照和から巣立ったチューリップ。デビュー30周年を記念して照和に帰ってきて歌った(2002年7月)
1970年代に入ると、福岡市・天神にフォーク喫茶「照和」がオープン、FM福岡も開局しました。チューリップ(第1期)の4曲入りEPレコードが、KBC九州朝日放送の岸川均さんの制作指揮により、財津和夫君の友人、安川義治さんが設立したインディーズレーベル「STAR HILL(スター・ヒル)」から発売され話題になります。

照和は西鉄電車の福岡駅に近く、新天町商店街のそばにある一等地の商業ビルの地下につくられました。ビルのオーナー福田純子先生(元福田学園理事長)は「こうした音楽施設をつくることにより、若い人の非行防止の一助となり、何らかのお役に立てばという思いでした。ですから店から利益を出そうなど最初から念頭にはございませんでした」と話されました。

私が長い間、疑問に感じていたのは、店の経営についてでした。低価格の飲み物や食べ物など、どう考えても収支が取れるとは思えなかったからです。照和は福田先生の教育理念の延長線上で誕生したのです。先生の博多っ子の心意気に感動しました。経緯は先生の自伝「純真への道」に書かれています。

福博のアマチュアミュージシャンたちは、照和のステージを道場として日夜、研さんに励みます。そしてこの店を登竜門として多くのミュージシャンがプロを目指して巣立ちました。チューリップ、海援隊、甲斐よしひろ、長渕剛…。

ただ、井上陽水君の名前が見当たらないのは、先に「陽水君との出会い」の項でお話ししたように、彼にはライブの経験はなく、自作のテープを直接放送局に持ち込んだことから彼の音楽が始まっているからです。陽水君の照和出演は2回ほどではないかと思います。「紙飛行機」を歌ったのを覚えています。

照和は「福岡の照和」としてだけでなく、「日本のフォークのメッカ」と呼ばれ、夏休みなどを利用して全国から多くの若者が訪れるようになりました。今でいう観光スポットです。当時、高校生だった鹿児島の長渕剛君は、大学を選ぶとき、照和に出演したいので、福岡の大学に決めたと話していました。ですから、照和は福博の音楽をひもとく上で礎となる大きな存在となり、ミュージシャンを生み出す「照和伝説」が生まれました。

(聞き手 川副修)