1Q84は、大人が並んだ・・・
昔、Windowsの新製品発表、大人が並んだ・・・
商いに、マーケティング、マーケット開拓は必須である・・・
Book Creator
Aoyagi YoSuKe
僕が1Q84に対して、否定的なのは?
村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者インタビュー・ノンフィクション『アンダーグラウンド』を出版しているから・・・
地下鉄サリン事件は、オウムだけの問題だというよりも、日本の社会制度の問題を内包しているからである・・・
個人的な意見です・・・
発見、1984
創価学会は?
政治とカネは? 政治と経済の問題、公私混同・・・
会社は? 社員の仕事は公、退社すれば、原則として、私人である。
天皇家の公務は社交である。原則として、実務は行わない => 象徴天皇制
法人は元来(営利法人以外は)、
逆を言うと、NPO法人と営利法人の二種類で充分ではないの?
二種類で厳しければ、営利法人、中間法人、非営利法人の三種類?
行政法人、財団法人、、、利権を操る法人に見えますが・・・
【法人】ほうじん
[法]人ないし財産から成る組織体に法人格(権利能力)
法人<->自然人
【自然人】しぜんじん
1.生まれたままの人。本性を失わない人。
2.[法]法人と区別しての人を指すときに用いる語。法律上、
法人
-公法人 - 国
- 地方公共団体(都道府県、市町村、特別区)
- 特殊法人(日本銀行、道路公団、金融公庫)
-私法人 - 財団法人(公益法人のみ、育英会、体育協会、日本棋院)
- 営利法人(合名会社、合資会社、株式会社、有限会社)
- 中間法人(生活協同組合、農業協同組合)
- 中間的な法人(宗教法人)
---Wiki
創価学会(そうかがっかい)は文部科学大臣所轄の単立宗教法人。当初は日蓮正宗内部の宗教法人格を持たない法華講として発足し後に独自の法人格を取得し上部団体の正宗と完全に分裂し現在に至る。本部は東京都新宿区信濃町。機関紙として、『聖教新聞』(日刊)、『創価新報』(月2回)などを、機関誌として、『大白蓮華』(月刊)、『グラフSGI』(月刊)などを発行。通称は「学会」。
教勢 [編集]
教義関連 [編集]
経典 [編集]
本尊・本仏 [編集]
- 本尊
- 一閻浮提総与(全世界に与えられたという意)・三大秘法の大御本尊。2002年の会則変更前は日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊とされて来た。その頃までは大石寺の板曼荼羅を書写したものを本尊として会員に授与していた[4]。そして、それを祀る日蓮正宗独自の「正宗用仏壇」を自宅に安置する。戦前から戦後期にかけては、「謗法払い」といって従来の仏壇や神棚を焼却させることもあった[4]。ただ現在では、入会希望者自身が、自分の手でかつての信仰対象の処分・返却を行うこと、本人が承諾しても他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと、同居家族や所有関係者の事前了解を得ることなどが、原則として徹底されている[14]。
- 本部会館や牧口記念会館などにある常住本尊は大石寺64世日昇書写の形木本尊。(大法弘通慈折広宣流布大願成就の脇書)
- 平成5年9月以降、各家庭にある本尊は、草創期の学会員が授与を受けていた大石寺26世日寛書写の享保3年の形木本尊と全く同じ相貌の本尊を授与されている。この本尊には人法があり、人本尊は日蓮、法本尊は南無妙法蓮華経。この南無妙法蓮華経を紙面に著したものが、曼荼羅本尊。これらは、人即法、法即人の関係であり、人法一箇であり、教義では全て同じであるが、一般通念として本尊と言えば曼荼羅本尊を指している。
- 本仏
- 日蓮を末法の本仏と仰ぐ。また富士門流系の宗派・団体において、日蓮から法の付属を受けた唯一の正当な後継者と信じられている日興に対しても、仏法上の三宝(仏・法・僧)のうちの僧という立場から、南無(帰依)する旨が『勤行要典』の祈念文に記載されている。
教義 [編集]
活動 [編集]
- 勤行
- 『法華経』のうち、方便品の冒頭から十如是までと、如来寿量品の自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。朝と夕方(夜)の2回行う。
- 会合
- 幹部会(本部幹部会同時中継(月1回)など)
- 指導会
- 協議会
- 各部の活動者会
- 御書講義
- 記念総会
- 法要
- 合同法要(月1回)
- 諸精霊追善勤行法要
- 彼岸法要
- 世界平和記念・戦没者追善勤行法要
- 地区座談会
- 「地区」単位で壮年部・婦人部・青年部合同で、毎月1回行われる。主な内容は信仰を実践した結果改善されたことがらを発表する「体験発表」、『新編日蓮大聖人御書全集』の研鑽、幹部による指導、研究発表など[13]。「地区」よりも小さな区分(最小単位)に該当する「ブロック」で行なわれることもあり、「ブロック座談会」と呼ばれている。
- 唱題会(任意)
- 折伏
- 新規会員の開拓。入信させるまでに至らなくても、勧誘すること自体「聞法下種(もんぽうげしゅ)」(法を説いて聞かせることにより仏の種を下すこと)となり、現世の間あるいは来世において入信する原因を与えることになるため功徳になるとされる。勧誘を行い入信を決意させた場合は「発心下種(ほっしんげしゅ)」となるが、どちらの「下種」も功徳は同じとされている。対象者が入信しなかった場合を他分派と同様「逆縁(ぎゃくえん)」と呼ぶ場合がある。
- 『聖教新聞』の購読者の開拓
- 会員間においては「新聞啓蒙」と呼称される。
- 財務
- 創価学会では年1度(12月)、会員より「広布基金」(通称:財務)という集金活動を行っている。「広布基金」は銀行振込で行われており、窓口で振り込めば手数料は学会側の負担で、金額は特に決まっておらず1口1万円からできる。寄付を行う会員は「広布部員」と呼ばれ、会員歴1年以上の者であれば応募できる[13]。1977年以前は「財務部員」と呼ばれていた[13]。
- 教学の研鑽
- 『新編日蓮大聖人御書全集』の研鑽が主。教学試験の受験が奨励されている。
- 世界青年平和文化祭
- 葬儀
- かつては日蓮正宗の僧による葬儀が主流だったが、現在は儀典部など会員を読経の導師とする「友人葬」(「学会葬」「同志葬」とも呼ばれる)の形式で執り行われるのが一般的である。 なお、原則として友人葬への参列では香典は必要ない。また「読経料」「戒名料」などと称する対価を求める僧と違って、友人葬の導師は、謝礼を一切受け取らないものと定められている。
主な記念日 [編集]
- 1月2日 -第3代会長池田大作生誕日
- 1月26日 - 創価学会インタナショナル (SGI) の日
- 2月11日 - 第2代会長戸田城聖生誕日
- 3月16日 - 広宣流布記念日
- 4月2日 - 第2代会長戸田城聖命日
- 5月3日 - 池田大作会長就任記念日
- 5月5日 - 未来部の日
- 6月6日 - 初代会長牧口常三郎生誕日
- 7月3日 - 第2代会長戸田城聖出獄記念日
- 8月24日 - 第3代会長池田大作入信記念日
- 9月8日 - 原水爆禁止宣言の日
- 10月2日 - 世界平和の日
- 11月18日 - 創立記念日
シンボルマーク・旗 [編集]
- シンボルマーク
- 1977年3月、「八葉蓮華」がシンボルマークとして定められた[1]。「八とは色心を妙法と開くなり」という日蓮の御書の一節を踏まえ、八の葉が幾重にも広がるデザインになっている[1]。
- 元々創価学会の仏壇には日蓮正宗と同じ鶴丸印が使われていたが、破門されてからは八葉蓮華を積極的に使用するようになる。
- 旗
- 1988年に池田大作の提案をもとに創価学会の旗として「三色旗」が定められた[1]。ポールから順に青・黄・赤という色の三原色が使用され、青は「平和」黄は「栄光」赤は「勝利」を意味する[1]。もっとも、仏教全般のシンボルカラーをもとにしたともいわれている。
- ルーマニアの国旗と同一であるが、中心に学会の紋章「八葉蓮華」や創価学園の校章が入ることもある。
組織 [編集]
現在の主要役員 [編集]
名誉会長と歴代会長 [編集]
- 名誉会長:池田大作(1979年4月24日 - )
- 歴代会長
- 牧口常三郎 (1930年11月18日 - 1951年5月2日)
- 戸田城聖(1951年5月3日 - 1960年5月2日)
- 池田大作(1960年5月3日 - 1979年4月23日)
- 北条浩(1979年4月24日 - 1981年7月17日)
- 秋谷栄之助(1981年7月18日 - 2006年11月8日)
- 原田稔(2006年11月9日 - )
組織体制 [編集]
年齢別 [編集]
- 多宝会 - 70歳以上の男女。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。
- 壮年部 - 40歳以上男性。部長:萩本直樹
- 守る会 - 会館の清掃。壮年部と婦人部の部員で構成。
- 婦人部 - 既婚または40歳以上の女性。部長:三井麻生
- 香城会 - 会館の案内係
- 白樺会 - 看護師資格保持者
- 青年部 - 部長:佐藤芳宣
- 男子部 - 40歳未満男性。部長:棚野信久。末端役職の名称は「ニューリーダー」
- 女子部 - 未婚かつ40歳未満の女性。部長:熊澤由美子。末端役職の名称は「ヤングリーダー」
- 学生部 - 大学(院)生・専門学生の男性。末端役職の名称は「ビクトリーリーダー」
- 21世紀伸一会 - 首都圏の学生部限定の幹部候補人材グループ。
- 女子学生部 - 大学(院)生・専門学生の女性
- 未来部- 高校生以下
- 高等部 - 高校生
- 男子高等部
- 女子高等部
- 中等部 - 中学生
- 男子中等部
- 女子中等部
- 少年少女部 - 小学生
- 高等部 - 高校生
- 男子部 - 40歳未満男性。部長:棚野信久。末端役職の名称は「ニューリーダー」
地域別 [編集]
- 「方面」は北海道・東北・東京・関東・東海道・信越・中部・北陸・関西・中国・四国・九州・沖縄の13に区分されている。
- これら13の方面のうち、以下のエリアは一般的な区分けと若干異なる。
- 「関東」 - 埼玉・千葉・栃木・茨城・群馬
- 「東京」 - 東京・山梨
- 「東海道」 - 神奈川・静岡
- 「中部」 - 愛知・岐阜・三重
- 「北陸」 - 富山・石川
- 「関西」 - 大阪・京都・奈良・兵庫・滋賀・福井
- これら13の方面のうち、以下のエリアは一般的な区分けと若干異なる。
- 「総○○」以降は、都道府県以下のレベルの区分である。そのため、創価学会でいう「県」は、一般的な県の範囲に比べ小さい。「総○○」に関しては複数設置されている県(例・第1、第2、第3総千葉)もあれば、ひとつも設置されていない県もある。例えば山梨県は東京の多摩地域と同じ「第2総東京」に属する。
- 「総県」「県」は北海道や大阪府、京都府であっても名称は変わらない。
- 「圏」は「ゾーン」と読む。
分野別 [編集]
- 教学部
- 儀典部 - 冠婚葬祭
- 文化本部
- 芸術部 - 芸術一般(美術・音楽・舞踊・華道・茶道・芸能・他)
- 学術部
- 文芸部
- ドクター部 - 医師
- 教育本部
- 学校教育部
- 幼児・家庭教育部
- 社会教育・教育相談部
- 国際本部
- 通訳・翻訳部
- 国際ボランティア部
- 国際交流部
- 在日外国人部
- 社会本部
- 社会部
- 専門部
- 地域本部
- 地域部
- 団地部
- 農村部
- 離島部
沿革 [編集]
1928年 - 1949年 [編集]
- 11月18日 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される(この日が創価学会の創立記念日となっている)。発行所「創価教育学会」の所在地は東京府荏原郡大崎町(現在の品川区)にあった戸田の自宅内とされた。
- 4月 牧口が戸田と共に「創価教育学支援会」を創設、会長に就任[16]。
- 12月24日 「創価教育学会」第1回総会。発会式と同じく菊水亭で行われ、60人が参加[4]。
- 5月 戸田が金融業「日本商手」を設立したため、創価教育学会事務所を東京市神田区錦町(現:千代田区神田錦町)に置かれた同社内に移転。
- 10月20日 九段(現:東京都千代田区)の軍人会館(現:「九段会館」)において「創価教育学会」第2回総会。300名が参加[4]。「創価教育学会」の正式人事を決定(会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)[18]。
- 5月2日 創価教育学会第6回総会。戦前最後の総会となる。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊させられる[16]。
- 7月6日 政府による日蓮宗と日蓮正宗との合同強制の拒否と伊勢神宮の神札、「神宮大麻」を祭ることを拒否し、焼却したために、「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が逮捕される。
- 8月24日 池田大作(19歳)が入信[18]。
- 1949年
- 7月10日 機関誌「大白蓮華」創刊。
1950年代(草創期) [編集]
- 8月 戸田が専務理事を務めていた「東京建設信用組合」が破綻。学会に影響が及ぶことを恐れた戸田は理事長退任を決める。
- 11月12日 創価学会第5回総会。戸田が正式に理事長を退任、小泉隆が後任の理事長に就任。
- 4月20日 機関紙『聖教新聞』創刊。当時は1ヶ月に3回の「旬刊」からスタートした。
- 5月3日 戸田が「創価学会」第2代会長に就任。就任演説において、7年間で75万世帯を折伏することを目標に掲げる。会員数は5千人[19]。
- 日蓮正宗から創価学会常住の本尊が下付される[7]。
- 「財務部」が設置、財務部員による財務制度が始まる[7]。
- 7月 男子部・女子部を結成[17]。
- 11月 『折伏経典』を発刊[17]。
- 折伏大行進により会員が激増。一方、強引な布教に対する社会的な批判が起こる。
- 年末に会員数が5千7百世帯に[4]。
- 4月 「狸祭り事件」(詳細は#事件・社会問題を参照)[4]。堀日亨編の『新編日蓮大聖人御書全集』を刊行[4]。
- 8月27日 「創価学会」が東京都知事より宗教法人の認証を得る。
- 11月 創価学会版『新編日蓮大聖人御書全集』、『御書十大部講義』を発刊[17]。
- 12月 人材グループ「水滸会」を発足[7]。教学部の任用試験を開始[4]。
- 3月11日 北海道小樽市において、日蓮宗身延派と創価学会との法論が行なわれる。「身延派」と呼ぶ日蓮宗を邪教と批判し、日蓮正宗の正当性を主張。司会は池田大作。
- 戸田会長が創価学会の政界進出を目指し、統一地方選挙に創価学会の「文化部」所属の会員を出馬させ、全国で計53人を当選させる[19]。
- 大阪・鶴橋に西日本初の自前拠点「関西本部」が完成。
- 9月8日 創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」(横浜市・三ツ沢グラウンド)で「原水爆禁止宣言」を発表。
- 目標としていた75万世帯の折伏を達成[17]。戸田が本部幹部会で発表するのにあわせて、「学会永遠の三指針」を策定し発表。
- 3月1日 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂が完成。1か月に渡って記念式典を行い、学会では「大講堂落慶記念総登山」と通称する。延べ20万余の会員が参加[17]。
- 3月16日 「広宣流布の模擬試験」を大石寺大講堂で行う。青年部員6,000人が参加。学会では、この行事の席上で戸田が池田を正式に後継者として指名したとしており、後に「記念式典」と公式に呼び換えることになる[20]。
- 4月1日 大講堂落慶記念総登山を指揮していた戸田が大石寺を離れるが、列車で国鉄東京駅に到着後、駿河台日本大学病院に直行、緊急入院。[21]
- 4月2日 戸田が死去。学会では死因を「急性心衰弱」と発表。小泉理事長が中心となって会長職務を代行するとしたが、実際は池田が仕切った[22]。
- 4月20日 戸田の学会葬を東京・青山葬儀所で開催。学会は25万人が参列したと発表した[23]。
- 6月 池田が会長職務を代行するため「総務」のポストを新設し、自ら就任。青年部参謀室長と兼務だった。
- 100万世帯の年間目標を達成[17]。
1960年代 [編集]
- 5月3日 戸田の没後3年を経て、池田大作が第3代会長に就任。同時に小泉理事長が退任し、後任の理事長に原島宏治が就く。戸田の7回忌までに300万世帯の信徒獲得、大石寺への大客殿の寄進、邪教撲滅を目標に掲げる[17]。「文化部」を「文化局」に格上げし、「政治部」を置く[18]。
- 9月 組織に総ブロック制を敷く[17]。
- 10月 池田が初の海外布教のため渡米[17]。
- 会員数が150万世帯に[19]。
- 11月5日 国立競技場で第10回男子部総会を開催。10万人を集め、学会では「不滅の精鋭十万結集」と呼ぶが、これが公明政治連盟の事実上の結成大会と言ってもよいものとなった[17]。
- 11月12日 横浜市三ツ沢公園陸上競技場で第9回女子部総会を開催し、8万人を集める。
- 11月27日 池田が創立者となって「公明政治連盟」(後の「公明党」)を発足させる(委員長:原島、副委員長:北条、書記長:龍)。
- 大石寺大客殿の寄進の額が目標の10億円を超え32億円余に達する[7]。
- 会員数が234万世帯に[19]。
- 会員数が311万世帯に[19]。
- 5月3日 第27回本部総会において、池田が政党の創設と衆議院への進出を表明[7]。また、正本堂の建立・寄進の計画を発表。同年、池田大作は宗門から法華講総講頭に任命される。
- 11月17日 「公明政治連盟」を改組して政党、「公明党」を結成。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。
- 12月9日 原島理事長が在職のまま急逝。連絡を受けた池田は和泉覚を後任に据える。原島が兼任していた公明党中央執行委員長には副委員長だった辻武寿が昇格。
- 会員数が500万世帯に[4]。
- 1月1日 池田が「法悟空」(ほうごくう)のペンネームで『聖教新聞』紙上で小説『人間革命』の連載を始める。
- 7月 『聖教新聞』が日刊化される。
- 10月 正本堂建立のため4日間の供養が行われ、目標の50億円をはるかに超える355億円が集まる[7]。
- 1月29日、 第31回衆議院議員総選挙において「公明党」の候補が25議席を獲得し、衆議院に初進出。
- 会員数が650万世帯に[19]。
- 会員数が688万世帯に[19]。
- 12月27日 日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じる。以降、マスメディアや国会で取り上げられ、社会問題となる(「言論出版妨害事件」)。
- 会員数が700万世帯に[19]。
1970年代 [編集]
- 5月3日 池田が「言論出版妨害事件」について、公式に謝罪。創価学会と公明党を組織的に分離することなど組織改革を表明。
- 6月25日 第8回公明党大会で、党綱領から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの仏教用語を削減することを決定[7]。
- 会員数が755万世帯に[19]。
- 財務制度を再開[7]。
- 10月4日 直前に講中解散処分を受けた妙信講男子部が暴走。部員70人が創価文化会館を襲撃し、牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。学会では警視庁に機動隊出動を仰いで鎮圧、妙信講側に12人の逮捕者を出す。後に山崎正友を中心とした工作で妙信講側が乗せられたと判明するが、和泉理事長は声明で妙信講を「狂信的過激派」と激しく非難、両団体の対立はこの時点で事実上修復不可能となった。
- 10月29日 和泉が理事長と代表役員を退任。後任に北条が就く。
- 11月4日 前月の本部襲撃がきっかけで妙信講講頭の浅井甚兵衛とその息子の昭衛(現在の冨士大石寺顕正会会長)が宗門から除名される。
- 12月28日 日本共産党との間で、向こう10年間の「相互不干渉」、「共存」をうたった「創共協定」を締結[18]。
- 1月 グアム島において、創価学会の世界的組織、「創価学会インタナショナル」(SGI)が設立される。池田大作が会長に就任。
- 池田会長が創価学会本部に宗門法主・細井日達の認可を受けて赤沢朝陽に謹刻させた本尊を安置し、導師として入仏式を行なう。他の7体の本尊も海外を含む各地に安置された。後に、認可の事実を日達が失念したことで、一部若手僧侶の暴走を招き教義逸脱の問題へと発展する。
- 5月3日 全国の男子部と学生部の代表メンバーを集め、池田会長が直接指導する「伸一会」を結成[24]。
- 11月 副会長の職を設置。北条、秋谷栄之助、森田一哉の3人が就任[7]。
- 1月 池田会長が第9回教学部大会における「仏教史観を語る」と題する講演で「出家も在家も同格」と発言(52年路線)[7]。
- 墓苑事業を始める[25]。
- 5月 民社党の春日一幸から公明党委員長、竹入義勝に国会で池田大作の豪華専用施設等について調査し、質問する旨を知らせる手紙が届く[7]。
- 財務部員に限られていた財務を「特別財務」として全会員に広げるための試みが始まる[7]。
- 6月30日、『聖教新聞』紙上で「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを表明。
- 11月7日 創価学会創立48周年記念登山代表幹部会として、2千人の創価学会幹部、全国の教師らが大石寺に出向き、日達の失念に起因する、いわゆる「本尊模刻問題」について全面的に責を負うかたちで謝罪(通称「おわび登山」)。
- 4月24日 池田が[18]会長職を辞任し、名誉会長に就任。新設された会長選出委員会の第1回会合を行い、北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。会長の任期を終身から5年に変更[19]。
- 4月26日、池田が法華講総講頭を辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日達より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。
- 5月3日 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに日達の不始末に起因する一連の宗門問題が終結する。
- 7月22日 日達が遷化(死去)。この時、日達は次期法主を指名していなかった。
1980年代 [編集]
- 1986年
- 7月 会長選出委員会で秋谷会長を再選。任期制度導入後初の会長再選となった。
- 8月 幹部会の衛星中継が開始[4]。
1990年代 [編集]
- 12月16日 宗門から、宗門や管長などを批判した幹部会での池田名誉会長の発言内容を質す「お尋ね」文書が届く[7]。
- 12月27日 宗門は法華講総講頭に任期制を導入。これにより1990年末の任期終了と共に池田は法華講総講頭の資格を自動的に失うことになる。
- 10月 栃木県・淨圓寺所蔵の日寛書写(享保五年)の曼荼羅御本尊を御形木御本尊として、世界の会員に授与することを制定。
- 12月18日 オウム真理教が創価大学キャンパス内でサリンを使い池田を殺害しようとする。牙城会員数人が被災。この後、本部、全国各地の会館、創価大学、創価学園などの警備が厳重になる。
- 1月 公式ウェブサイト「SOKAnet」を開設。
- 12月1日 宗門の「宗規」の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。
- 5月 大石寺正本堂が解体される。
2000年以降 [編集]
- 9月 東京・信濃町に創価世界女性会館が開館[13]。
- 5月 アメリカ創価大学を開校。
- 7月 会長選出委員会で秋谷、会長に5選。
- 4月 会則を変更し、初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。
- 7月 森田理事長が退任。後任に青木亨が就く。
- 9月7日 教学部員の任用試験が全国一斉に始まる[4]。
- 12月11日 海外本部・第二総東京代表協議会で池田がスピーチし、永遠の三指針に新たに2項目を追加。「学会永遠の五指針」とする。
- 9月10日 聖教新聞紙上で「創価学会の勤行と御祈念文の制定」を発表。それまで五座三座の長行だった日々の勤行が大幅に簡略化される。
- 2月20日 この日発売の機関誌「大白蓮華」3月号で、それまで秋谷が担当していた巻頭言が池田の直筆に変更される。
- 7月 会長選出委員会で秋谷の会長6選が決まる。
- 11月8日 秋谷が会長を辞任。直ちに会長選出委員会を開き、原田稔が第6代会長に決まる。同時に青木理事長も退任、後任として正木正明が理事長兼代表役員に就任。秋谷は最高指導会議議長に退いた。
- 11月10日 新時代第1回本部幹部会。原田の会長就任披露を兼ねていたが、池田の提案で回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される。
- 9月22日 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後順次、それまで積み重ねてきた各部幹部会合の回数がすべてリセットされる。
布教活動 [編集]
折伏大行進 [編集]
- 詳細は「折伏大行進」を参照
新時代 [編集]
広布第二幕 [編集]
日蓮正宗との関係 [編集]
昭和52年路線 [編集]
対立が高じ破門となる [編集]
他の宗教や組織との関係 [編集]
小樽問答 [編集]
日本共産党との関係 [編集]
政治との関係 [編集]
政教分離の原則 [編集]
- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
- 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
- すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(憲法14条1項)
- 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。(憲法15条1項)
- 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。(憲法19条)
- 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(憲法21条1項)
- 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。(憲法44条)
- 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。(憲法93条2項)
政府の公明党と創価学会に対する見解 [編集]
政治活動 [編集]
マスメディアとの関係 [編集]
関連メディア [編集]
提供番組 [編集]
- あなたへモーニングコール(TBSラジオ)
- ミュージックギフト〜音楽・地球号(文化放送)
- サウンドトラベル(ニッポン放送)
- 世界名曲大全集(ABCラジオ)
- ごきげんサンデー・ミュージック(MBSラジオ)
- ヒューマントーク〜あの日あの時(アール・エフ・ラジオ日本)
- ヒューマン ストリート(エフエム福岡・エフエム長崎)
- RADIO BREAKERS(エフエム大阪)
- 交通情報(エフエム山口)・・・ただし、半クールごとにスポンサーありとノンスポンサーを繰り返している
事件 [編集]
言論・出版妨害事件 [編集]
電話盗聴事件 [編集]
民事 [編集]
各界との関係 [編集]
芸能界 [編集]
社会的評価 [編集]
離反者による批判 [編集]
社会的批判への対応 [編集]
世界諸国との関係 [編集]
アジア [編集]
関連する企業・団体 [編集]
団体 [編集]
- 宗教
- 創価学会インタナショナル(SGI)
- 政党
- 学校
- 芸能・芸術
企業 [編集]
- メディア
- 「潮出版社」
- 「第三文明社」
- (なお、「聖教新聞社」は「創価学会」の出版部門であって一般企業ではない)。
- 「シナノ企画」:また、会員向けのビデオソフトの企画製作や販売を行う
- 「鳳書院」(書店・不動産)
- 「東弘」(広告代理店)
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