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交響曲 「大地の歌」 第1曲:大地の哀愁を歌う酒の歌
8:43
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
8
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交響曲 「大地の歌」 第2曲:秋に寂しき者
9:48
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
7
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交響曲 「大地の歌」 第3曲:青春について
3:17
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
7
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交響曲 「大地の歌」 第4曲:美について
6:53
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
7
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交響曲 「大地の歌」 第5曲:春に酔える者
4:45
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
6
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交響曲 「大地の歌」 第6曲:告別
30:26
Gustav Mahler
マーラー:大地の歌
Classical
6
どのパートを使ったか?
可能性が高い順では?
青春について、つぎに、美について、そのつぎに、春に酔える者
アニメは?
中国の大地で、子供が飛び跳ねているような絵だった・・・
とにかく、あの宣伝は印象深かった・・・ クラシックに興味があったわけではない
面白かったから・・・
AO
中国風の古い絵皿、そんな感じだった・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/padapadatalent/32489299.html
古い絵皿で干支を集めています。 ⑧番目は羊なんですが、これも結構難しいものでした。元々日本では羊を飼う習慣も、乳を飲んだり 肉を食べたりする習慣がなかったんですね!干支の発祥の地は中国、中国は大陸、大陸にいかないと なかなか見つかるものでは有りません! この皿韃靼人の羊飼いの図なんです。ダッタン人とは蒙古辺りの遊牧民を指すらしいのですが 明治ごろに絵のような物で伝わったんでしょうね!楽しい絵です。 |
もう大分前に放送されたマーラーの「大地の歌」を使ったサントリーのCMです。
限られた時間の中で、音楽と映像のコラボレーション。
これは芸術品とまでは行かなくても、
大変に良くできていると思いますよ。
このCMを味わってみると、
マーラーが東洋人のハートを持っていたのではないかと
思うばかりです。
サントリーCM↓
http://www.youtube.com/watch?v=voZHTps4PSk
ガウディを使ったこの宣伝も面白い
サントリー・ローヤル
やはり、当たっていた・・・
前回に引き続きマーラーの声楽曲に関する話題。80年代半ばのバブル経済華やかなりし頃に、サントリーがマーラーの「大地の歌」(第3楽章「青春について」)を使ったテレビCMを制作した。下記のYouTubeクリップの0:58~1:58が該当のCMだ。
【ナレーション】
このところ、マーラーの曲を聞くことが多い。時代がどんどん乾いていくからだろうか。東洋人にも分かりやすい音楽だなあと思う。「やがて私の時代が来る」と予言し、人間を追い続けたマーラーに、20世紀がうなずき始めたようだ。
ウイスキーに重なる音楽。サントリー ローヤル。
これがビールのCMで、マーラーの生地であるボヘミア産のホップを使ったのがセールスポイントだったりしたらまだわかるのだが、日本産ウイスキーとマーラーは何の関係もないわけで、彼の音楽を起用した理由はよくわからない。ともあれ美しい水墨画のアニメーションと、テノールが躍動感たっぷりに歌う東洋的な音楽の組み合わせは印象的で、これを機に、「にわか」マーラー・ブームが起こったと記憶している。私ものせられて「大地の歌」のディスクを買ってしまったクチだ。
今となっては、あのにわかブームは何だったんだろうと思うが、テレビCMで彼の音楽が多くの人の耳をかすめ、中には興味をひかれてCMで使われた曲のディスクを買い(私がいい例)、それが契機でマーラーの別の作品も聴くようになった人も多いだろうから、あのCMが彼の音楽を普及させた貢献は大きいだろう。
ところで「大地の歌」は李白や王維などの唐詩に基づいていると聞いたので、サントリーのCMが流れた当時、「青春について(Von der Jugend)」の原作を探そうと図書館で本を引っくり返したが、分からなかった。それもそのはずで、マーラーが歌詞として採用したのは、中国語を解さないドイツの詩人ハンス・ベートゲが、別の作家によって翻訳されたドイツ語およびフランス語のテキストに基づいて自由に創作したドイツ語の詩だった。
一説によると「青春について」の原作は、李白の「宴陶家亭子(陶家の亭子に宴す)」という作品だという。
宴陶家亭子
曲巷幽人宅
高門大士家
池開照膽鏡
林吐破顔花
緑水蔵春日
青軒秘晩霞
若聞弦管妙
金谷不能誇
これに対してドイツ語の歌詞の冒頭は
Mitten in dem kleinen Teiche
Steht ein Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
(小さな池の中ほどに、緑と白の陶器でできたあずまやが建っている)
であるが、「陶器でできたあずまや」という、東洋人にとってはシュールなイメージ(陶器で家を建てるなんて、そんな無茶な!)は、「宴陶家亭子」というタイトルにある「陶さんの家」の誤訳である、というのが、「宴陶家亭子」原作説のポイントである。
うーん、これが原作なら、歌詞のほとんどすべてが自由な「創作」だといえるだろう。
サントリーも、昔は、洒落ていたんだな~~~
2007年10月16日 サントリーローヤルのCM「ランボー編」は、 使われていた音楽とともに、当時の視聴者に強いインパクトを与えたようで、記憶に残るアーティスティックなCMとして挙げられることが多い。時代を象徴するようなCMだったのだ。このCMと一緒に思い出す、様々な事柄…。
サントリーと言えば、サントリーホールやサントリーミュージアムに象徴されるように、元社長の佐治敬三が文化活動に積極的に関わり、また創業者の鳥井信治郎は広告が好きだったせいもあり、クオリティーの高い広告戦略を展開してきた。カンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリーホワイトのCM(ちょっと記憶にない)。そしてサントリーローヤルのCMには「ランボー編」の他に、「ガウディ編」や「マーラー編」があった。個人的には「ガウディ編」の踊っている顔の大きな女が強く印象に残っている。「ランボー編」がテレビで流れていたのは1983年のことだ。
80年代の文化を語る上で忘れてならない企業がある。セゾングループである。セゾングループが展開した東京発の文化は当時の若者の憧れだった。個人的にもパルコはよく通ったし、CD の調達先はいつも WAVE だったし、80年代後半にできたクアトロにライブをよく見に行った。80年代世代は、セゾングループによって文化的な欲望を誘導されたと言っても過言ではない。考えてみれば、服を買ったり、映画を見たり、音楽を聴いたりして、時代の先端を走っている気になっていたのも、実は企業家であり詩人であった堤清二というお釈迦様の手の中だったのだ。「大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる」という「矛盾を孕んだ文化戦略」と浅田彰がセゾングループの功罪を評している。
私が文学に興味を持ったのも、この矛盾をそのまま抱え込んでのことだった。それ以前の世代との決定的な違いはここにあるだろう。今となっては「まんまと騙された田舎者」という自覚すらあるが、文学や芸術と消費社会の折り合いの付け方を体験的に学んだおかげでブログをやれているのかもしれない。
岡崎京子(お元気なんでしょうか?)の「東京ガールズブラボー」(岡京と浅田彰の対談付)なんかを読むと時代の空気がわかる。テレビでは「カノッサの屈辱」をやっていたフジテレビが、他にもとんがった深夜番組をやっていて、宮台真司が対談で言ってたが、浅田彰がポール・ヴィリリオを紹介するような深夜番組もあったらしい。
セゾンやフジテレビではない、ランボーのCMの話だった。だいぶ脱線したが、このCMもそういうとんがった時代の空気の中にあり、それらと共振していたように思う。
とはいえ、ランボーほどその生涯が神話化されている詩人はいない。10代で家出を繰り返し、パリ・コミューンで盛り上がるパリをうろついたり、ヴェルレーヌに誘われてベルギーを旅しながら、同性愛に耽ったり。しかもランボーはヴェルレーヌを嫉妬で狂わせ、拳銃を発射させるほどの絶望に陥れた。ヴェルレーヌの放った2発のうち1発がランボーの左手首に当たり、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕。しかし、ランボーは早々に詩を捨てて、その後、兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とする。そして37歳で病死する。
ランボーの名前と、そのスキャンダラスな人生の断片について知っていても、実際の作品の方は難解そうで、読んだことがないというのが一般的な態度だったのでは。私自身もそれなりに憧れはあったが、実際に読んでみると(とりあえずほとんどの作品に目を通したが)あまりピンと来なかった。「Aは黒、Eは白、Iが赤で、Uが緑の、Oは青」なんて、それがどうしたって感じだったし、いきなり詩の中にイボ痔が出てくるし(笑)。
イメージのインフレを起こしていたランボーを、一種のわかりやすさでもって一挙に消費しまったのがこのCMだったのだろう。「あんな男、ちょっといない」というコピーと、本人らしきものがそれらしく現れたものだから、ランボーがわかった気になったのだ。
ほぼ同時期、82年に公開されたシルベスター・スタローンの主演映画が大ヒットしてからは、「ランボー」といえば、そちらの方に連想が働くようになったこともあり、それ以来、アルチュール・ランボーのデフレ時代が始まる。
改めてCMを見てみると、あのフリーキーなキャラたちは、あまりランボーっぽいイメージがしない。「ガウディ編」もそうだが、むしろ南米のカルト系映画監督、ホドロフスキー(これも当時もてやはされていた)のテイストを感じる。「ガウディー編」の音楽はとりわけホドロフスキーの「サンタ・サングレ」(1989年)を想起させる。手回しオルガンの感じとか、そっくり。もちろんこのCMの方が5年以上早いのだが。
ちなみに「ランボー編」のBGMはMARK GOLDENBERGの「Queen of swords(剣と女王)」って曲。彼のベストアルバム「鞄を持った男」(1985年)に収録されている。
□サントリーローヤルCM(ランボー編)
□サントリーローヤルCM(ガウディー編)
□サントリーローヤルCM(マーラー編)
cyberbloom
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