Aoyagi YoSuKe
アジア広し、歴史長しといえども、ムスタング・
ビヨンセ号に乗れるのは? ジンギスカンくらいじゃないの?
強すぎる・・・
(出典)
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu14.html
モンゴル高原の統一
さて、現在我々がモンゴル高原と呼んでいる場所。
平均標高1600メートルのこの場所では、
遼が滅んだころより遊牧民族の各部族が抗争を繰り広げていました
。そんな中、12世紀の半ば過ぎ。
全世界の歴史に影響を与えることになる人物が生まれました。
その男の名前はテムジン。後の、チンギス=ハン(1167頃~
1227年)です(ジンギスカンなど、呼び方は色々)。
テムジンは、遊牧民族の1つであるモンゴル族の一首長、
イェスゲイの息子でしたが、9歳の時、イェスゲイは、
敵対するタタール族によって、毒殺されます。
この地が中国であれば、幼くても息子がその地位を継ぐでしょう。
しかし、モンゴルはそうはいきません。なぜならば、
モンゴル高原は大変気候の厳しい場所です。我々は、
モンゴルと聞くと大草原を思い浮かべがちですが、
岩がごろごろとしたところや、砂漠もあります。しかも、
夏は案外少なく、一年の大部分は雪で覆われる。そんな地域です。
で、この地域で生き抜くためには、強大な指導者が必要。
9歳の子供ではお話になりません。イェスゲイ死後、
その傘下にいた人々は、みな去っていきました。テムジンは、
母と弟たちだけで生活することになります。当然、
過酷な環境です。
しかし、テムジンは狩猟採集で自活し、決断力、実行力、統率力、
それから冷酷さを身につけます。やがて、
成長したテムジンを支援する人々が出てきました。そして、
人が集まるようになり、他部族との戦いに勝利して、
また人が集まる。そして、モンゴル高原を統一したのでした。
テムジンは諸部族による有力者の会議、
クリルタイにおいて指導者と認められ、
ハンという称号が与えられます。ハンとは王というような意味で、
モンゴルだけでなく、遊牧民族一般によく見られる称号です。
チンギス=ハン(位1206~27年)の誕生です。
チンギスという名前の意味についてはよく解っていません。
ちなみにチンギスはこの時40代~50代。
既に決して若くはないんですね。
さて、チンギス=ハンが各部族を統合すると、
それを総称する形でモンゴルと呼ばれるようになります。
モンゴル高原とか、モンゴル系の、
という言葉はこのとき出来上がったものです。それまでは、
モンゴルというのは前述したように一部族の名前。また、
ロシアなどではタタール(ダッタン)
という言葉でモンゴルを表すこともあります。これは、
先ほど登場した、
モンゴル族のライバルだったタタール族からきている名前です。
さて、この時にチンギス=ハンは、モンゴルの各部族を部族単位(
戸)で万・千・百・十に編成します(千戸所・百戸所制)。
さらに、「ヤサ」とよばれる法律を作ります。
これは長くモンゴルで遵守されました。
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