倭の五王(讃・珍・
大理の陰陽大極のシンボルはハチである・・・
はね、はね、はに、はに、ハニーグラス - 愛ことば
鎌倉大仏
神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
拝観料:大人 200円
ガイドブックから頂いた写真です。長谷観音は日本最大の木造仏像です。初めて木造と知ったときはびっくりしました。それくらい大きいです。
ちなみに、十一面観音さまです。
古代の天皇 [編集]
倭の五王 [編集]
「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。 昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、 安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、 西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、 平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。 王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、 中国の威ははるか遠くにも及ぶようになりました。
わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。 自分は愚かな者でありますが、かたじけなくも先代の志をつぎ、 統率する国民を駈りひきい、天下の中心である中国に帰一し、 道を百済にとって朝貢すべく船をととのえました。
ところが、高句麗は無道にも百済の征服をはかり、辺境をかすめおかし、殺戮をやめません。 そのために朝貢はとどこおって良風に船を進めることができず、 使者は道を進めても、かならずしも目的を達しないのであります。
わが亡父の済王は、かたきの高句麗が倭の中国に通じる道を閉じふさぐのを憤り、 百万の兵士はこの正義に感激して、 まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。 しかるにちょうどその時、にわかに父兄を失い、 せっかくの好機をむだにしてしまいました。 そして喪のために軍を動かすことができず、けっきょく、 しばらくのあいだ休息して、 高句麗の勢いをくじかないままであります。いまとなっては、 武備をととのえ父兄の遺志を果たそうと思います。 正義の勇士としていさをたてるべく、眼前に白刃をうけるとも、 ひるむところではありません。
もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、 父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。 みずから開府儀同三司の官をなのり、 わが諸将にもそれぞれ称号をたまわって、 忠誠をはげみたいと思います。」[13]
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