やはり、日本は、南家(ナンチャ)だった・・・
摩訶不思議~~~
天 月
大極
日 地
と
ロシア(北)
中国(西) アメリカ(東)
日本(南)
を合成すると?
やはり日本は、日だろう・・・ だとしたら?
これが、バランスの良い感性系なのかな? 完成形なのかな?
天(中国) 月(ロシア)
大極
日(日本) 地(アメリカ)
おそらく、これで決まり・・・
議長国は中国、そして、日月の関係が、日露、天地の関係が、中米
うまくいきそうな気がするが・・・
大極は? ガイアだと考えればよいのかな?
アメリカが大地・・・
天に浮かぶは、日月・・・・
風景が見えた・・・ アメリカの大地に立って、天を仰ぐと、日輪と、月星が見える・・・
大地といえば、パール・バック、確か、アメリカ人じゃなかったっけ?
まさしく、パール・バックこそ、天地を紡ぐ女・・・ キー・レイディだ~~~
中米をつなぐ貴婦人だ~~~
パール・バックのトリロジーは、これか~~~
代表作『大地』を発表してピュリッツァー賞を受賞。『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作『大地の家』を構成。
僕は、TSMDだが・・・
---Wikipedia

ノーベル賞受賞者
受賞年: 1938年
受賞部門: ノーベル文学賞
パール・サイデンストリッカー・バック(Pearl Sydenstricker Buck, 1892年6月26日 - 1973年3月6日)はアメリカの女流小説家である。宣教師の両親と中国(中華民国)に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、代表作『大地』を発表してピュリッツァー賞を受賞。『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作『大地の家』を構成。ノーベル文学賞受賞者でもある。
パール・コンフォート・サイデンストリッカー(Pearl Comfort Sydenstricker)としてウェスト・バージニア州ヒルスボロで生まれたが、生後3ヶ月で父カリー・サイデンストリッカーとともに中国江蘇省の鎮江に渡った。英語よりも中国語を先に覚えた。中国名:賽珍珠(サィ・チンシュ)。1917年、帰国してランドルフ・マコン女子大学に入学、1924年に卒業し母校で心理学の講師をしていたが、母の病気の知らせを受けて中国に戻った。1917年、農業経済学者のジョン・ロッシング・バックと結婚し一時南京大学、南東大学で英文学を講義する。1926年、一時帰国してコーネル大学で修士号を取得した。1932年、ニューヨークの講演が原因で長老派伝道委員から非難され宣教師の地位を辞した。1938年のノーベル文学賞受賞は、スウェーデンの探検家・学者スヴェン・ヘディンの推薦によるものである。
小説やノンフィクションの他に、児童書や絵本も執筆した。
また7人の孤児を養子として自らの手で育てたり、谷本清の広島における平和活動への支援もおこなった。
加えて、すごそうな本が出てきた・・・
大地の文学―増補 賢治・幾多郎・大拙 (単行本)
小野寺 功 (著)
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
詩作と思索の幸福な出会い。賢治「大地の文学」、幾多郎「大地の哲学」、大拙「大地の宗教」が切り結ぶとき、アニミズムを超えた「存在詩」が立ち現れる!新論考「賢治の霊性文学」を加えた増補決定版。
内容(「MARC」データベースより)
宮沢賢治「大地の文学」、西田幾多郎「大地の哲学」、鈴木大拙「大地の宗教」が切り結ぶとき、アニミズムを超えた「存在詩」が立ち現れる! 新論考「賢治の霊性文学」を加えた01年刊「賢治・幾多郎・大拙」の改題増補改訂。
登録情報
単行本: 324ページ
出版社: 春風社; 増補版版 (2004/10)
ISBN-10: 4861100194
ISBN-13: 978-4861100192
発売日: 2004/10
商品の寸法: 19.2 x 13.6 x 3.2 cm
金曜日, 12月 12, 2008
陰陽大極図とSatellite -> 陰陽大極連星

陰陽大極図とSatelliteの関係が分かった・・・
つまり、陰陽大極図とは?
陰が陽の周りを回るSatelliteであり、同時に、陽が陰の周りを回るSatelliteのモデル・・・
つまり、陰陽衛星だと考えれば良い・・・
イメージするのは少し難しいが、陰陽大極図の小さな白丸が陽であり、その周りの黒い勾玉のようなものが、陽の周りを回る陰であり、同時に、小さな黒丸が陰であり、その周りの白い勾玉のようなものが陰の周りを回る陽である。
これが、陰陽大極図、つまり、陰陽衛星である・・・
このイメージを捉えるには、相対性理論を頭の中にイメージできないと難しい・・・
陰陽が互いに互いの衛星となっている。同時に、陰陽はそれぞれが核でもある・・・
これを
陰陽大極連星
と呼ぶことにした・・・
Creator Aoyagi YoSuKe
みなさん、これこそ、男女・機会均等のシンボルですが・・・
そう、思いませんか?
陰になり、陽になり、、、男女、陰陽は複雑な関係を持ちつつも、それぞれが、ケース・バイ・ケースで、陰になり、陽になり・・・ 男が陽で、女が陰で、などという固定観念は古い・・・ 陰陽入り乱れる・・・ ケース・バイ・ケース、、、
そして、ある瞬間を捉えると、陰陽大極図になっている・・・
男が陽の場合もあれば、陰の場合もある・・・
女が陽の場合もあれば、陰の場合もある・・・
オカマさんは、複雑系なので、かなり複雑な色になる・・・ もしかしたら、レインボー陰陽の図ができるのでは?
例えば・・・
このようなもの・・・

陰陽大極図に相対論的イメージを融合して、三次元、さらに、四次元世界で捉えたものが、陰陽大極連星。
つまり、陰の星も、陽の星も、それぞれが自転をし、それぞれが互いに互いの周りを同時に公転している。そして、究極のバランスを取っている。陰陽大極図中の小さな白丸が陽の星、黒丸が陰の星である。そして、勾玉のようなものが、互いに及ぼしあっているエネルギーの姿である。陽の星には陰のエネルギーが影響を及ぼし、陰の星には陽のエネルギーが影響を及ぼす。
そして、陰陽の連星の究極のバランスを二次元的に示したのが陰陽大極図である。これを三次元、四次元に拡大してイメージすると、陰陽大極連星がどのようなものであるか想像できる。
そして、陰陽大極連星は互いにバランスを取りながら、宇宙を漂う・・・ キューブリックの2001年宇宙の旅で、宇宙空間を漂っていたのは単独のモノリスだった・・・ それに比べて、今、発見した陰陽大極連星は、エチオピア暦2001年宇宙の旅で、宇宙空間をバランスを取りながら漂っている・・・つまり、四次元時空を漂っているのである。
くわえて、韓国国旗の中に見られる陰陽大極と卦の関係は?
陰陽大極図の中の小さな丸は、魚眼と呼び、日月を現しているようだが、陰陽大極連星のイメージは、さらに一般化して、宇宙を漂う陰陽連星とした。
白地は平和の精神を表し、中央の赤と青からなる「太極円(太極文様)」は、陽・陰がひとつになり万物を創造する、創造の精神を表しているとする。まわりの四卦は向き合っているもので一つの意味を持っているとする。乾が天、坤が地の無窮の精神を表し、坎が月、離の日の光明の精神を表しているとする。
乾坤が天地の無窮の精神、坎離が月日の光明の精神を表す。
そして、韓国国旗では?
天 月
大極
日 地
金曜日, 12月 12, 2008
韓国国旗 - 摩訶不思議?!?

韓国の国旗が、6か国協議に見えてきた・・・
日韓がうまく調整すれば、核問題、拉致問題は解決するのでは?
真ん中の大極マークが、日韓に見えてきた。
周りの卦が、4カ国・核麻雀に見えてきた・・・
天 月
大極
日 地
日曜日, 5月 03, 2009
世界遺産麻雀再開~~~
ロシアのプーチン首相がジャン卓のリセットボタンを押しに来る。
そして、世界遺産麻雀の再開~~~
東 アメリカ
南 日本(三カ国連合)
西 中国
北 ロシア
再開の前に、三カ国連合を説明しておく。
北朝鮮、韓国、日本
代表 日本
北朝鮮のテポドンはアメリカに向けて、発射された。
そして、結局は、ロシアが人工衛星光明星を宇宙開発の一環として、引き受ける。
以上をもち、テポドン問題は終わり。
そして、麻雀を行っている間に、朝鮮・ハングル・日本語族同盟で、内紛を決着する。
基本線は?
拉致問題 <-> 慰安婦問題
日韓交流(為替差益・差損トラベル)
つまり、ウォン高になれば、韓国から日本へ人が流れる。
円高になれば、日本から韓国へ人が流れる。
これは、すでに、実証済み。
そして、板門店は、南北鉄道の関所になる。さすがに、ここの通過には、通行手形(ビザ)が必要である。
日韓交流は、すでに、ビザを廃止したのかな?
そして、本番のマージャン大会。
ロシアがジャン卓のリセットボタンを押す。
パイが自動的にジャン卓に出てくる。
ロシア(北)
中国(西) アメリカ(東)
日本(南)
まずは、東のアメリカがパイをつもって、河(ホー)に捨てる。
通常のマージャンと若干異なるようだ・・・
次に、南家の日本がパイをつもって、河に捨てる。
西の中国、北のロシア・・・
ぐるぐる回って、最後に、中国(議長国)が海底(ハイテイ)にパイを捨てる。
そして、流れて、終局。
この間に、拉致問題、核問題が解決しているだろう。
戦略)
日本(省エネ技術) -> アメリカ
日本 <- アメリカ(システムデザイン技術)
日本(インフラ整備、道路、建設、携帯電話、自動車) -> 中国
日本 <- 中国(禁毒入り食糧、製品、商品など)
日本(シベリア鉄道再開発事業) -> ロシア
日本 <- ロシア(ガスの安定供給)
その間に、日朝問題は日本がリーダーシップを取って決着をつける(北朝鮮、韓国、日本)。
日中間の懸案事項である、歴史認識、教科書、靖国問題などは、互恵関係の下に、日中で決着をつける。
また、核問題については、すでに、核廃棄手順を決定済みなので、それに従って、実施する。
これに関しては、アメリカがリーダーシップを取る。中国とロシアが承認する。
中国が海底にパイを捨てて、場が流れた時に、六カ国協議は終了宣言を出して、終決する。
こんな感じかな?
Creator Aoyagi YoSuKe
つまり、今回のマージャン大会は、アジア経済圏を構築するための第一歩である・・・
投稿者 AO 時刻: 5/03/2009 11:43:00 午後
ラベル: AO, ART HARBOUR

伏羲先天八卦の生成
これは儒教経典の一つである『易経』繋辞伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の宇宙生成論に由来しており、円で表される天地未分の太極の中に両儀=陰陽が生じている様子を描き、四方に配されている四卦は、八卦を代表する四正卦(乾・坤・坎・離)であるとともにその初爻と第二爻で両儀から生じる四象(太陽・少陰・少陽・太陰)を表し、いわゆる伏羲の先天図である。太極旗と呼ばれ、朱子学にもとづいた先天太極図(古太極図)系統の太極図―いわゆる陰陽魚の太極図―ともいえるが、卦を大きく配して四象を兼ね、より先天図としての特徴が分かりやすい図案になっている。先天太極図と比べてみるならば、まず一般的に白黒で配色される陰陽が、韓国国旗では赤青で彩色されている。また先天太極図に特徴的な陰中陽と陽中陰を表す魚眼が欠けているが、これは魚眼部分が表す坎・離の卦を円外に配して円内は純粋に陰陽両儀のみを表しているためで、先天太極図が円内に太極-両儀-四象-八卦すべてを重ねる構図であるのに対して韓国国旗は太極と両儀、四象と八卦を重ねつつ順に四方へと広げていく構図といえる。周りの卦は伏羲先天八卦方位に配されているが、八卦を四卦に減らしたために四正卦の南北東西が上下左右に配置される先天太極図とは異なり、左上・右下・左下・右上の四隅に配置されている。
---Wikipedia
大韓民国の国旗(だいかんみんこくのこっき)は通称太極旗(たいきょくき)と呼ばれる。白地の中央にある円で「太極」を表し、その中に赤と青の2色からなる「陰陽」があり(青部を上に掲揚するのは逆さであり誤りである)、その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。
太極旗は李氏朝鮮の高宗時代、1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗として採用された。
制定当初の太極旗の実物は本国に残っておらず、アメリカのスミソニアン博物館所蔵の1884年製の太極旗が実物サイズでもっとも古いものである。また、それを絵で伝えたものが他国の史料のなかに残されている。従来、太極旗の八卦を四卦に減らし左に45度傾けたデザインは朝鮮の特命全権大使兼修信使である朴泳孝が1882年8月に日本に向かう船の中で考案されたものとされてきたが、1882年7月に米海軍省 (Navy Department) の航海局 (Bureau of Navigation) が発行した『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations) 第5版に収録されたものが2004年に発見され、現在のところ、公式に視認できる最古のものとなったため、朴泳孝以前にすでに考案され使用された可能性が出てきている。デザインは現在のものと若干の違いがあり、現状のものに確定するまでに細かく変遷しているようである。初期のものの中には太極円内の陰陽が赤黒のものなども存在し、卦の大きさや位置、太極の構図などが細かく換えられたりするなどして現在のデザインに落ち着いた様である。
李氏朝鮮の国旗制定が具体的な問題として浮上したのは、1880年、日本から帰国した修信使金弘集らが清の駐日公使館参事官黄遵憲が書いた『朝鮮策略』を持ち帰ってからである。『朝鮮策略』はロシアの南下政策に対して朝鮮がアメリカと連合すべきとする書物であるが、ここではじめて朝鮮の国旗の図案についての言及があり、朝鮮が清の冊封国であることを強調するため、清朝旗のように龍を図案に入れることを主張している。そこで李氏朝鮮は国旗制定にあたり、清の助言を求めたところ、北洋大臣李鴻章は朝鮮国王の御旗である画龍方旗が清の黄龍旗と似ていることからこれを国旗としてもよいのではないかとした。具体的な国旗の図案についての議論が行われたのは、検証されなかった設によれば、1882年4月、朝米修好通商条約締結を斡旋するために訪れた清の馬建忠と金弘集の会談においてである。その筆談の内容を記録した『清国問答』によると第1次会談で馬建忠は条約締結において国旗が必要であり、朝鮮人の服色である民の白、臣の青、王の赤にちなんだ白底青雲紅龍の図案を提案し、金弘集はこれを了承している。しかし、第2次会談において金弘集は青雲と紅龍は作るのに手間がかかるため、赤地に青と白が交わった円の図案はどうかと述べたが、これに対して馬建忠は地は白で中央に半紅半黒の太極文様を描き、その周囲に朝鮮八道を象徴する八卦を配した古太極図の図案を提唱し、金弘集はこれを受け入れたとされている。ちなみに「清国問答」は日本新時代社週刊「橋樑」2002年7月15号に引用されているが、原本の存在は疑わしい。原本の存在が確認された根拠によれば,1882年10月2日、日本の日刊新聞『時事新報』が 根拠となる。「中国の馬建忠が朝鮮の国旗は清国の国旗と似たもようを使うことを指示した。 これに国王は憤慨して、絶対に中国の国旗をまねないといって他の模様を作ることを指示したという。」[1] 太極旗製作年度のような時期の、外国でみた客観的な資料で、価値が大きいと言える。
その2か月後、壬午事変が起こり、日本との間に済物浦条約が結ばれた。済物浦条約の規定に従い謝罪の使節として朴泳孝らが派遣された。朴泳孝がその4か月間のことを記した日記『使和記略』によると8月9日に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスに八卦と太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長が八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45度傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日、神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日、太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したとされる。以上が四卦太極旗製作に関する通説であったが、上記のようにこれより早く四卦太極旗を描いたと思われるアメリカの史料が発見されたため見直される可能性がある。
翌1883年旧暦1月27日(3月6日)、統理交涉通商事務衙門の指示によって八道四都に通知され、太極旗が正式に国旗として使われるようになった。
白地は平和の精神を表し、中央の赤と青からなる「太極円(太極文様)」は、陽・陰がひとつになり万物を創造する、創造の精神を表しているとする。まわりの四卦は向き合っているもので一つの意味を持っているとする。乾()が天、坤()が地の無窮の精神を表し、坎()が月、離()の日の光明の精神を表しているとする。
投稿者 AO 時刻: 12/12/2008 08:56:00 午後
ラベル: ART HARBOUR
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