建築家のルイス・カーンはグローバル・ホームレス?
死亡時の清算は? 赤字、5000万円くらい・・・
NYの地下鉄の駅で、身元不明死体で発見された、73歳?
建築家の夢、ルイス・カーンの建築
染谷 正弘2005年05月20日
リチャーズ医学研究所
キンベル美術館
フィッシャー邸
「MY ARCHITECT(マイ・アーキテクト)」 というドキュメンタリー映画が、 アメリカで静かな話題を呼んでいる。 第76回アカデミー賞候補にもノミネートされていて、 今年の7月には日本でも劇場公開の予定だという。 「MY ARCHITECT」のアーキテクト、つまり建築家は、 20世紀建築最後の巨匠ルイス・カーンだ。 彼が62歳のとき生まれた実の息子が、 この映画の監督をしている。幼くして父を亡くした息子の「 父親探し」がテーマのドキュメンタリーで、笑いあり、 涙ありの感動の珠玉作品と評判だ。 建築を思惟(しい)する哲学者、そして建築家ルイス・カーン。 彼の信奉者は世界中にたくさんいる。実は、 僕も彼を信奉する者のひとりで、 この5月初旬に彼の建築を訪ねてアメリカを旅してきたばかりだ。 ルイス・カーンの建築空間を実際に体験し、 その感動とともに様々な想いが脳裏を駆け巡った。そこで、 彼の建築を通し、建築家の仕事とは何か、また「建築( Architecture)」とは何か(05/03/25参照) 、いま一度あらためて考えてみようと思う。 20世紀も後半になると、環境汚染、貧富の格差の拡大、 核戦争の脅威など、 近代科学文明の影の部分がより色濃く地球全体を覆いはじめていく 。同時に、 未来に向かって光り輝いていた鉄とガラスとコンクリートの近代建 築も、無機的で味気なく色あせて見えはじめる。 そうした時代を背景に、ルイス・カーンは登場する。 ルイス・カーンの名を世界に知らしめたのは、 彼が56歳のとき設計したペンシルバニア大学「 リチャーズ医学研究所」(1957~65)である。 建築家として遅咲きの彼は、晩年のおよそ20年間で、 小さな住宅、美術館、教会など、数々の名建築を残している。 なかでも「キンベル美術館」(1966~72)は、 20世紀後半の世界最高傑作だといわれている。 どこかいにしえの神殿を髣髴(ほうふつ) とさせるこの美術館を訪ねることが、 今回の旅のメインイベントになっていた。 その内部空間に広がる穏やかで優しさに満ちた光に抱かれたとき、 僕はあまりの感動に思わず涙してしまった。 これまでたくさんの建築を体験し、何度も感動はしている。でも、 こんなことは初めてだった。美術館という用途を超えた「建築」 の力をまざまざと感じた瞬間だった。 今回の旅でルイス・カーンが手がけた住宅を3軒訪れている。 そのどれもが、郊外の住宅街の一画に、家と家の間(04/08/ 28参照)には樹木しかないすばらしい環境に建っていた。 3軒とも、間取り、住まい方をみれば、正統な近代住宅( モダンリビング)であることに変わりはない。 いかにも住み心地のよさそうな家だ。ただ、 そこが小さな礼拝堂や美術館、 あるいはカフェになっても少しも不自然ではなく思える。 どれもが、住宅という用途を超えた確かな「建築」になっていた。 建築とは、思索にあふれた空間の形成である。 思索にあふれた空間こそが、 人間の創造力を喚起させて建築に適切な用途をよびさます。 建築と人との交信の「はじまり」、それが大切なんだ。 そのようなことをルイス・カーンは言っている。 20初頭の近代化への変革のなかで、 効率性を優先する社会の要請から生まれたのが近代建築ならば、 ルイス・ カーンは時代を超えた永遠の建築をめざしていたといえよう。 たとえば、建築の使い勝手の良し悪しは、 人それぞれのライフスタイルによって、 また時代によって大きく変わってしまう。「はじまり」 を喚起させる建築、それこそが建築の永遠性を保証すると、 ルイス・カーンは言いたかったのだろう。 建築家は、 いつも永遠なる建築の夢をみている少年なのかもしれない。でも、 建築家をめざす誰もが、ルイス・ カーンのような建築をつくれるわけでも、 彼のようになれるわけでもない。 永遠の建築を実現しようとした彼は、壮絶な人生を送っている。 幼い頃ロシアからアメリカに移住し、顔に大やけどを負い、 生涯3人の女性を愛し、三つの家庭を同時に持ち、 とき事務所の寝袋に寝て、大学で講義をし、 世界中を駆け回って建築を創(つく)る。「MY ARCHITECT」の監督は、 30歳年下の恋人との間に生まれた子供と聞く。そして、 アーメダバードからの帰宅中にペンシルバニア駅の公衆便所で心臓 発作により、巨額の借金を残しその生涯を閉じる。享年73歳。 ルイス・カーンはこんなことを言っている。「都市とは、 小さな子供が歩いていくと、 将来一生をかけてやろうとするものを教えてくれる何かに出会う、 そんなところだ」。僕は、そんな街をつくりたい。そして、 そんな街に住みたい。
建築家の夢、ルイス・カーンの建築
「MY ARCHITECT(マイ・アーキテクト)」 「MY ARCHITECT」のアーキテクト、つまり建築家は、 建築を思惟(しい)する哲学者、そして建築家ルイス・カーン。 ルイス・カーンの建築空間を実際に体験し、 20世紀も後半になると、環境汚染、貧富の格差の拡大、 ルイス・カーンの名を世界に知らしめたのは、 なかでも「キンベル美術館」(1966~72)は、 その内部空間に広がる穏やかで優しさに満ちた光に抱かれたとき、 今回の旅でルイス・カーンが手がけた住宅を3軒訪れている。 建築とは、思索にあふれた空間の形成である。 20初頭の近代化への変革のなかで、 建築家は、 幼い頃ロシアからアメリカに移住し、顔に大やけどを負い、 ルイス・カーンはこんなことを言っている。「都市とは、 |
路上生活者の年金適正受給を
9月19日 4時15分WEDNESDAY, JULY 21, 2010
BirdMan Inc. - Creator
わが社は、現時点で、ホームレス、オフィスレスのグローバル・エンタープライズです
エンタープライズ内のパートナー企業、Honey Companyの仕事道具です
○モバイルツール(社主) 黒い旅行鞄と青いサイドバック
中身は?
Book Shelf in Kindle
リーダシップを取って、企画・提案型のビジネスを展開します
クリエイター(コンテンツ系) - 社主(Aoyagi YoSuKe) =>三井住友/VISA
nandemoYA?(ツール系) - Art HarbOur => みずほ/Master
Aoyagi YoSuKe
Creator
社主(やしろのぬし)
社訓)
ソウルは魂、人である・・・
スピリッツは、開拓者の魂
ハートは、愛のサイン
マインドは、紳士の心得
ソウルは友愛、パートナーシップ
スピリッツは心の自立
ハートは絆
マインドは経済の自立
子供へ、原則として、自身のカネは、自身で稼げ - 独立精神
クリエイティブクラスとは? デザインができる人
デザインとは?
意匠、創意、工夫、設計・・・
デザイン=プラン(時系列)+モデル(ハード)+スタイル(ソフト)
モードとは? デザインのダイナミズムです・・・
ビジネスとは? デザインをもとに、政治経済力学をもって、トレードすること
オープン、フェア、オネストの心得で・・・
現時点の第二の月の炉心は? Master&VISA
経歴書 2009/11/23 現在
青柳 洋介
1. 学歴
1976年4月 東京大学教養学部理科1類 入学
1981年3月 東京大学工学部物理工学科 卒業
TAC 中小企業診断士講座 2002年9月 修了
翻訳学校 フェロー・アカデミー 2003年7月~2005年9月 修了
アメリア・ネットワーク ブックハンター養成講座 2005年7月 修了
2.職歴
1981年4月 ~ 2001年11月
某電機メーカーにて、システムエンジニアとして勤務した。
2004/1/1 個人事業主 翻訳者を開業した。2008/12/31日 廃業
2009/1/1 個人事業主 Creatorを開業した。
・ 「アサーションベース設計」丸善(株)2004年9月30日 刊行 503ページ
(最新のLSI設計手法の書籍 共訳
原著:Assertion-Based Design, Harry Foster, Kluwer Academic Publishers)
・ “Animals In Translation” Temple Grandin, Simon & Shuster Inc.
翻訳出版の企画を行ったが、その時点で、担当翻訳者が決定済みだった。
NHK出版から、『動物感覚』のタイトルで出版された。
・ “To Touch A Dolphin – A Journey Of Discovery with the Sea’s Most Intelligent Creatures” Rachel Smolker, Random House Inc. Doubleday
『野生のイルカとふれあう - 世界遺産に生息する知的生命体発見の旅』
のタイトルで、翻訳出版の企画を行った。いくつかの出版社をあたったが、
企画を応諾する出版社が見つからなかった。
なお、本書については、翻訳済み原稿があります。
3.連絡先など
#所在地
〒154-001
東京都世田谷区池尻
氏名:青柳 洋介(あおやぎ ようすけ)
性別:男
生年月日:昭和31年6月22日
E-Mail: ayosuke.cosmos@gmail.com
Web Site : http://ayosuke-cosmos.blogspot.com/
#資格
免許・資格 普通自動車 xxxxxxx号 昭和52年8月23日
第一種情報処理技術者 第1140771号 昭和58年2月10日
(なお、ペーパードライバーなので、運転免許は身分証明書として使用)
0 件のコメント:
コメントを投稿