海水浴場の62%が最良
公害時代から、おそらくかなり改善したはず・・・
変化も知りたいな?
どれくらい改善したか? それこそ、環境先進国をウリにするキー情報である・・・
子供のころの福岡のビーチ、カブトガニやクラゲがたくさんいた、海藻なども浮遊していた・・・
グローバルのセールス
悪い点や、弱点があれば、それを素直に述べる・・・
そして、良い点は積極的に売り込む・・・
良い点 > 悪い点、弱点
良い点が悪い点を大きくしのげば、それこそ、セールスポイントである・・・
英語で言えば・・・
メリットとデメリットを併記して、評価してもらって、顧客がそれで満足すれば売れるし、後からのクレームも減るはず・・・
人にはパーフェクトなものは作れない。
必ず、欠点や、デメリットがある => 次の開発の検討項目にすれば良いだけ・・・
現実的な開発には、メリットとデメリットがある。
いかにコストを抑えて、デメリットを減らし、メリットを増やすか?
現実的なR&Dの手法である・・・
ただし、欠陥品はダメ
欠陥品を取り除くのがテストである。
テストは品質の最低基準の保証である・・・
スターウォーズの世界はパーフェクトである - ある人
パーフェクトを目指すのは問題ないが、パーフェクトが何であるか? その定義も難しい
トキが変われば、パーフェクトと思ったものにも、欠点が見えてくる・・・
だからこそ、次があるのだ・・・
だから、アートハーバーは?
........there's nothing that's perfect, we can't expected everything to be perfect... if there is something perfect, it might be whole universe.
完璧なものなどない。われわれは完璧であることを期待できない。もしも、完璧なものがあるとすれば、それは宇宙全体であるのかもしれない・・・
イルカの本、環境悪化の事例
本書は環境保護に偏っていない・・・ 開発と保護の両面を捉えている。著者は現実主義のサイエンティストである・・・
シャーク湾はアメリカからもっとも遠い地域のひとつで、浜は比較的すいていて、空気や水はきれいだ。シャーク湾でさえ、汚染の警鐘が鳴り始めた。一九八九年二月、アメリカに一時的帰国しているとき、モンキー・マイアのリチャードから電話が来た。リチャードが「悪い知らせがある」と言ったとき、声のトーンから、イルカが死んだと私は感じた。
「何かあったの」
と私は尋ねた。
「スナッブノーズとビビとシックルフィンが死んだようだ」
「どういうことなの。死んだって」
「ここ一週間くらい、モンキー・マイアでも沖でも見あたらない。死んだ可能性がある。さもなければ、浅瀬に来るはずだ」
オスのイルカが三頭も死んだ。私は愕然として受話器を置いた。このオスたちから、いろいろなことを学んだので、彼らがモンキー・マイアから消えたことは、想像すらできなかった。
一日かそこらして、リチャードから電話がきたが、そのときのショックは、さらに大きかった。
「レイチェル、ホーリーも死んだよ・・・ニッパーも(ニッキーの最初の子)」
と声が重苦しく震えた。
大人のオスであれば、しばらくどこかへ行っているだけで、戻ってくる希望は持てる。でも、ホーリーや幼子はたぶんダメだろう。小さすぎるので、自力では戻れない。私たちのイルカは死につつあった。
ホーリーの死はもっとも受け入れがたかった。ホーリーと私は長い間楽しい時間を共にした。ホーリーの小さな魂は活き活きと輝いていたので、私はホーリーの死を受け入れられなかった。ホーリーはまだ若くて、これから興味にあふれた長い生涯を送るはずだったのに、その成長を見届けられなかった。ホーリーが子を設けて母になり、年老いていく生涯を見届けられなかった。ホーリーと海草ゲームをしたり泳いだりすることは、もう二度とできない。
イルカたちの死因は汚染だった。その年は、環境が急激に悪化した。その前年、急増する観光客用のトイレが新設された。満潮の水準線から高さ六十センチ程度の場所に、汚水処理槽が設置された。トイレがひんぱんに使用されて、汚水が処理槽から湾内へ流れ込んだ。水質試験の結果、海岸付近は高レベルでバクテリアに汚染されていた。イルカの死は汚染と無関係だという説もあったが、実際は、死と汚染は無関係ではなかった。イルカ好きたちの排泄物が、文字通りイルカを毒したのは悲しいアイロニーだ。ウイルフとヘイゼルのキャンプが最新のリゾートに変わって、イルカは死んだ。餌づけ場所を規制するように、ウイルフとヘイゼルと激しく争ったし、イルカの健康のために、重要な規制も行なうように戦い続けた。私はモンキー・マイアの開発には初めから恐れを抱いていた。イルカは観光の呼び物なので、新しい管理体制にはイルカの保護策が取り入れられた。イルカが健康状態を保って元気な姿で、モンキー・マイアにやってくることに、人びとは大きな関心を寄せていた。
私たちはさまざまな提案をした。エサ、エサの与え方、イルカとの接触の仕方、沿岸でのボートの速度規制、海へ流出する農薬、化学肥料の制限、継続的な水質検査、ジェットスキーやセールボードなどのレンタル機器の制限などだ。セールボードは強風下では時速百キロを超えて、音もあまり出ないために、休んでいるイルカや、幼いイルカがたびたび衝突する。他の地域でも、イルカとセールボードが混在しているために衝突している。
私たちは長年かけて、モンキー・マイアの子の致死率に関するデータを蓄積した。モンキー・マイアに来ないイルカに比べると、モンキー・マイアのイルカは致死率がかなり高いことが判明した。モンキー・マイアの子は、野生の行動を身につけていないので憂慮された。母と時間の大半を過ごして、人からエサをもらうだけで、野生の中で自力でエサを捕らない。
私がモンキー・マイアで自由気ままに過ごした日々が過ぎ去って久しい。今や、観光地とイルカは「管理された資源」になった。モンキー・マイアはイルカを見て、イルカにエサを与えて触り、イルカの写真を撮るための観光地になってしまった。フルタイムの従業員が、観光客を管理して通訳して質問に答える。
私はこの変化はある意味で悲しかったが、逆に多くの人がイルカに関心を持つので励ましにもなった。イルカへの興味が高まって、シャーク湾へ人が流れ込み、人びとはイルカの保護に大きな関心を寄せるようになった。
私は長年にわたり断続的にイルカと会っていたが、会うのは当然だと考えていた。たくさんの観光客が海に入って、イルカと触れ合ったが、私は一歩下がって、時々感動的な光景を目にした。初めてホーリフィンと触れ合ったことを思い出す。手に伝わるホーリフィンの温もりは衝撃だった。夫が目の見えない年老いた妻の手を引いて海に入り、妻がパックのわき腹に触って、浮かべる喜びの表情を見ることこそが私の夢だ。人びとがイルカを学び、人びとの心に、イルカに対する興味や関心の火を灯すには、どうすれば良いのだろうか。
私は野生のイルカとの触れ合いは、素晴らしいと確信している。プールで飼育されたイルカは、訓練されていて、お決まりの行動を取る。だが、それはイルカの率直な気持ちではないだろう。モンキー・マイアでは、人が海に入って、イルカの本来の住みかとの中間点で、イルカと触れ合える。イルカの人なつっこい表情にも出会うが、同時にイルカはよそよそしくもある。これはイルカの野生を物語っていて、単に人を喜ばせる以上に、興味深い生きざまを見せる。だが、イルカの生きざまは、ほとんどの場合は人の都合に左右されない。
私は今、本書を書きながら、世界の指導者たちに海を保護するように促す
「イヤー・オブ・ザ・オーシャン」
を祝っている。
科学者や、政策立案者や、市民など数百名が署名し請願して、イヤー・オブ・ザ・オーシャンを開始した。私たちの惑星の心臓と肺である海が、死につつあることを示す厳粛で不吉な文書だ。イルカは絶滅しつつある生き物のひとつでしかない。
私たちは、自分が認識できることだけに気を使いがちだ。しかし、私は以下のように望む。モンキー・マイアのイルカは、生きざまや個性を人と分かち合い、人と触れ合ってきた。イルカは、魚類やマナティーなどの近親の動物の保護にまで影響を及ぼしている。私たちが海を救う行動を起こさなければ、さんご礁、タイなどの魚類、マナティー、エイ、人類の健全な未来のために、今、生きているニッキー、パック、サプライズとその子どもたちが、私たちに海を救う気持ちを抱かせるはずだ。人と触れ合うモンキー・マイアの伝統に従って。
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