日経BPメルマガ7月14日 宮田秀明の「経営の設計学」から抜粋。
「局所最適」は「全体最適」につながらない
「アドホック(ad-hoc)」というキーワード、読者の皆さんにとっては耳慣れない言葉かもしれない。アドホックは“その場限りの”という意味のラテン語である。訪問団への説明では、短い時間軸でしか考えない局所最適解の足し合わせという意味で使った。アドホックの対極にある言葉は、長い時間軸を見据えた「全体最適」である。
例えば、家電量販店にずらりと並ぶ大画面の液晶テレビに使う液晶パネル。家電業界にとっては久しぶりの大型商品だけに、メーカー間の増産競争は激しい。メーカー各社は生産ラインに巨額の設備投資をして市場シェアを争うわけだが、それぞれのメーカーは独自の判断で将来を予測する。必ずしも市場全体の需要と供給のバランスを予測して経営判断を下しているわけではないので、液晶パネルは時として供給過剰になり、価格が暴落することがある。メーカーにおけるアドホックな局所最適解を足し合わせることが、必ずしも市場全体の最適解を生み出すわけではない。
資源エネルギーや海運などの産業もそうである。石油は45年で枯渇すると言われて20年が経過している。海上で新しい油田が発見されて可採埋蔵量が増えているからなのだが、それはいつまで続くか分からない。不安定な中東情勢や投機的資金の流入などもあり、原油価格は1バレル当たり70ドルを超える水準に高騰した。
それに伴い、昨年末は原油タンカーの運賃が最低価格の10倍という高水準になった。現在、すべての海運会社がタンカーを増産中である。需要が高まっていることから船の値段も2倍になった。5年後にはあまりの船腹過剰で業界全体としては大問題が発生するかもしれないにもかかわらず、今はともかく目先の利益を求めて増産ラッシュ。各企業の動向には長期的視野は感じられない。これも局所最適の積み重ねが全体最適へと向かわない例だ。
産業界よりも大きな社会に目を転じると、人間がつくり出す社会システムの行き当たりばったりさが鮮明になる。例えば、地球の環境問題や人口問題である。中国のGDPは年率8%で成長しているが、一方で環境劣化がすごい勢いで進行中だ。それでも、世界最大のポテンシャルを秘めた市場で世界中の自動車メーカーは自社の繁栄を目的にシェア獲得競争に必死になっている。世界の人口は毎日25万人増加し、このまま人口増加が続いて100億人に達する頃には、人類が絶滅する可能性さえある。しかし現状では誰もこれをコントロールできないままなのだ
全体最適の究極である共産主義または社会主義の統制的な社会システムの失敗は既に明確だ。しかし、現在の資本主義社会が“神の見えざる手”によって進歩し、全体最適に近づいているかと言えば、それも必ずしもそうとは言い切れない。前述した通り、資本主義社会はアドホックな社会システムの集合体という側面が強いからである。
こうした、行き当たりばったりのアドホックな社会システムには持続的な改革が大切で、そのためには今まで以上に科学と技術を進歩させなければならないという理念を広め、世界各国で実行しようとする団体がある。「世界イノベーション財団」(World Innovation Foundation)だ。
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青柳洋介
全体最適と局所最適、どちらが大切か
経営が方向を見失い、衰退や破綻へと向かわないためには
宮田 秀明
>>バックナンバー2010年5月21日(金)1/3ページ
国の政治は国を経営することであり、もちろん難しいことだ。特に国民一人ひとりの価値観が多様であることが、難しさの度合いを高めている。中国なら50を超える民族の集合体なので、日本よりもはるかに大きな経営力が要求されていることだろう。
国の経営では、「国を守って発展させる」という全体最適と、「国民一人ひとりの満足度を高める」という局所最適を両立させなければならない。
国民全員を満足させながら国益を増進できればいいのだが、そんな理想的なことはなかなか実現できないから、国民の50%以上の満足度を高め、支持を得て、国益増進の全体最適に取り組むのが正しい国の経営の仕方だろう。
全体最適と局所最適のバランスをとる
企業経営も同じだ。企業は利益を上げて成長しなければ生き残れないから、企業の全体最適が重要だ。そのために、時には構成員に厳しい施策を実行しなければならない時もある。
しかし、長い目で見て、社員一人ひとりの満足度を高める経営ができないようだと、企業自身がいずれ衰退して退場せざるを得なくなるので、局所最適も大切である。社員が成長して企業が成長する。全体最適と局所最適の微妙なバランスを保ちながら両立させるのが経営なのだ。
では、全体最適と局所最適のどちらが大切だろうか。
答えは明白である。全体最適がなければ、局所最適はない。全体最適の経営ができなくて利益を出すことができず、企業が倒産してしまえば、社員の満足度という局所最適は吹き飛んでしまう。国の場合も同じだ。国のGDP(国内総生産)が伸びなければ、国民一人ひとりの豊かさは縮んでいくことになる。
誰でもわかっていることなのだが、全体最適と局所最適のバランスは本当に難しいと思う。行政改革や環境問題へ果敢に取り組もうとした橋本龍太郎首相は、全体最適にビジョンを重ねていたリーダーだった。しかし、国民一人ひとりの局所的な満足度を高めるための施策を怠っていたので、選挙に負け、先が続かなかったと見ることもできるだろう。
小泉純一郎首相も全体最適のためにビジョンを持って政治を行った首相だったが、橋本首相と違って国民の大きな支持を受けた。
小泉首相が進めた郵政民営化プロジェクトは、全体最適を目指す大きな変革プロジェクトだった。国民から集めた資金を、国債を通して国に還流して非効率な官業に戻すという仕組みを変え、資本主義の原理に沿った民間ビジネスの中でお金の活用を行って、国の力を取り戻すことが目標だった。全国一律サービスという個別局所の最適は少し後退するかもしれないけれど、郵貯簡保に集まる個人資金の流れを正しくすることは国の進歩のために必要不可欠だったのだ。だから私も、郵政民営化情報システム検討会の委員として微力を尽くしたのだった。
民主党政権はこの郵政民営化による国の資金の流れの健全化という全体最適化路線をほぼ全面的に否定し、「全国一律サービス」という個別最適を優先させつつ、個人資金を非効率で将来性のない国の借金肩代わりの仕組みに戻そうとしている。国の全体最適の大切さを全面否定する動きと受けとめられるだろう。大げさに言えば、国の財政の自殺的行為に国民を無理心中させようとしているとさえ、言ってもいいような政策である。
国民は局所最適の政治には満足しないはず
農家への戸別所得保障も同じである。日本の農業には国際競争力がない。コメの価格を国際比較すれば、一目瞭然である。食料自給率を上げることと農業の生産性を高めることを表裏の関係として、農業という産業に進歩を与えなければならない。
それなのに戸別保障制度は、生産性の低い仕組みを温存・復活する政策でしかない。農業に麻薬を打ち、農業を衰退させる施策と言っても言い過ぎではないかもしれない。健全な農業事業者を育て、不健全な事業者に退場願って、全体最適を実現させて国際競争力を獲得する。これが国としての全体最適の農業経営である。
すべての経営はビジョンを持って全体最適を目指さなければならない。個人や個別事業、一部グループのための最適を思った時、選挙目当ての個別最適を優先した時、その経営は方向を見失い、衰退や破綻へと向かって行くだろう。
郵貯の逆戻り、子ども手当て、農家への戸別所得保障、すべては個別局所最適の施策である。巨額の国費を投じながら、全国一律1000円で開放した高速道路経営も局所最適の施策である。
今の日本の国民は民主党政権の局所最適の政治に本当に満足しているのだろうか。そろそろ、バラまかれた国民一人ひとりの間に、「こんなに便宜を図ってくれて嬉しいばかりですが、国の将来は大丈夫なのでしょうか?」「もっと将来を明るくするような政策を推進して欲しいと思い続けているのですが…」といったような声が広まっていると思う。
日本の国力が曲がり角にあるという認識は国民の中に浸透しつつあるように見える。年々低下する日本企業の国際競争力、低位安定した日本の評価、これらは徐々に国民が知り、体感してきている。今の国民は子ども手当や戸別保障をバラまかれても、むしろバラまかれることにリスクを感じる人が増えてきている。
「消費税引き上げなし」では一般市民は不安に
国民の政治に対する不安感は、ほとんど頂点に達している。民主党だろうが自民党だろうが同じだということも分かった。リーダーシップを発揮して、日本の全体最適を目標として掲げ、強力に政策立案し実行できるリーダーがこの国にはいないことに対する不安感である。
国の財政の重病状態はほとんどの国民が認識しているのに、首相に「私は、消費税率引き上げは行いません」などと言われては、一般市民だって困惑してしまう。一般市民だって、「全体最適のために局所最適を犠牲にしなければならない時もある」ことは知っているはずだ。
ビジョンを描き、その実現のための全体最適の政策を実行し、結局これが局所(個人)最適をもたらすようにすることが、国のリーダーの役割である。政治家の方々にはもっと経営を勉強していただかねばならない。本当に困ったことだ。一番大きな経営を任されている方々に経営力がないのだ。
未来が見えない国から抜け出るために、本当のリーダーが必要だ。
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