柴野元議員を逮捕=バイオ燃料会社の架空増資―12億円虚偽登記の疑い・東京地検
特捜部は、虚偽の投資話で出資金を集めた疑いもあるとみて、詐欺容疑での立件も視野に捜査を進めているもようだ。
ほかに逮捕されたのは、同社役員清水大作容疑者(40)。
逮捕容疑によると、柴野容疑者らは昨年12月、日本中油の資本金を2000万円から12億5000万円に増資したように装った虚偽の登記をするなどした疑い。
関係者によると、柴野容疑者らは数千万円の手元資金を出資者役に提供し、新株購入代金として振り込ませた後、すぐに引き出して同じことを繰り返す手法で、増資が実現したように偽装していたという。
- 1951年、新潟県柏崎市に生まれる。新潟県立柏崎高等学校入学後中退。東京都立青山高等学校に入学後、東京都立新宿高等学校に編入し卒業。中央大学法学部政治学科卒業。
- 10代から政治活動。大学卒業後、仲間と共に起業。事業のかたわら新自由クラブの結党に参加し、新自由クラブ青年部を経て、衆議院議員山口敏夫秘書、新自由クラブ政策委員、新自由クラブ青年協議会会長、新自由クラブ全国連合政策室次長を務める。
- 1981年、財団法人日本国際交流センターの日米青年政治指導者交流プログラムに新自由クラブ政策委員として参加し訪米。
- 1985年東京都議会議員選挙に八王子市選挙区から新自由クラブ公認で立候補、落選。このときは本名「しばの実」で立候補し、スローガンは「八王子が実る、都政で実る」。
- その後新自由クラブを離党。以後「武野義三」のペンネームで国際問題・環境問題アナリストとして活動。世界80カ国以上を訪問。更にペンネームを「柴野たいぞう」に改め、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」・「サンデープロジェクト」等にたびたび出演。
- 1991年、バイオテクノロジー技術開発・環境浄化・土壌改良剤・水質浄化剤の製造販売等を行う「バイオテック株式会社」を創業し、代表取締役社長となる。
- 1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧東京1区から新生党公認で立候補、当選。
- 1996年、第41回衆議院議員総選挙に東京1区から新進党公認で立候補するも大幅に得票を減らし落選。1997年12月31日に新進党が政党助成法に基き分党、無所属となる。
- 2000年、第42回衆議院議員総選挙に際し、東京都知事石原慎太郎による新党結成を期待するとともに自由連合との連携を模索しつつ数名の無所属候補者と連携し自ら「都市新党」を結党、代表に就任する。東京7区から同党公認で立候補するも落選。これ以後しばらく選挙に立候補せず、政治活動を休止した。
- ポスターに石原慎太郎の写真を無断使用し問題となった。
- その後バイオテック株式会社代表取締役社長を務めたが退任。社団法人東京新潟県人会理事、渋谷新潟県人会会長を務める。
- 非認定のカリフォルニア・コースト大学大学院経営学科博士課程より経営学博士号を取得。
- 2008年9月、バイオ燃料供給を事業化し、「日本中油株式会社」設立。代表取締役社長となる。
- 2009年3月、「ニュー・バイオテック株式会社」を設立し代表取締役会長となる。
- 2009年11月24日、ワールドビジネスサテライト(テレビ東京系)出演。
- 2010年1月、第22回参議院議員通常選挙比例代表に自民党公認で立候補することが発表された。10年ぶりの国政選挙立候補となったが、7月の選挙では落選。
- 2010年7月、日本中油が「中国石油天然ガス集団」(CNPC)の日本法人を名乗って事業展開していたが、CNPC側から関係を否定されたこと[1]、およびニュー・バイオテック社が、既に亡くなった工学博士を顧問とし、他に顧問とされた大学関係者も顧問就任を否定したこと[2]が報じられた。
- 2010年9月21日、自身が代表を勤める日本中油の架空増資と未公開株をめぐる詐欺容疑により東京地方検察庁特別捜査部の強制捜査を受け、逮捕された[3]。
その他の役職 [編集]
- エコ・アップ・ジャパン代表
- 中国石油グループ上海中油企業集団有限公司政策顧問
著書 [編集]
- 『38度線戦慄の日 韓国の危機は日本の危機』(天山ブックス) 1988年7月 天山出版(発売:大陸書房) ISBN 4-8033-1422-5(「武野義三」名義の著作)
- 『カンボジアの真実 陥穽に落ちたPKO』 1993年1月 亜紀書房 ISBN 4-7505-9221-8(「柴野たいぞう」名義の著作)
- 『環境革命 人類生存のための緊急提言』 2009年12月 国書刊行会 ISBN 4-3360-5175-5(「柴野たいぞう」名義の著作)
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