Yukio-Pegio GUNJI
郡司 ペギオ-幸夫
神戸大学理学部 地球惑星科学科
神戸大学大学院 理学研究科地球惑星科学専攻 教授
後期博士課程から現在に至るまで、筆者の目標は一貫している。それは、「”生命と物質の違いは何か”とは如何なる問いか。そして、我々はその問いに対して、如何なる答え方を用意すべきか」に取り組むことであった。ここでいう生命とは、想定される外部を常に孕みながら、進化・発達・発展をとげる対象であり、いわゆる生物学が対象とする生物に留まるものではない。想定外部という言葉が示すように、この意味での生命を問うとき、想定し、想定外部を見る観測者と対象は分離できるものではない。この点に留意し、筆者は、分離を前提とする言語体系と前提としない言語体系の違いを明らかにし、生命を理解するための、観測過程志向型理論を整備してきた。
生命=生物系(等号は特定の仮定で成立する)を分析する物理科学の手法は、状態概念の確定を基底に置いた理論の内にある。生命と物質の違いは、かかる状態志向型の理論にあって、明らかにされようとする。この方向に於て明らかになってきたことは、一面では、生命系が、単純な物理的相互作用の複雑な集積として構成されるということであった。筆者は、パターン形成機構としての反応拡散系や非線形波動方程式を援用しながら、系の自由度や境界条件が時間発展と共に変化する過程のモデルを提案した(2ー5)。しかし、如何に非線形性を高めようとこの限りで生命系は、積木細工以外の何物でもなく、生命とは、極めて膨大な数の部分記述の総和以上の物にはならない。他方、生命系の自己組織化過程において、系の時間発展それ自体が次なる時間発展の境界条件を提供し、かかる過程が不断に継続する様相に注意が払われるなら、局所的相互作用を大域全体に普遍的に適用する”モデルの”要請に疑義を向けねばならない。文献(6)および著書(4)では局所的関数を空間全体に非同時的にランダムに適用するオートマトンを構成し、貝殻紋様を例にかかる過程の意義を論じた。
境界条件の自律的変換に於て、境界条件を同定する時刻と次なる境界条件同定の時間間隙は、対象にとって十全に決定されねばならないが、それを満足させるには、かかる時間間隙を無限小とせねばならない。このとき、我々は、運動担体を一瞬の内に同定する、すなわち連続状態量を離散化・記号化するという観測問題に直面する。筆者は、観測速度の有限性から普遍的に逆理が導かれることを様々な例で明らかにした(8、11、14、22)。逆理は、過程における事前と事後の非対称性へと我々を導く。観測者は、t時に高々t+1時の事象の可能性や分布を指定できるに過ぎないが、t+1時に於いては結果として実現された状態を指定できる。逆にt時にかかる過程全体の様相を記述するには、tからt+1を指定する時間順行型の遷移規則と、実現された状態を選択するt+1からtを指定する時間逆行型の遷移規則が共に必要となる(8ー12)。筆者はこのスキームをセル・オートマトンの上で定式化し(8ー11)、その代数構造と時間発展パターンの関係を明らかにすると共に(11、12、23)、情報理論(17)やカオス縁辺系の進化(16、24)、生物のパターン形成の問題に適用した。事前・事後の非対象性=時間の非可逆性は、頻々、多対一型の写像を定義しさえすれば記述できると誤解されるが、1994年、数学者Duboisも筆者とは独立に筆者と同じスキームをIncursive functionの名で提案している。
時間順行・逆行型を組み合わせたスキームは、数学的な自己言及的特性の定義の基に改良され(18、22)、不安定な計算素子を定式化する方法として整備された(22)。不安定な素子から構成された計算機を使用することで、結果的に大域的論理が出現する過程が、シミュレーションを通して明らかにされた(26)。この結論はまた、物質を扱ってきた機械論を基礎に置く状態志向型理論が、事後の結果に対してのみ構成される意味論である様相を鮮明にした。
ここに至り、生命を記述するに当たっては、状態概念を確定してしまうより、確定する過程それ自体が本質的であると明確に意識されモデル化が始まった(19)。後者に於いては、状態概念に事前・事後の発展過程(観測過程)を埋め込んだ観測志向型理論が必要となる。物質とは、状態志向型物理学で用いられる術語であるのに対し、生命とは、(観測)過程志向型物理学で用いられるべき術語であるからだ。観測が接続する事前・事後が逆説的であり、両者の関係=観測を何等かの形で埋め込まねばならない、という点は多くの者に意識されつつある(例えば、記憶と予期の両者を内包するモデルや、カオス力学系、様相論理による応用、内在物理学)。しかし、筆者の主張がこれらと本質的に異なる点は、事前・事後の論理的非対象性である。筆者は、事前状態を、排中律の成立しないハイティング代数、事後を、成立するブール代数で記述し、オートマトンの時間発展に両者間の不均衡化過程を組み込むモデルを提案した(25、27、29,32)。これによって拡散反応系など、長距離伝達を可能とする非線形コミュニケーション様式の起源を説明し得る(37,41,42)。
また、事前・事後の非対象性が、有限の体験を未知へ敷衍する際の分析哲学上の逆理と同じ構造であることを示し(28)、これを有限束と無限束間の不均衡化過程で構成するモデルを提案し(28、30)、観測過程と1/fノイズの関係を論じている(30,31,40)。またこれによって、起源問題を理解する枠組みを提出し、無限の時空間を繰り込んだ構造の縮退過程として、起源が語り得るモデルを提出している(36、38)。
一般的には、生命と発した途端に生気論と誤解されるが、筆者は、機械論と生気論とが、同一地平上の二項対立であることを理解した上で、生命の理解に向けてはかかる地平から抜け出し、(観測)過程志向型の理論を構築せねばならないと主張、それを実践してきた。当初は理解者が殆どいなかったが現在では特にBiologically-motivated computingに絡み汎世界的に賛同者を得つつある。
現在までの研究概要の項で述べたように、筆者の目的は、生命という問題を如何に解読すべきなのか、の理論にあるが、それは現在、観測志向型理論の整備という形式でまとまりつつある。すなわちタンパク質であれ、生物個体であれ、シリコンの計算素子であれ、観測の効果を無視し、状態志向型理論の中で記述する限り、それは物質と呼ばれ、観測志向型理論で記述される限り、生命と呼ばれることになる。状態志向型理論に留まって生物系を記述する限り、複雑な機械、複雑な積木細工以上の描像は決して得られないのである。この点に関しては汎世界的にかなりのコンセンサスが得られつつあるものの、観測志向形理論をどのように整備するかに関しては、既に触れたように、大きく二つのアプローチに大別される。両者は共に、観測以前・以後の二つ形式化するが、この両者を如何に結び付けるかに於て異なる。観測以前・以後のパラドキシカルな関係を首尾よく結び付ける論理を見つけようというアプローチは、観測以前・以後を見渡す単独の無矛盾な論理を見いだすことを一義的目標に掲げる。従ってそれは、従来と異なる新たな状態志向型理論に回収されるに過ぎない。観測に起因する不定さは、新たな確定状態(記号「?」のように)として定義されるに過ぎないからだ。筆者はこれを、拡張された内在物理学と呼ぶ。
これに対し、筆者のアプローチは、観測に起因する不定さを、確定しようとして確定不能な過程として定義するものである。不定さは、本質的に状態でなく操作子的特性を付与される。
観測以前・以後の非対象性に関する二つのアプローチは、階層構造に関して全く異なる描像を提示する。ここでは共に、観測速度の有限性を考慮するから、一点の局所記述は可能でも、異なる複数の局所記述には不定さを伴うこととなる。しかし、内在物理学の立場では、この不定さは特定の記号として確定される。ひとたび「?」としての確定を許容するなら、大域的記述は、記号化された不定さを含む局所記述の完全な和によって記述可能である。この完全なコレクションに対し、特定の粗視化と呼ばれる変換を施す限りで、局所記述の総和から情報が失われ、局所記述の総和ではない大域的記述が構成される。この時、階層とは特定の粗視化操作に完全に起因する。これに対し、筆者のアプローチでは、不定さは不定さを除去しようとする過程によって定義されるから、不定さを除去した結果に対して得られる大域的記述は、不定さを含む局所記述と相補的な階層構造を持たざるを得ない。かつ不定さを除去する操作が、如何に恣意的なものであれ、必要不可欠である。つまり、階層性は、恣意的な記述者側の(粗視化)操作に起因するのか、システムの特性なのか決定できない。以上の違いから、拡張された内在物理学は、静的な階層性を、筆者のアプローチは不断の(非論理的)階層間相互作用を帰結する。
筆者は今後、このアプローチがどのような生物学的現象、特に進化や起源問題に対し威力を発揮するかに関して例示しようと思う。局所において記述の不定さは、不定さを除去しようとする内部観測者の形で構成される。例えば、それは次のようなスキームで考えられる。内部観測者は、与えられた熱揺らぎを(マックスウェルの悪魔のように)局所の内部に貯める。それによって局所の一点は冷却され熱的勾配ができるから、新たな仕事を継起する。それによって新たな熱揺らぎが発生し、再度その貯留を誘発し、かかる過程が不断に継起する。この過程は、おそらくマイクロチューブリンの伸長過程、ラチェット型ノイズに関して新たなモデルを提示するであろう。すなわち、生物の形作りに関して、本質的な理論の変更を余儀なくする。筆者は、不定さを伴わざるを得ない、相互作用担体(相互作用する故に局所でありながら理論的に大域と結び付き不定さを現前する)といった問題は、タンパク質レベルの局所計測によって今後、本格的に直面せざるを得ない問題であると考える。
筆者のアプローチは、本質的にメソスコピックな理論を示唆するものである。メソスコピックとは、適当な尺度を含意するものではない。その限りで、局所と大域、有限と無限とが、同じステータスを有する同一地平上の量的違いと理解されてしまう。メソスコピックな世界とは、有限と無限が異なる論理であることを理解した上で、それらを接続することから生じる逆理を新たな理論的枠組みに捉え直す、別な次元の理論である。現在筆者が一部展開するように、メソスコピックな理論で構成される描像の極限(観測伝播速度を無限大へ飛ばす)として、我々が通常考えるミクロ/マクロスコピックな描像の両者が得られる。そして、物性物理で認められる1/fノイズなど経験的に認められる法則のほとんどは、メソスコピックな理論においてにみ普遍的に理解されると期待される。それは、メソスコピックな理論として、進化・自己組織化・観測過程を理解する理論となり、有限の世界に生きることの意味に対して、新たな視座を与えるものと考えられる。
筆者はこの秋、論理が時間を捨象する為に隠蔽したきた構造を明らかにし、それを形式化してモデルに内包する方法を発見した。これによって、論理的矛盾の解消・自発的生成を繰り返すシステムが、創発的構造を論理的矛盾の隠蔽という構造として生成する描像が、形式化された。これは既にいくつかの学会、研究会で発表され、注目を集めている。これによって、化石記録から編まれる系統発生において、構造変動と呼ばれ得るような形態変化とそうでないものとを、矛盾の隠蔽構造によって系統的に区別できる。この描像は、基本的に死を内在するが故に、生があり、生と死の不断の均衡化=脱均衡化によって、死を制御する構造、生を助長する構造が、システム内に構造化されることを含意する。これは、進化における種の大爆発と絶滅とを分離不可能なものとして理解する理論を提供し、その証拠として、矛盾の隠蔽構造をデータから解析できることを意味する。矛盾隠蔽構造は、絶滅や種爆発直前の時系列データの1/fノイズや、その時の形態部位の相関次元に関するベキ分布、論理的自己相似性として得られる。
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