AUTHOR: AO
TITLE: 旅行-大学時代
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CATEGORY: 旅行・地域
DATE: 03/10/2005 09:38:29 AM
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●1年生の秋休みに同級生たちとした東北・北海道の気ままな旅で、旅が好きになった。周遊券を使って普通列車・急行列車を乗り継いで、行き当たりばったりで宿屋を取った。このスタイルは、その後の旅の基本形となった。まだ、青函連絡船しかないころのことだ。とにかく強行軍で、夜中まで遊び、朝早くから列車に乗り継ぐという、睡眠不足の旅だった。
●大学最後の年に、初めて海外へ行った。一番行きたかったアメリカへ。1ドル260円くらいした1980年のこと。大韓航空の格安チケットを買ったが、それでも20万円位した気がする。ロスから入り、サンディエゴに行った。カリフォルニアの青い空が印象的だったが、それ以外は特に面白くもなんともなかった。旅行代理店で、ラスベガス往復チケットを買い、意気揚々と乗り込んだ。そのころは、ギャンブルに自信があり、ブラックジャックを主にやった。初日は勝ったのだが、二日目で負け越した。若い女のディーラーには勝てるのだが、年配の男のディーラーにはなかなか勝てなかった。大学を卒業してギャンブラーの道も考えたが、この件があり、あきらめた。サンディエゴへ戻り、それからニューヨークへ。なにせ、このころの為替レートなので、飛行機代は高かった気がする。当時のニューヨークは、刺激的でエキサイティングだった。面白いことがたくさんあった。身に着けているのが新聞紙だけの半裸の男が、白昼、堂々と五番街を歩いている。道端では、少年・少女いんちき賭博集団がかもを狙っている。メインストリートから脇へ入った小さなジャズ・バーで有名なミュージシャンが、こともなげに演奏している。ニューヨークは、観光で来るよりも、住む場所だと思った。ニューヨークからロス経由で、ハワイへ。旅も終わりに近づき、気が抜けていたためか、エア・チケットを紛失してしまった。帰りの便まで2日しかない。大韓航空のオフィスへ行った。再発行は2日では無理、チケットを新たに購入すれば予約が入っているので、乗れるとのこと。混んでいるので、予約の日に乗れなければ、次はいつ乗れるかはわからないとのこと。そのころは、クレジットカードも持っていなかったし、旅も終わりに近づいていたので、持ち金もほとんどない。日本から送金してもらうにしろ、いつ帰れるか不明。途方にくれてワイキキのメインストリートをとぼとぼ歩いていると、誰かが声をかけてくる。知り合いのカナダ人だった。事情を話すと、お金はあるので貸すという。翌日、金を持って、大韓航空のオフィスへ行くと、チケットを再発行してくれた。カナダ人に金を返し、お礼を言った。翌日、無事に東京へ帰ってきた。
(あ洋介!)
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