7年に一度、申年ととら年に行われる・・・
命がけの祭りである。
岡本太郎が御柱に乗りたいとお願いしたが、断られたそうだ、笑い
いくら命知らずでも、御柱は神聖です - 諏訪大社
だよね? 神主さん?
AO
本日、夢を見た・・・
神社の四隅を仕切った、
四隅とは? カド、よって、ミカド(帝)が仕切るのでは?
ミカドの子が、ミコ(巫女)じゃないの?
訳が分からない夢を見たばかり・・・
魔法陣の場合は?
12使徒? 12カド?
真ん中が魔法使い?
ポセイドンの魔法陣は? これじゃないの?
◆青龍の魔法陣◆
↑北
| | | 海王 | | | |
| 風虎 | | 翼人 | |
古鏡 | | | | 指輪 |
牧人 | | 青龍 | | 戦車 |
通火 | | | | 黒剣 |
| 原蛇 | | 野鎚 | |
| | 八弦琴 | | |
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御柱(おんばしら、みはしら)または
御柱祭(-さい、-まつり)とは
長野県諏訪地方で行われる
祭である。
諏訪大社における最大の行事である。正式には「式年造営御柱大祭」といい、
寅と
申の年に行なわれる
式年祭である。また、
長野県指定無形民俗文化財である。正確には満6年間隔で行われる「6年に一度」なのだが、慣例として
数え年の7年目ごとという意味で「
7年に一度」と表記されることが多い。最近は「7年目」もしくは「数えで7年」という表記に変わりつつある。大きくは「山出し」と「里曳き」にわかれそれぞれ4月と5月に、そして上社と下社は一週ずらした金曜日から日曜日に行われる。この年は祭りの週だけ金曜日から日曜日の3連休とする企業があるほどの、諏訪地方あげての一大行事である。
また大社での開催年を中心に、全国の
諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭(小宮祭)が実施される。
歴史 [編集]
起源は、
平安時代以前とされる。諏訪大社は五穀豊穣、
狩猟・風・水・
農耕の神として古くから信仰されておりそれらを祈願するものであったと推測される。
江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曳き建てが行われている。
神話伝説 [編集]
実際には記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いといわれている。神長官守矢氏の伝えるところによるとこの御柱は
ミシャグジの依り代であるという。
概要 [編集]
山中から御柱として
樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、長野県諏訪地方の各地区の
氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。この御柱祭りは7年目ごとに行われ、柱を更新する。
日本三大奇祭のひとつとされる。氏子は、
木遣りや
喇叭に合わせて曳行する。
建御柱の前後に本来の式念祭といえる宝殿の造営がされるが、一般には取り上げられることが少ない。これは御柱の曳行と建立が氏子の奉仕によって行われるのに対し、宝殿の造営と遷座は諏訪大社神職が中心となり執り行われる行事のためである。
前回の開催は
2004年で、直近の開催は
2010年である。2004年、2010年共に主要行事は以下の日程で行われる。
- 4月2日~4日:上社山出し
- 4月9日~11日:下社山出し
- 5月2日~4日:上社里曳き
- 5月8日~10日:下社里曳き
- 5月7日:下社宝殿遷座祭
- 6月15日:上社宝殿遷座祭
里曳きでは御柱の曳行とともに、騎馬行列や長持ちなど華やかな出し物が催され多くの観客を集める。また下社山出しにおける木落としは全国でも
大阪府岸和田市の
だんじり祭りと並ぶ危険な行事として知られ、負傷者や死者が出ることも珍しくない。
担当地区 [編集]
- 諏訪大社上社
- 茅野市、諏訪市(上諏訪地区を除く)、諏訪郡富士見町、原村
- 上社の担当地区割は明治時代に諏訪郡の村別に8地区の枠組みが決められ、1902年の祭より現在の形になっている。担当の御柱は祭り2ヶ月前に、上社本宮での抽籤式に於いてくじ引きで決定される。伐採は当年茅野市神之原区の伐採奉仕会が行う。担当地区は伐採、山出しから曳行、建御柱まで担当の御柱のみに携わる。
- ここでは2010年の担当地区(抽籤結果)を記載する。
- 本宮一之御柱 諏訪市中洲・湖南
- 本宮二之御柱 富士見町本郷・落合・境
- 本宮三之御柱 茅野市ちの・宮川
- 本宮四之御柱 茅野市北山・米沢・湖東
- 前宮一之御柱 諏訪市四賀・豊田
- 前宮二之御柱 原村・茅野市泉野
- 前宮三之御柱 富士見町富士見・茅野市金沢
- 前宮四之御柱 茅野市玉川・豊平(豊平には中大塩を含む)
- 諏訪大社下社
- 岡谷市、諏訪市(上諏訪地区のみ)、諏訪郡下諏訪町
- 下社の担当地区は慣例により取り決められており、抽選はしない。また山出し、里曳きで担当の柱や地区も変わる。
- 山出しの担当地区
- 秋宮一之御柱 下諏訪町(1・2・3・7・9区)
- 秋宮二之御柱 諏訪市上諏訪
- 秋宮三之御柱 下諏訪町(4・5・6・8・10区)
- 秋宮四之御柱 岡谷市旧市内(岡谷・新屋敷・小尾口)
- 春宮一之御柱 岡谷市旧市内(小井川・小口・今井・西堀・間下・上浜・下浜)
- 春宮二之御柱 岡谷市長地
- 春宮三之御柱 岡谷市川岸
- 春宮四之御柱 岡谷市湊
- 里曳きの担当地区(初日)
- 秋宮一之御柱 岡谷市川岸
- 秋宮二之御柱 諏訪市上諏訪
- 秋宮三之御柱 下諏訪町(2・3区)
- 秋宮四之御柱 下諏訪町(4・5・8・10区)
- 春宮一之御柱 岡谷市旧市内全地区
- 春宮二之御柱 岡谷市長地
- 春宮三之御柱 下諏訪町(1・6・7・9区)
- 春宮四之御柱 岡谷市湊
- 里曳きの担当地区(2、3日目)
- 秋宮一之御柱 諏訪市上諏訪
- 秋宮二之御柱 岡谷市湊・川岸・長地
- 秋宮三之御柱 岡谷市旧市内全地区
- 秋宮四之御柱 下諏訪町
上社の御柱 [編集]
上社の全ての御柱には
メドでこ(しばしば
メドとも)と呼ばれる
角(つの)のような柱がV字型になるよう柱の前後についているが、これは上社の男の神を表すシンボルとされている。このメドに氏子がしがみつき、左右にゆらしながら、おんべを振る姿は圧巻である。
御柱は、山出しの一ヶ月前に伐採される。里曳きの直前には建御柱に備え昔からの慣例のある諏訪市中洲・湖南地区の柱を除き、樹皮がはがされる(本来は樹皮を剥がさなかったが
1986年頃、一部地区にて樹皮を剥がした御柱があり他の地区もこぞって真似し現在に至る。樹皮をつけたままだと6年間の間には樹皮が剥がれ落下し危険なため現在は全ての御柱が樹皮を剥がした状態で境内に建立される)。綱打ち、メドてこを揺らす練習等、事前に御柱を美しく曳行する準備が行われる。
山出し [編集]
山出しでは
茅野市、
原村境の綱置場から茅野市安国寺の御柱屋敷までの御柱街道と呼ばれる約12kmを本宮一之御柱、前宮一之御柱から前宮四之御柱の順に曳行する。
穴山の大曲 [編集]
茅野市の穴山地区に差し掛かると、玉川郵便局付近で
穴山の大曲と呼ばれる鋭角な左90度曲がり角の難所がある。カーブのため綱を引く力が柱には伝わりにくくなるので全てがうまく協調しないとうまく曲がる事が出来ない。この辺りは道幅が狭く民家の間を通らなくてはならない為、メドてこが民家等を損傷することもある。そのようなことが起こらない為に、御柱の方向転換等をつかさどる
てこ衆と呼ばれる人々は細心の注意を払って御柱の曳行を管理する。
木落し [編集]
氏子をメドてこに乗せたまま、御柱を傾斜約30度の木落し坂から落とす。祭りの中でもっとも危険な行事であり、過去に幾人もの死傷者を出してきた。下社と上社とでは趣が異なり、下社木落しが勇壮盛大であるのに対して上社木落しはメドてこがいかにV字のまま落ちるかという「美しさ」が重視されているようである。会場は観衆によって埋め尽くされる。その後、
JR東日本中央本線の
線路の
桁下を通す為に一時的にメドてこが抜かれ
国道20号線の交通を遮断して横断する。昔は中央本線の
列車を止めて、線路上を横断していた。当日現場を通行する列車は線路内に人が立ち入る危険があるため
徐行する。
川越し [編集]
上社山出しのラストイベントである。茅野市中河原と安国寺の境にある、幅約40mの宮川を越える。4月頭の水温は雪解け水のため限りなく低い、その中、御柱を曳く綱を渡し川を越える。2004年は
日没後、
雪が降る厳しい状況で行われた。川越しを終えるとすぐに御柱屋敷であり、里曳きまでの1ヶ月間安置される。上記の木落しと川越しは場所が広く、見せ場でもあるために曳行用の片側7~8人乗りのメドてこではなく10~12人ほど乗れる大きなメドてこに付け替える地区も多い。しかしその巨大さ故に衝撃で折れるなどの事故もしばしば発生する。
里曳き [編集]
里曳きでは、御柱屋敷から御柱を曳行する。前宮は御柱屋敷から1km弱、本宮は同2.5kmの道程である。本宮一、本宮二の順で本宮の御柱を曳き出し次いで前宮一から前宮の御柱を曳き出す。距離が短いのでゆっくりと曳行される。騎馬行列(お騎馬)、花笠踊りや長持ち奴などが祭りに華を添える。上社お膝元の地元神宮寺区民による騎馬行列(お騎馬)は
里曳きの警固の行列であり、
奴振りの妙技が披露される。花笠踊りや長持ち奴は、周辺地区から何十組もも参加がある。
建御柱 [編集]
祭りのフィナーレといえる。各宮の四方に柱を立てる。この際、御柱の頭を三角錐に切り落とす
冠落しが施される。
1998年の
長野オリンピックの開会式では建御柱を行った。
下社の御柱 [編集]
山出し [編集]
木落し [編集]
里曳き [編集]
建て御柱 [編集]
小宮祭 [編集]
大社での開催年を中心に、全国の
諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭(小宮祭)が実施される。その中で代表的なものが
塩尻市の
辰野町境界付近にある
小野神社(信濃国二之宮)の御柱祭で諏訪大社の御柱祭の翌年(
卯と
酉の年)に行われる。諏訪大社の勇壮さに比べ小野神社の御柱祭はきらびやかな衣装が特徴であり、「人を見たけりゃ諏訪御柱、綺羅を見たけりゃ小野御柱」などと昔から言い伝えられているものである。
参考文献 [編集]
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