犯罪の半分は社会の責任、半分は本人の責任
通り魔も、被害者も、犠牲者である
「先月下旬に服役していた新潟刑務所を出たあと、住む家も仕事もなかった。通帳に最後に残っていた20万円を引き出したところで、『もうこれだけしかないのか』と生きる意欲を失い、自殺を考えるようになった」
弱いモノ(通り魔)が、弱いモノ(被害者)を殺す。どちらも、犠牲者です。
通り魔は、社会の制度(死刑)を利用して、自殺した。
「自殺しようと思ったが死にきれず、人を殺せば死刑になると思った。誰でもよかった」
通り魔は、自身で、自殺もできないほどの弱者です・・・
元来なら、通り魔をこのような状況に追い込んだ、強者と戦って、死ぬべきだ・・・
ボブ・マーリィは、そう述べている
たとえば、警官を襲って、撃ち殺される・・・
通り魔は、それもできないほどの弱者だろう・・・
無差別殺人犯金川と異なって、心斎橋通り魔は、今、死刑になるので、絶望的に怯えているだろう・・・
これは、老婆の渋谷通り魔・・・
「所持金もなく、事件を起こせば生活は警察が何とかしてくれると思った」
警察がなんとかしてくれる、国が死刑にしてくれる
通り魔が日本の社会(国)にしっぺ返ししている(作用反作用の法則)
通り魔が最後に頼ったのは、警察や国である
ずっと監獄に捕らわれている人生よりも、自由のために戦って死んだ方が良い - ボブ・マーリィ
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