昔は良かったという気は毛頭もない。昔のような「対抗文化」である必要はないが。。。
最近は、「ポップ・カルチャー」というのが注目されているみたいだが。。。
●「サブ・カルチャー」的なものがいろいろ現れてくると面白いのかも?
●対抗文化のような二元論でなく、多様なサブ・カルチャーが出現するのが生物学の観点からもサバイバルに適しているのでは? つまり多元論。
★日本がポップ・カルチャーを目指すと言うのなら、多様なサブ・カルチャーの集合体としてのポップ・カルチャーであるべき! ポピュリズムのポップ・カルチャーでは面白くも何ともない、というかすぐに飽きる。
★二元論の中にグラデーションをつけて多元論を実現すると言う手法はありえると思う。
★二元論を超えて多元論を実現することが本質的だと思うが、最初は困難だと言う気がする。
カウンター・カルチャー【counter-culture】
対抗文化。支配的な文化に対するもうひとつの文化。1960年代のアメリカで、高度管理社会に抗して現れた。都市コロニー・コミューン・大学解放区を拠点に、反戦運動などを展開。
-> カリフォルニア大学・バークレー校のフリー・スピーチ・ムーブメントが敗退し、その後のヒッピー文化など、逃避文化に変質したと個人的には思っている。
サブ・カルチャー【subculture】
下位文化。正統的・支配的な文化ではなく、その社会内で価値基準を異にする一部の集団を担い手とする文化。
ポップ・アート【pop art】
商品・広告・漫画など大衆文化のシンボルをそのまま素材とする前衛芸術。1960年代のアメリカを中心に広がる。ニュー・リアリズム。
ポップ・カルチャー【pop-culture】
->今日本でもてはやされている「ポップ・カルチャー」とは、 ポップ・アートの延長でしかありえないと個人的には感じている。
青柳洋介
追伸:宮田さん(東大教授)の見解、日経BPの記事より
アウトサイダーを許容し、支えるべし
限界に挑むアウトサイダーを許容することが大切なのだ。古来、文化も経済も科学も、挑戦する人々が支えてきた。
残念ながら、現在の日本では、挑戦する人の比率が下がっているように感じる。大学で私が学生たちに「世界一に挑戦しよう」などと言うと、キョトンとした反応が返ってくる。「僕は平和で豊かな生活をするために勉強しているのです」と言いたげな顔が並んでいるのだ。
もし、大学で私が感じているように安定志向で物事を考える若者の比率が高まっているのだとすれば、それは日本のリスクの1つである。限界に挑むことによって、文化や文明とまでいわなくても、何か1つ、世の中に存在しない事象を創造できれば、最高の喜びが与えられる。これを若者に理解してもらうことがイノベーションの原点である。
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日本でも芸術の世界では、川崎財閥の松方コレクションのように経済界に多くのパトロンがいた。しかし、今の日本は景気回復が叫ばれるものの、文化力は低下傾向にあるのかもしれない。限界に挑戦するアウトサイダーを支えるパトロンは減っているのではないか。
繰り返す。イノベーションにとって一番大切なのは、挑戦する人、限界に挑む人に場を与え、彼らを育て、称賛することなのだ。
CoBrA
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アート・ハーバー 青柳 洋介
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