事実と、キヨサキの個人的な主張との区別が重要だ 事実は事実であり、個人の主張は主張である 事実は認めるが、個人の主張はその妥当性を評価すべきである 何でもかんでも、信じない、何でもかんでも、鵜呑みにする => バカ キヨサキの視点に抜けている決定的な点は? ローマクラブの成長の限界である 化石時代の終焉である・・・ 2010年9月29日 | (不定期更新) |
第71回 超富豪(メガリッチ)の台頭
21世紀最初の10年が終わった。多くの人が、「出足でつまずいた」と悔しい思いをしている。新世紀は、いわゆる「2000年問題」──2000年を迎えたとたんに世界中のコンピュータがマヒしてしまうのではないかという脅威──で幕を開けた。2001年9月11日、同時多発テロが発生。そして、高い代償を伴う2つの大きな戦争がこれに続いた。さらに、ITバブルとその崩壊、不動産バブルが起こり、サブプライム問題を震源とする市場の大暴落がとどめを刺した。世界同時恐慌を防ぐために何兆ドルという紙幣が印刷されたが、これは未曾有の事態だった。それは、「持てる者」と「持たざる者」との格差をますます広げ、金融危機をさらに長引かせる結果になっている。 だいたいどの10年にも、それぞれの特色がある。1960年代は「ヒッピーの時代」だった。1970年代の平和運動は、ジョン・トラボルタが踊る「ディスコ文化」へと姿を変えていく。1980年代には「資本家」が脚光を浴びた。そして1990年代は「IT時代」であり、「オタク族」が一躍人気者になった。 では、21世紀最初の10年間を特徴づけるものとは何だろうか。超高層ビルに飛行機ごと突っ込むような宗教テロリストたちだろうか。それとも、バーナード・マドフやアレン・スタンフォードなど、巨額のねずみ講詐欺で有名になった、超高層ビルの内側から私たちの財産を盗む「金融テロリスト」たちだろうか。あるいは、破たん寸前の社会保障制度や、不透明な投資信託だろうか。はたまた、バラク・オバマとヒラリー・クリントン、ジョン・マケインとサラ・パリンといった、政界の「おかしな二人」だろうか。または、不倫を認めたタイガー・ウッズやエリオット・スピッツアー、ジョン・エドワーズといった大物有名人だろうか。(冗談を言うことが許されるならば、この3人は、『家族が何より大事』というタイトルの本を共同執筆すべきだ。) 今世紀最高のスタート この10年間が、21世紀の幕開けとしてエキサイティングなものだったのは間違いない。次の10年にはどうなるのだろうか。ヒッピーやディスコクィーン、技術オタクや女たらしが過去の遺物だとしたら、次の10年間にはどんな新顔が登場するのだろうか。 2010年から2020年の間には、ニュースになるほど大きな集団が2つ出現すると、私は見ている。ひとつめのグループは「見捨てられし人々」だ。文字通り、社会から見捨てられ、貧しい境遇に追いやられた人々だ。その多くは老いさらばえたヒッピーで、60年代にはこの世を謳歌したが、彼らは、時代に合わせて成長するのを忘れてしまった。ヒッピーだった人が全員「見捨てられし人々」になったわけではない。だが、それほど多くの人が「見捨てられし人々」になってしまったのは、絶滅した恐竜のように、気候の変動に気付けなかったからにすぎない。彼らはただ、自分たちの両親の生き方にならって、学校に行って仕事に就き、マイホームを買い、お金を貯め、老後のために企業年金に加入し、社会保障制度を頼りに、老後は悠々自適のゴルフ人生を送れると信じきっていた。この「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」の公式は、彼らの両親の時代、つまり「戦中世代」のときはうまく機能していた。だから、私たちのときだって、うまくいかないはずがないんだ……それが彼らの言い分だった。 問題は、お金のルールが変わってしまったことだ。1971年、ニクソン大統領が金本位制度を停止し、1974年には確定拠出型年金401(k)の前身といえる制度が登場した。とたんにインフレが起こり、貯蓄する人は敗者となり、借金する人が勝者となった。老後の年金が消えたというのに、人々は不動産や株式市場でギャンブルに興じた。 この先10年、「見捨てられし人々」の話を耳にする機会はますます増えるだろうと思う。立派な教育を受け、一生懸命に働き、成功して良い暮らしをしていた人々が、いざ老後を迎えるとなると、自分は時代に置いていかれたと感じ、無一文になって、政府や家族の援助に頼って暮らさなくてはならなくなる。 若く豊かな新集団次の10年にニュースになるふたつめの集団は、若くてグローバルな新集団「超富豪(メガリッチ)」たちだ。彼らは、国際的な視野を持つ超のつく大富豪で、グローバリゼーションと技術革新の恩恵を受けている。彼らの追い風になっているのは、共産主義の崩壊や経済のグローバル化、そしてインターネットだ。技術の向上によって、インターネットを通じて情報伝達や通信をタダ同然で行うことが可能になった。その影響力は大きい。「超富豪」は、年齢的には今の時点で40歳か、それより若い。 グローバルな新集団「超富豪」の台頭はもう始まっている。その一方で、老舗の大企業が滅びつつある。それは、音楽事業から従来の情報メディア、デトロイトの自動車産業まで、あらゆる業種に及んでいる。彼らは、シリコンバレーやムンバイ、上海やシベリアに登場した起業家たちによって、自分たちが時代遅れで、戦略や価格でも負けていることを思い知らされている。 私たちは今、人類史上最高の頭脳や不屈の精神、創造力を持つ人々が出現する可能性が、かつてないほど高い時代に生きている。革新的な技術は、資本主義が進化の鈍い産業を創造的に破壊するのを促進する。まったく新しいビジネスが登場し、画期的な商品を市場に投入していくだろう。 この先10年、欧米の中流階級は空洞化し、世の中は「見捨てられし人々」であふれるだろう。彼らは、進化の過程で生まれた現代の恐竜たちだ。グローバリゼーションと技術革新はどちらも、変化から利益を得るための知性も幸運も図太さも持たない彼らを、罰する力として働く。労働賃金の安い国々の高性能の機器や技術、そして安い労働力が、欧米の賃金を押し下げ、時代遅れの無知な人々にとっては、金融危機はますます悪化する。 かつてなく開放された世界私たちは、かつてないほど開放された時代に生きている。先に書いたとおり、技術の進歩によって情報伝達や通信がほとんどタダで行えるようになった。裕福になるチャンスは、かつてないほど転がっている……だがそのチャンスは、大半の人にとっては夢物語になってしまう。中流階級の人の多くが「見捨てられし人々」になり、いわゆる社会的流動性が低くなるからだ。 1997年から2001年にかけての貧富の差は次のようになっていた。 1. 全体のトップ1%を占める人々が収入増加に占めた割合は24%だった。 2. 全体のトップ10%の人々が収入増加に占めた割合は49%だった。 3. 全体の最下部50%の人々が収入増加に占めた割合は13%だった。 2008年までは、以上のことは何の問題もないようにみえた。iPhoneやiPod、ツィッター、グーグル、Facebookといった素晴らしい発明のおかげで、私たちはまるで、ディズニーランドで遊ぶ子供のように大いに楽しんでいた。 同時に、膨れ上がるいっぽうの借金バブルによって、経済的には非現実的なパラダイスが生み出された。サンタさんがクリスマスプレゼントを配り続けてくれるかぎり、欲しい物は何でも買えたし、クレジットカードを限度額いっぱいまで使い、その借金を住宅担保ローンで返済できた。彼らの気持ちはこうだ。「社会の底辺に生きる50%の人間が見捨てられようが、誰が心配するものか。最上層の10%の人間が増えた収入の49%を占めようが自分には関係ない。人口の10%がますます金持ちになろうが、残りの90%が置いてきぼりを食おうが知ったことではない。楽しいおもちゃはたくさんあるし、自分たちはイケてるし、気分は金持ち、マイホームは頭金無しで買える。申し分ないよ」 この金融危機が長引くにつれて、新たに登場する「超富豪」たちと「見捨てられし人々」との間のギャップは、政治的に差し迫った課題になっていくことだろう。1960年代、ヒッピーは大いにハメを外したし、社会からもドロップアウトした。今、人口の最大部分を占めるおよそ7500万人のベビーブーマー世代が、現実に目覚めて社会に復帰してこないとも限らない。もしそうなったら、かつてのヒッピーの価値観が政治をどこへ向かわせるのか、想像もつかない。だからこそ、今世紀の第2の10年間は最初の10年間よりも重要なのだ。 将来を見通したいなら、歴史を振り返ればいい。政治の独裁者は、きまって経済危機の最中に出現している。毛沢東、スターリン、ナポレオン、ミロシェビッチなどが中でも有名だ。 1933年──1929年のニューヨーク市場の大暴落から4年後──大恐慌の中から二人の人物が出現した。一人はアドルフ・ヒトラー、もう一人はフランクリン・ルーズベルトだった。オバマ大統領のお手本は、ルーズベルト大統領だと思っている人が多い。そこからひとつの疑問が生じる……では、「ヒトラー」の役割を演じるのは誰だろうか?
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