なお、出版に関する作業は停止しました。
意味がないことは、無意味である。
返事がないことは、断りである - 日本の商習慣
本書の原稿09版のどこを直せばよいかは、分かっている・・・
意味の流れと、音の流れの調整です・・・ これが、ほとんど・・・
知っているが、作業は凍結です・・・
意味がないことは、無意味である。
返事がないことは、断りである - 日本の商習慣
つまり、放置することが習慣です。
だから、このような事態に陥っている。
問題が山積み・・・ 不公正取引の山・・・ 累積赤字・・・
日本の法治システムは、放置システムである・・・
誤魔化しは通用しません - グローバル・ジャスティス
鬼は、いつのの手で、誤魔化して、逃げようとしている。
ついに、国技の相撲を、血祭りにあげた、スケープゴート、生贄・・・
用無しは、ポイ捨て - 鬼の掟
そして、責任転嫁して、逃げる - 鬼の技
餓鬼へ
自分の身の振り方は自分で決めろ、早く動いた方が身のため、どんどん、どんどん、悪化する・・・
理由は?
根幹が腐っている、上層部の性根が腐っている・・・
だから、葉っぱは、日当たりが悪いところから、散る・・・
電波塔の鬼の手先は元気はつらつ、当たり前、鬼の一味、鬼からエサをもらっているだけ・・・
人は必ず死ぬ、あなたも、かれも、かのじょも、僕も・・・
患者の死を家族に伝える・・・
突然の死・・・
人は死に対する自己防衛を行うべき・・・
医師の責任は半分です。できることと、できないことがある。
当たり前・・・
イルカの本
生き物は必ず死ぬ - ゴッド
成長時に、動物と共にした経験は、人にとっても大きな意味があると、私は確信している。私は、生き物の世話をする責任を動物たちに教えられた。アオカケスの子を手に包み込んで、暖めながら寝たのを思い出す。命がどのように育まれるかを動物が教えてくれた。ひよこが卵の中で育つ様子を観察したときには、大きな畏敬の念に打たれた。母といっしょに、顕微鏡のスライドと油を使って、のぞき窓を作り、孵卵器で育つひよこを観察した。動物は、死についても教えてくれた。遅かれ早かれ、死は訪れる。ペットが死ぬか、姿を消したときに、取り乱したとしても、立ち直れるようになった。
・・・
・・・
一か月前、父が突然亡くなった。アンドリューと私は、東南アジアを旅行して、パースに戻ったばかりだった。モンキー・マイアへ戻ろうとしたそのとき、電話が鳴った。母の声は震えていて、私は何か悪いことが起きたと直感した。
「レイチェル、悪い知らせよ・・・」
と、母は何度かすすり泣いて、友人に受話器を託した。
その友人は父が亡くなったと告げた。私は電話を切って受話器を戻し、メイン家のリビングの床にくずれ落ちた。父はまだ六十二歳で健康そうだったし、少なくとも、私にとっては無敵の強い男だった。父は社交的でもなく、話好きでもなかったが、父の行いは私の手本だったし、私は父を尊敬していた。まさか、その父が亡くなったとは信じられなかった。
母には私が必要だった。翌朝、私は悲しみに包まれ、故郷のロングアイランド行きの飛行機に信じられない気持ちで乗った。父が腰掛けていた、リビングルームのテーブルの席にはだれもいなかった。かごに入った洗濯物や、机上のコーヒーカップなどの父の持ち物は、そのままにしてあった。ほんとうに、父は亡くなったのだ。
葬儀の朝、私は母を慰めながら散歩した。サンウッドという古い屋敷がロングアイランド・サウンドの浜辺にあって、私たちはその辺りをぶらついた。サンウッドは家からまっすぐに道を下ったところにあって、私は子ども時代にはよく行っていた。浜辺で遊んだり泳いだりして、草におおわれた庭をぶらついたりもした。屋敷で催される大学のイベントに参加して、砂地で馬にも乗った。母と私は悲しみに包まれたまま、シャクナゲの植え込みに沿って浜へ降りた。波が静かに岩場に打ち寄せていて、カモメが岩についている貝をつついていた。アヒルが海辺で鳴き声をあげていた。
父は子ども時代から、熱心にバード・ウオッチをしていた。父は生物学の教育を受けていて、環境保護活動家でもあり、人生の大半を自然と共に過ごして、自然を守るために戦った。一九六〇年代初期、友人数名と共同で、環境保護基金を設立したが、今や、この基金は、世界でもっとも大きな環境保護団体のひとつになった。父の血筋はユダヤで、母はカトリックだ。ふたりの婚姻は両家に摩擦を引き起こしたが、ふたりは宗教の違いを乗り越えて、自然を信仰するようになった。子どものころ、私と兄弟は特定の宗教を強制されずに、むしろ
「生命が織りなす偉大さ」
を理解して、感謝するように教えられた。
自然界から教えられることは、私にとってキリスト教や、ユダヤ教に関する本などを読むよりも分かりやすかったし、私は宗教的なものを心の底から受け入れることもできなかった。だが、エコシステムを作り上げる関連性は目で見えた。しかし、ゴッドが天地創造したことを受け入れられなかった(ゴッドのあばら骨から特別に作った創造物が人であり、その結果が人類であることも受け入れられなかった)。自分の目で見たことや、人生について知ったことや、常識などが、さまざまな物事とつながっていることを理解した。
父は死んだが、父の肉体が偉大な生命の鎖を循環する有機物になることを知っていた。父の肉体はバクテリア、菌、木、クジラ、鳥などに受け継がれて、偉大で不可思議なガイア(地球生命体)の一部として存在し続けるだろう。母とサンウッドの浜辺を歩きながら、父の魂が木々、空気、海、アヒル、私たち自身、カモメ、貝、砂、風などの一部となって、私たちの周りを漂っていると感じた。悲しみが立ち昇って消えていくにつれて、私たちはそんな気持ちになった。弔問者のいる葬儀場へ戻ったときに、私たちは自身を超えて、人生をも超えた大きな中(ガイア)の一部なのだと感じて、慰められて、元気を取り戻した。
私は母に会って数週間を過ごし、母が父のいない生活に慣れた後で、オーストラリアへ戻った。オーストラリアへ発つ直前に、子ども時代に母と過ごした家を振り返って見ると、私は哀しかったが、楽観的でもあった。私には、子ども時代からの記憶が鮮明に残っているが、私にとって、浜辺はもはやサンウッドではなく、地球の反対側にあるモンキー・マイアになった。大事なのは昔のアヒルではなくて、モンキー・マイアにいる銀色のカモメ、白黒のペリカン、色とりどりの鵜、ブブブと噴気孔から音を出すホーリーになった。
父は私がモンキー・マイアに心を向けることを誇りにしていた。私がモンキー・マイアへ戻ることを父が喜んでいるのは分かっていたが、モンキー・マイアでの体験を、父と分かち合えないのは悲しかった。しかし、私はさらに意欲がわいて気合も入った。アンドリューがモンキー・マイアに来てひと月が過ぎていたが、アンドリューはすでにキャンプを設営していて、ボートも使っていた。イルカの赤ん坊が生まれていて、身ごもっているメスも何頭かいた。モンキー・マイアでは日常の事だ。
ホーリーは私たちが不在の間にすっかり成長していて、観光客も以前より増えていた。ホーリーは人と遊ぶのがとても楽しいように見えた。人の手が届かないところに待機して、冷やかすように突進しては、人の腕に身をまかせ、海草の破片で、ギブ・アンド・テイクのゲームをしていた。
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