吉田茂、坂本竜馬、どちらも、土佐の血を引く
吉田が政治なら、竜馬は経済だ・・・
太平洋の荒波で、かつおの一本釣り・・・
これが、土佐の原点だ。土佐の自由だ・・・
生い立ち
1878年(明治11年)9月22日、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士竹内綱の5男として東京神田駿河台(のち東京都千代田区)[1]に生まれる。父親が反政府陰謀に加わった科で長崎で逮捕されてからまもないことであった[2]。実母の身元はいまでもはっきりしない[2]。母親は芸者だったらしく、竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ[2]。
吉田の実父と義父は若い武士として1868(慶応四、明治元)年の明治維新をはさむ激動の数十年間に名を成した者たちであった[3]。その養母は徳川期儒学の誇り高い所産であった[3]。
小学時代の吉田茂
1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子となる。ジョン・ダワーによると、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」という[4]。
養父・健三が40歳の若さで死去し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した。吉田はのちにふざけて「吉田財閥」などといっている[5]。
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