ウイルスは細胞に侵入するまでは、物質と変わらない
どういう消毒液を使って、ウイルスを殺しているのかが、不明・・・
本当に、消毒の効果はあるの?
インチキ臭い~~~、消毒、笑い
Jonnie Walker
消毒臭いのではなく、インチキ臭い、笑い
やはり、この国は鳥インフルエンザ感染症だ - WHO
- 言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)
- コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)
テーマ?
人類は? 裸のサルか? ホモ・サピエンスか? ミュータントか?
われわれは、どこから来たか? 何者か? どこへ行くのか? - ゴーギャン
NHK出版は?
http://www.k-moto.net/book32/archives/2009/10/
篠田謙一著『日本人になった祖先たち』
この本を読んでみたいと思ったのは日経の9月6日の「SCIENCE」の記事を読んだからである。その記事は宮城県の前知事浅野史郎さんが成人T細胞白血病という聞き慣れない病気で入院したことから始まる。この病気母子間で感染する「成人T細胞白血病ウィルス(HTL-V1)」が原因らしい。この病気は九州南部、沖縄、そして東北地方の三陸海岸や北海道に多く発症者が出るという。つまり感染者の分布に地域的な偏りがあるというわけだ。
HTL-V1はアフリカでは今も多くの感染者が見つかっていることから、アフリカで誕生した現生人類の子孫が一万年前以上に日本に到達したことを示しているという。つまり縄文人はアフリカからの来たことを示している一例ということなのだろう。
ところが日本には紀元前5世紀から紀元後3世紀に朝鮮半島から弥生人が渡来し、縄文人を日本の南北に追いやったために、この地方にHTL-V1の発症者が多く出るということらしい。
おもしろいもので、このHTL-V1はアンデス山脈の先住民からも日本人と同じタイプのHTL-V1を持つ人が多くいるという。つまりアフリカから生まれた現生人類の子孫は南アメリカまで旅を続けたことになる。
一方弥生人も渡来してきたときに、病原体を持ち込んでいる。それが結核である。結核菌に感染すると脊椎カリエスになることがある。(正岡子規が冒された病気だ)つまり骨に結核の証拠が残るわけだ。ところが縄文時代の人骨を調べてみると一つもその病気の痕跡が見つからず、逆に弥生時代の人骨を調べると、その痕跡が見つかるという。このことから結核菌は弥生人持ち込んだものだろうと推測されるらしい。それは「今の新型インフルエンザと同じように大きな被害を受けただろう」とその記事は結んでいるが、インフルエンザと結核を一緒にしていいのかなと素人ながら思うが、まあいい。私はアフリカで誕生した現生人類の子孫が一万年以上前に日本に到達したことに多大な興味を覚えたのだ。それでそんなことを書いた、素人の私でもわかりそうな本を探していたら、この本を見つけたわけだ。ただやっぱり素人だから、いくらやさしく解説されていても難しい。
ところがこれは違うらしい。この本によると私たちが教わってきた人類の進化は「多地域進化説」と呼ばれるもので、それは100万年以上前にアフリカを旅立った原人が各地で独自の進化進めてそれぞれの地域の新人に移行したという説である。しかし最近の科学はその説を否定し、現生人類はすべて20万~10万年前にアフリカで生まれ、7万年~6万年ほど前にアフリカを出て全世界広がったというのである。従ってこの説に従えば、北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人といった各地の先行人類はすべて絶滅したことになる。
200万年前以降にアフリカで生まれた人類はアフリカを旅立ち、旧大陸の各地に先行人類が分布したのだが、これらの先行人類はすべて絶滅し、再びアフリカで生まれた私たちの直接の祖先が世界を席巻したことになるのだ。要するにヒトが各地で段階的に進化して、今に至っているのではなく、アフリカで誕生した新人が世界に広がっただけのことらしい。これを「新人ホモサピエンスのアフリカ起源説」といいい、今ではこれは常識となっている。
アフリカってすごい。高等類人猿からヒトへの第一歩を踏み出したのもアフリカなら、私たちの直接の祖先が生まれたのもアフリカなのだ。でも、何でアフリカなんだ。これに関しては未だ説明が出来ないらしい。
著者は「私たちは学校で新大陸を発見したのはコロンブスだと教わります。しかし、それはヨーロッパ人から見た発見であって、彼らは新しい大陸を発見した最初の人類だったわけではありません。実際には、人類の最初の旅がすでに終わっていたことを確認しただけだったのです」と書いているが、まさしくその通りだなと思う。ヨーロッパ中心の歴史書の記述と人類学が教えるものと大きく違うことを教えてくれる。
さらに彼らの進出はポリネシアの島々まで行って完結するけれど、その先には南米大陸がある。中にはそこから南米に渡った新人がいたかもしれない。そうなると北から北米へ渡り、南米に至った同じ自分たちの子孫と出会い、再会した可能性がある。ここでも著者は「ミトコンドリアDNAの拡散の歴史から見れば、非常に劇的なものだった」と言っているが、もしそれが本当にあったとしたら、すごいことだ感じいっちゃう。
私たちはその歴史の変遷(あるいは文化の伝搬など)を知るには、残された遺跡や考古学的資料など、ぽつんぽつんと発見される事実を、その変化を目に見える範囲内で、同じものや似たものをつなぎ合わせて、たぶんこんな感じでつながっていったんじゃないかと想像することで、歴史を語ってきたような気がする。特に文書として記録がない時代はそうであろう。
ところが科学は動かしがたい事実をそこに突きつける。それまであった歴史の常識さえ覆してしまうのだ。もしかしたら科学というのは、歴史を本当の意味で書けるんじゃないかと思ってしまう。もう歴史学は文系のものではなく、理系の範疇に組み入れられるものに変わってしまうのではないかと思ったりする。
ところが親の持つDNAがそのまま子孫に伝わるものがある。それがミトコンドリアDNAである。ミトコンドリアDNAは母系に伝わる。つまり常に娘が生まれて子孫を残していけば、母系の系列は絶えないのから、子孫のミトコンドリアDNAは先住者のものと同じとなる。一方父系にはY染色体のDNAが継承される。(この本は基本的にミトコンドリアDNAで人類の歴史を語っている)
一時、天皇の皇位継承権で愛子様が女帝になるという話があり、それを認めようかどうか問題になった。そのとき反対意見としてそれまで男子に皇位継承権を与えてきたから、Y染色体が代々継承されてきた。しかしここで愛子様が天皇になるとそのY染色体が断絶するということがあったが、それがこれなんですね。著者もDNAを血統とか家系と結びつけて捉える考え方があり、場合によっては特定の家系を特殊なものであると考える際の生物学的なバックボーンと利用されることもあると、暗に当時騒がしていた皇位継承権の問題を批判しているような気がした。
そもそもY染色体の「最大の機能は言うまでもなく男性を作る作用なのですが、その部分は非常に小さく1000塩基対程度しかありません。Y染色体の大部分は意味のないDNA配列で埋められていて、実情はそれほど威張れるものでもないようなのです。ことさら男子の系統を大切にする風潮は、DNAから見れば何か滑稽な感じすらします」と著者は言っている。
その解析の結果、ミトコンドリアDNAの多様性は大きく四つのグループに分けられる。それぞれA~Dの記号をつけられ、これを専門用語で「ハプログループ」と呼ぶ。このハプログループがさらに細かく分岐していく過程を見ていくと、アフリカで生まれた新人がどのように移動していったかが、わかるというので、結果さっきあげた分布図となっていく。(かなり端折っちゃたけれど、正直あまりにも細かくてよく分からなかった)
日本人の祖先もこの分布図に示される人類の移動経路で考えなければならない。ただ書名の割には日本人の祖先はどこから来たのか、結論を明確にしていない。
日本人の成立に関しては、形質人類学の立場から、旧石器時代につながる東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に東北アジア系の弥生人が流入して徐々に混血して現在に至っているという二重構造論が唱えられていることを、DNAの解析からある程度これを認めて終わっている。著者は「現代日本人が在来系の縄文人と渡来系の弥生人の混血によって成立したという、混血説(二重構造論)を強く支持しています」と書いている。ここでは結論しているんじゃない。あくまでも「支持している」と書いているだけだ。それを断定できるほど、ことは簡単じゃないらしい。
でも、こうした結論はちょっと陳腐過ぎるような気がする。たとえ生物学的共有物をお互いの国の人々が持っていても、だから仲良くなりましょうとはいかないのが現実で、こんなことを言っても「だから?」と言われそうな気がする。生物学的なことと実際の人間が持つ考え、宗教思想、あるいは政治思想とはまったく別問題だからだ。それに人が自分を認識するのは、他人と比べていかに自分は優れているか(劣っているか)、違うのかで、そう思うわけで、異なる他者がどうしても必要なところがある。悲しいけれどそれが事実だ。そういう比較は、仲良くなりましょうという考えから、明らかなに相反する。だからこの本の結論としては、せっかく面白く、ワクワクさせてくれたのにちょっともったいないなと思ったわけだ。
この本の最後には、科学や技術の発達は、これまでにないヒトの移動を可能にする。経済のグローバル化はボーダレス社会を築き始めている。そのことはそれまで人類が長いことかけて蓄積してきた地域に固有のDNAの組織が解消する可能性がある示唆している。だろうな、と思った。このことはそれまで固有であったものがそうでなくなることを示している。さらに国の、社会の、民族の、あるいは特定の家系の固有性を示すバックボーンとして成り立たなくさせることにもなる。当然遺伝子の分野でも大きな変化を起こすのだろう。でも一方でなんとかしてその固有性にこだわるということも出てきそうだ。だからDNAの共有だけでは世界平和は生まれないのではないかとも思う。
評価
★★★
書誌
書名:日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造
著者:篠田 謙一
ISBN:9784140910788
出版社:日本放送出版協会 (2007/02/25 出版)NHKブックス
版型:219p / 19cm / B6判
販売価:966円(税込)
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