎板の上に現れるのですね。~(笑)
鰯、鯵、鯖、キス、アイナメ、メバル、ハゼ、ハゲ、~
~鮑、さざえ、うに、~~・・・。
大トロ等の脂身はあまり食べません。~~
鰯、鯖の新鮮な生のネタはなかなか最近はお目見えしませんね。
江戸前寿司の誕生したこの時代、冷蔵・冷凍技術のないこの時代の寿司は、
酢〆、醤油漬け、火を通す、などの下仕事をしたタネばかりであったのですね。
明治30年代(1897-)頃から企業化した製氷のおかげで、
寿司屋でも氷が手に入りやすくなり、現在の“ネタケース”と
ほぼ同じ形態の生で保存するスタイルが定着したのです。
このスタイルの「寿司屋さん」~少なくなってしまいました。
“すし”といえば回っている、回転すし店しか知らない子供たち
が増えているように思います。寂しい~悲しい~仕方ない?・・
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