(the Photo provided by NASA)
土曜日, 5月 23, 2009
みんなという意識と言葉
みんなって、だれのこと?
みんなという言葉を使う人へ
みんなって、だれのこと?
教えてください!
あなたって、だれ?
教えてください!
参考)
木曜日, 8月 07, 2008
神の子、神の友、星の子
神の子 モーゼ、イエス、ムハンマド、釈迦牟尼、シャマン、、、
神の子に近い人 親鸞、ゴッホ、Rumi、、、
神の友 コペルニクス(ガリレオ)、ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン、、、
Aoyagi YoSuKe
追伸:
神とは?
Yahweh、God、Allah、Brahman、Cosmos、、、
追伸:
われわれ 星の子
参考)
Who am i
Lyrics leonard Bernstein(1950)
Who am i
Who am i
Was it all planned in advance
Or was i just born by chance in july
Who on earth am i
My friends only think of fun
They're such a curious a lot
Must i be the only one
Who thinks these mysterious thoughts
Some day i'll die
Will i ever live again
As a mountain lion
Or a rooster, a hen
Or a robin, or a wren, or a fly
Oh, who am i
Do you believe in reincarnation
Do you believe in reincarnation
Were you ever here before
Have you ever had dreams
That you knew were true
Some time before in your life
Have you ever had that experience
So you must question
All the truths that you know
All the love and the life
That you know and say
Who am i
Will i ever live again
As a mountain lion
Or a rooster, a hen
Or a robin, or a wren, or a fly
If i'm one of those lives
That have been reincarnated again
And again, and again
Oh, who am i
僕は、だれ?
詩 レナード・バーンスタイン
訳 青柳洋介
僕は、だれ?
僕は、だれ?
あらかじめ、すべては決まっているのだろうか?
たまたま、7月に生まれただけか?
いったい、僕は、だれ?
友達は面白がるだけ
好奇心を持つだけ
でも、僕は僕でしかない
だれが、こんな不思議なことを考えたのだろう?
いつの日にか僕は死ぬだろう
ふたたび、甦るのだろうか?
マウンテン・ライオンになって
おんどりか、めんどりになって
コマドリかミソサザイか、ハエになって
いったい、僕はだれ?
あなたは、輪廻転生を信じますか?
あなたは、輪廻転生を信じますか?
むかし、あなたはここにいた
たくさんの夢を持っていた
あなたが本当だと思っていたもの
今までの人生で
そのような経験をしたはずでしょう
不思議に思えるでしょう
あなたが知っているすべての真実
すべての愛、人生
これらは、あなたが知っているもの、語ること
僕は、だれ?
僕は甦るのだろうか?
マウンテン・ライオンになって
おんどりか、めんどりになって
コマドリかミソサザイか、ハエになって
この生き物のどれであっても
僕は輪廻転生して甦った
輪廻、輪廻
いったい、僕はだれだろう?
Nina Simone sang this song.
ニーナ・シモンが歌いました。
参考)
月曜日, 4月 16, 2007
We were born by a river! Or star children?
We were born by a river rather than we are the world!
Aoyagi YoSuKe
私たちが世界というよりも、私たちは川のそばで生まれた!
青柳洋介
パリ:セーヌ川、ロンドン:テムズ川、ニューヨーク:ハドソン川、
東京:江戸川、隅田川、多摩川、ソウル:漢川(ハンガン)、北京:長江、、、
エジプト:ナイル河、メソポタミア:チグリス河、ユーフラテス河、
インド:インダス河、ガンジス河、 中国:黄河、
ヨーロッパ:ライン河、ロシア:ヴォルガ河、
南米:アマゾン河、北米:ミシシッピ河、
オーストラリア:???、アフリカ:ナイル河、、、
日本人の立場から言えば、「川のそばで生まれた」になります。
だからと言って、「私たちは世界」を否定しているわけではありません。
地球は丸いです。
日本も中国もアメリカも中心ではありません。
宇宙は広いです。
地球も宇宙の中心ではありません。
宇宙の中にたくさんある銀河のひとつの端の方にある太陽系の
なかのひとつの惑星です。
銀河も河か?
やはり、私たちは河のそばで生まれた?
We are star children?
青柳洋介
From Shimokitazawa Harbour on April 16,2007
Aoyagi YoSuKe Official Site 青柳洋介 オフィシャル・サイト
投稿者 AO 時刻: 4/16/2007 11:35:00 午前
ラベル: アートとサイエンス
アパルトヘイトの打破と宗教について
木曜日, 5月 07, 2009
Gaia Biotope
以下の詩のEarthを、Gaia Biotopeと捉えれば分かりやすいと思います。
biotope [生]ビオトープ<野生動植物が共存共栄できる安定した場所>
通常は、封印された金魚鉢、国際宇宙ステーションなど限定的な生態系のことを指します。
だが、ガイア自体も、ビオトープなのです。現時点で、ガイアの安定状態を超えるような環境負荷がかかっています。つまり、ビオトープの汚染の度合いが大きくなって、ビオトープのフィルタリング機能が不全を起こしかけています。地球誕生以来、ひとつの種(人類)がビオトープの状態をこれほど短期間の間に、激変させたことはなかったはず。
だから、人類の知恵が問われている。
だれに?
ヤハウェ、ゴッド、アッラー、ブラフマン、コスモスなどにです・・・
人類が裸のサルか、それとも、ホモ・サピエンスか、それが問われているのです。
人類は自身のことをホモ・サピエンス、つまり、知性人、叡知人と命名しましたが、上記のようなヤハウェ、ゴッド、アッラー、ブラフマン、コスモスなどから見れば、果たして、ホモ・サピエンスか?
自滅しつつある裸のサルではないか?
そんなところです。
人類が食物連鎖の頂点にいるというような狭量な見方をしている以上、人類は裸のサルです。
われわれは、ガイア、つまり、地球生命体の中のひとつの種にすぎません。階層構造的な食物連鎖というとらえ方に誤りがあります。正しくは、食物循環です。Food Chainではなくて、Food Circulationです。
その証拠に、もしも、人が密林の中で、ただひとりで死ぬと、他の動物や、微生物などが死体を食べて、食物循環の輪の中に戻ります。
われわれは、ガイア・ビオトープの一員にすぎません。
その認識の下で、下記の詩を見てください。
よろしく
注記)
つたとは、植物の象徴です。女とは、動物の象徴です。
つまり、ソーラーシステムの下、植物が光合成をして、栄養素などを生産している。そして、動物がそれを食べている。
その動物も、死ねば、また、食物循環の輪の中に戻る、という意味です。
この仕組みを、仏教では、輪廻転生と呼んでいますが・・・・
日本では?
草食系男子
肉食系女子
などと呼ばれています。なぜなら、ガイアがこのような状態でも、女子は生理学上、蛋白源などを摂取する必要があります。そのような体の構造になっています。
包丁を研いでいるヤマンバ、種付けしたオスを餌にしてしまうカマキリ、女郎蜘蛛など、メスは食欲が旺盛なのです。これには、人の場合、爬虫類脳と、哺乳類脳が大きく関わっているはず。
脳は大きく分けると、
爬虫類脳 野生(食欲、性欲、縄張り争いなど)
哺乳類脳 母性、父性(子育てなど)
人類脳 知性、感性など(主に、大脳皮質が関わっている。人類の特徴は、大脳皮質が極端に発達していることです)
になります。
いずれにしろ、ガイアのサバイバルのためには、大脳皮質の進化が必要です。ハードウェア的な意味ではなくて、ソフトウェア的な進化が必要です。よって、先進国では、クリエイティブな教育が重要です。ガイアの激変に対応できるような柔軟で創造的な脳が必要です。
そのことを、ソフトウェアDNA、智慧などと呼んでいます。
そして、人類を特徴付ける最大の点は?
二足歩行と言葉です。
人類ほど安定して二足歩行ができる動物はいません。人類ほど多様な言葉を使用する動物もいません。
肉体的な構造の二足歩行、発達した脳の特徴である言葉
ここが、サバイバルのためのミソです。キーポイントです。
以上
土曜日, 4月 04, 2009
日本のアパルヘイト
日本にも、旧態然とした封建制度的アパルトヘイトが存在する。
ただし、個人的に、平等とは?
「機会均等」のことを意味している。
これは、重要である。
機会均等の下に、生物多様性がある。責任・義務・権利の多様性がある。報酬の多様性がある。
そういう意味での「平等」です。
機会均等の下に、平等を実現するには?
「公正な評価システム」
の導入は必至です。
マスメディアの宣伝によるポピュリズムは、衆愚政治を招く・・・
例)
人種によるアパルトヘイトの打破
性差によるアパルトヘイトの打破
貧富によるアパルトヘイトの打破
年齢によるアパルトヘイトの打破
職業によるアパルトヘイトの打破
血筋によるアパルトヘイトの打破
など
具体例)
在日・韓国朝鮮人
部落民
アイヌ民族
家に縛られている女性
(未だに残っている男尊女卑、実在する父系重視の戸籍制度・相続制度、家父長制など)
オウム真理教
アキバ天国派遣社員通り魔
確信犯自爆テロリスト小泉
暴力団構成員
その他、不公正な扱いを受けたり、村八分にされている人たち・・・
以上
投稿者 AO 時刻: 4/04/2009 08:47:00 午前
ラベル: ART HARBOUR, 教育, 理念
詩) 天地創造
天地創造 つた
Creation
Yahweh created Heaven and Earth,
Rain comes from the heaven to the earth,
Vine grows,
And then it became a woman!
God created Heaven and Earth,
Rain comes from the heaven to the earth,
Vine grows,
And then it became a woman!
Allah created Heaven and Earth,
Rain comes from the heaven to the earth,
Vine grows,
And then it became a woman!
Brahman created Heaven and Earth,
Rain comes from the heaven to the earth,
Vine grows,
And then it became a woman!
Energy created Universe,
Rain comes from the universe to Gaia,
Vine grows,
And then it became a woman!
Aoyagi YoSuKe
I created a poem. How do you feel?
From Shimokitazawa Harbour
天地創造
ヤハウェが天地創造し、
大地に雨が降り、
つたが生え、
女になった!
ゴッドが天地創造し、
大地に雨が降り、
つたが生え、
女になった!
アッラーが天地創造し、
大地に雨が降り、
つたが生え、
女になった!
ブラフマンが天地創造し、
大地に雨が降り、
つたが生え、
女になった!
エナジーが宇宙を創造し、
ガイアに雨が降り、
つたが生え、
女になった!
青柳洋介
水曜日, 5月 06, 2009
エコシステム - 広義のビオトープ
○エコシステム
エコシステムの創造とは?
ガイアを健全なビオ・トープにすることである。
エコシステムは、エコノミー・システム(経済系)とエコロジー・システム(生態系)で、構成される。
自然界は、天気のシステムに連動した生態系に依存している。
ここが、ミソである。つまり、人がガイアシステムに意図的に介入することにより、ガイアシステムを持続可能な系として維持していく。
これこそが、エコノミー・システムである。人の知恵が、種の絶滅などを防ぐように、ガイアシステムを全生命のための共生システムとして、維持するものである。
これは、ある意味において、神の領域への挑戦である。
これこそが、quasi-Divine Systemと呼んでいるものである。
Babylon System -> quasi-Divine System <- Divine System
エコノミーシステムと、エコロジーシステムをバランスよく維持していくことで、神の世界に人類の意図を組み込んだほうが、ガイアの全生命のサバイバルの可能性が高まるのである。
神への挑戦である・・・
エコシステムを構築するにあたって、重要なシステムは、ソーラーシステムである。
現時点では、月や、火星への移住などよりも、全宇宙の観測、ソーラーシステムの観測に留めるべきである。
なお、国際宇宙ステーションは、ガイアの観測・診断システムとして、活用すべきである。
金曜日, 4月 04, 2008
The New Solar System
How do you feel Cosmos... New Solar System... Gaia?
Pluto was recognized as a dwarfish one.
Sun(太陽)
Planet(惑星) 太陽系の惑星から冥王星が格下げになって、矮小惑星になった。惑星の数は8個になった。
Mercury(水星) 【ロ神】神々の使者、商業、雄弁、技術、旅行、盗賊などの使者 【HOLST】翼のある使者
Venus(金星) 【ロ神】愛と美の女神 【ギ神】Aphroditeに相当 【HOLST】平和をもたらすもの
Gaia(ガイア) 【サイエンス】地球生命体
Mars(火星) 【ロ神】戦いの神 【ギ神】Aresに相当 【HOLST】戦争をもたらすもの
Jupiter(木星) 【ロ神】神々の王で天の支配者 【ギ神】Zeusに相当 【HOLST】快楽をもたらすもの
Saturn(土星) 【ロ神】農耕の神、子供のJupiter以前のGolden Ageの主神 【ギ神】Cronusに相当 【HOLST】老年をもたらすもの
Uranus(天王星) 【ギ神】天の神で宇宙の初期支配者 【HOLST】魔術師
Neptune(海王星) 【ロ神】海洋の神 【ギ神】Poseidonに相当 【HOLST】神秘をもたらすもの
ガイア(地球生命体の)当面の目標は?
日曜日, 2月 24, 2008
○六大驚天地
最後の晩餐の結果2050年ころに現れるかもしれない世界:
六大驚天地:
極楽世界、浄瑠璃世界、桃源郷、
パラダイス、シャングリラ、カルディ
六大経済圏:
欧州経済圏、北米経済圏、アジア・オセアニア経済圏、
アラブ経済圏、アフリカ経済圏、中南米経済圏
六大大陸:
ユーラシア大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、
北米大陸、南米大陸、南極大陸
結果:最後の晩餐後の2050年ころに六大驚天地が出現するか?
ガイアの全生命、全物質(全自然物、全人工物)の知恵を総結集したら、出現するかも?
特に、2030年辺りが最大の難関! 大嵐の中で最後の晩餐を続けることになりそう! だが、スーパー・ハリケーン級は発生しないだろう! 風速70メーター級以上のハリケーンが多発する可能性は十分にある!
美しいガイアが創造できるかのカギは人類の知恵! 科学技術、宗教、哲学など人類のあらゆる知恵を結集する必要がある。うまくいけば、有史以来初の六大驚天地が出現するだろう!
Aoyagi YoSuKe
○シンプルなquasi-Divine Systemとは?
火曜日, 1月 27, 2009
The Simplest Divine System
This is the Simplest Divine System.
This System consists of Energy, Air and Water.
A Soul is A kind of Energy.
Reincarnated Souls
Lyrics Neville Livingston
We are reincarnated souls from that time.
And we are living on earth, heat, air and water this time.
We are reincarnated souls from that time.
And we are living on earth, heat, air and water this time.
In the beginning was the word,
And the word manifested itself into the flesh,
Which even became a man,
All because of the divine plan.
Man being lower than the angels,
Over all earth was he given dominion,
He devised his own destruction,
But the world lives on and on.
He who is weary, let him come hither, oh.
He who has eyes to see, let him look younger!
All who are thirsty, let them drink clear water.
Drink water, drink water.
We are reincarnated souls from that time.
And we are living on earth, heat, air and water this time.
We are reincarnated souls from that time.
And we are living on earth, heat, air and water this time.
Nothing is new under the sun,
All has been here since time begun,
And with all the years we’ve spent,
Only changing names to protect the innocent.
Like a seed that is planted by the water,
Prepared to die before new birth,
Changing is its form to another,
Taking on a structure just as the first.
He who is weary, let him come hither, oh.
He who has eyes to see, let him look younger!
All who are thirsty, let them drink clear water.
Drink water, drink water.
2005/11/9
転生する生命
詩 ネビル・リビングストン
訳 青柳洋介&Dan
俺たちは、原初の時代から転生している生命だ
地上で熱と空気と水によって生きている
俺たちは、原初の時代から転生している生命だ
地上で熱と空気と水によって生きている
言葉が始まりだった
その言葉は、生き物に与えられた
人にもなった
自然の摂理だ
人は天使よりも下だ
だが、人に地上の支配権が与えられた
人は破壊しているだけだ
だが、世界は生き続ける
疲れている生命を元気にしよう
目を持つ生命を若返らせよう
渇いたすべての生命に清浄な水を飲ませよう
水を飲ませよう、水を飲ませよう
俺たちは、原初の時代から転生している生命だ
地上で熱と空気と水により生きている
俺たちは、原初の時代から転生している生命だ
地上で熱と空気と水により生きている
太陽の下では、新たなものなどない
時の始まりと伴にすべての生命がここにある
生命が経てきたすべての年月
無垢なものを守るために名前を変えただけだ
水で育つ種のように
新たな誕生の前に、死が用意されている
形が変るだけだ
構造は原初のままだ
疲れている生命を元気にしよう
目を持つ生命若返らせよう
渇いたすべての生命に清浄な水を飲ませよう
水を飲ませよう、水を飲ませよう
投稿者 AO 時刻: 5/07/2009 10:31:00 午前
ラベル: AO, ART HARBOUR, まとめ, 教育, 理念
日曜日, 5月 17, 2009
世界三大ウオール
ベルリンの壁 取り除かれた
嘆きの壁 Western Wall ヘロデ王のお墓らしい・・・
板門店 南北鉄道の風穴が開いた
みなさん、故郷へ戻るために、墓参りする。これらの壁は、墓参りの障害となっている。
つまり、良くない壁である・・・
お祈りとは? 言い換えれば、墓を参ることである・・・
ところが、地球は丸い、ぐるぐる回っているうちに、元に戻る。つまり、墓参りができる。
さらには、生まれた所へ帰るというよりも、極楽へ行くのである。
人によっては、その入口がお墓だったりする。人によっては、マザー・アースだったっりする、人によっては、ガイアだったりする。
21世紀のコスモポリタンの生まれ故郷は、ガイアである。あの世から、この世に生れて、この世で生きて、あの世へ行く。
あの世とは、極楽などのことである・・・
昨夜、発見しました。
墓参り、つまり、お祈りの原理が帰巣本能に基づいている。
この世では、家に帰る。つまり、帰巣本能。
あの世では、墓に帰って、そこから、極楽へ行く。つまり、帰巣本能です。
そして、個人的には?
帰巣本能が進化したコスモポリタンである。つまり、ガイアに帰巣すればよい。
火星人にはならない、と言うことです。地球人、マザー・アース、ガイアへ、帰巣すれば問題ない。
よって、散骨を選択しました。できれば、海が望ましい。なぜなら、生き物は海から、上陸した。
古巣である海の極楽へ行く。つまり、僕の極楽は竜宮城である。
鯛やひらめの舞い踊りを竜宮城で見る。僕が帰巣する地です・・・ 海の極楽、竜宮城という、あの世へ行くのです。
「洋介」という名前は、太平洋の洋から取りました。
海はつながっている。帰巣する場所は、どこでも良い。
バリ島のクタビーチ、真鶴の三石でも良い。縁が深い場所から、竜宮城へ行きたいと、個人的には考えています。
「海は広いな、大きいな・・・」
大海原の底にある、竜宮城こそ、僕の極楽です・・・
Creator Aoyagi YoSuKe
---Wikipedia
嘆きの壁(なげきのかべ、Western Wall, Al-Buraq Wall, HaKothel HaMa'aravi, ヘブライ語:הכותל המערבי)は、エルサレム神殿のいわゆるヘロデ神殿の外壁の一部。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。
概要
紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め、外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。
訪れた人々が壁に触れて祈りをささげるため、人の背の高さの壁部分は黒ずんでいる(上部画像参照)。
歴史
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
嘆きの壁の歴史は、紀元20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。
70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った。
バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる(詳細不明)。
1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。
投稿者 AO 時刻: 5/17/2009 03:16:00 午前
ラベル: AO, ART HARBOUR
木曜日, 4月 09, 2009
三大聖人とパリサイ人
The Great Three - 三大聖人
Sakyamuni perceived Rules from Brahman,
And then advocated Order!
Jesus perceived Words from God,
And then preached Love!
Muhammad perceived Doctrines from Allar,
And then exhorted Equality!
Aoyagi YoSuKe(ayosuke!)
सक्यामुनी पेर्सिवेद रुलेस फ्रॉम ब्रह्मण,
एंड थें अद्वोकातेद आर्डर!
जेसुस पेर्सिवेद वोर्द्स फ्रॉम गोद,
एंड थें प्रेअचेद लोवे!
मुहम्मद पेर्सिवेद दोक्ट्रिनेस फ्रॉम अल्लर,
एंड थें एक्ष्होर्तेद् एकुअलिटी!
ओयागी योसुके(अयोसुके!)
釈迦牟尼はブラフマンから啓示を受けて,
「秩序」を「説法」した。
イエスはゴッドから啓示を受けて,
「相愛」を「預言」した。
ムハンマドはアッラーから啓示を受けて,
「平等」を「説教」した。
青柳洋介(あ洋介!)
2007年5月20日 (日) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
釈迦牟尼、Jesus、Muhammad
広辞苑より
【釈迦牟尼】しゃかむに
(梵語 Sakyamuni 「牟尼」は聖者の意)仏教の開祖。インドのヒマラヤ南麓のカピラ城の浄飯王(じょうぼんのう)の子。母はマーヤー(摩耶(まや))。姓はゴータマ(瞿曇(くどん))、名はシッダールタ(悉達多)。生老病死四苦を脱するために、29歳の時、宮殿を逃れて苦行、35歳の時、ブッダガヤーの菩提樹の下に悟りを得た。その後、マガダ・コーサラなどで法を説き、80歳でクシナガラに入滅。その生没年代は、前566~486年、前463~383年など諸説がある。シャーキヤ・ムニ。釈尊。釈迦牟尼仏。
【Jesus ラテン】イエス
(ヘブライ語のイェホーシュア、またはヨシュアのギリシャ語形Iesousから。「ヤハウェは救いなり」の意)キリスト教の開祖。
北パレスチナのナザレの大工ヨセフとその妻マリアの子として生まれ、30歳ころ。家を出て、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受け、神の国の来臨の近いことを告げて、ユダヤ民族の悔改を迫った。神は慈悲深い父で、人間は皆同胞として相愛すべきことを説き、一切の偽善を排し、正義と愛との徹底を期した。初めガリラヤ地方に活動、のち首都エルサレムでパリサイ派や祭司階級批判、讒訴されてゴルゴダ丘で十字架刑により死。弟子たちはイエスが死後3日目に復活したと確信、「油注がれたる」救い主、すなわちメシア(キリスト)と信じ、ここにキリスト教が興起。イエズス。(前4頃~後28)
【Muhammad】ムハンマド
(賞賛される者の意)イスラム教の開祖。アラビアのメッカ生まれ。40歳ころアッラーの啓示を受け、預言者として唯一神の信仰と偶像崇拝の排斥、人間の平等性を訴えて新宗教を提唱したが、支配者の迫害を蒙り、622年ヤスリブ(現在のメディナ)に聖遷(ヒジュラという)、教勢を拡張して630年メッカの征服を達成。勢力は全アラビアに及び、632年に10万の信徒を従えてメッカ巡礼を行い、有名なアラファート山上の説教の後、まもなく病没。マホメット。(571頃~632)
ーーー
三大聖人の説法・預言
釈迦 「法」 イエス 「愛」 ムハンマド 「教」
釈迦は(Brahman)から啓示を受けて「秩序」を「説法」した。
法とは秩序?
イエスは(God)から啓示を受けて「相愛」を「預言」した。
言とは相愛?
ムハンマドは(Allah)から啓示を受けて「平等」を「説教」した。
教とは平等?
青柳洋介
2007年5月20日 (日) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
水呑み百姓の科目
必須科目
暦法学、医学、物理学、化学、生物学、農学、情報工学、、、
選択科目
文化人類学、歴史学、地理学、数学、経済学、法学、哲学、文学、音楽、美術、、、
専門科目
言語学?
青柳洋介
2007年5月20日 (日) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
月曜日, 7月 23, 2007
天地創造
神による天地創造は全宇宙を含むのだろう。
だがわれわれ地球生命体もこれまでに天地創造を行なってきたしこれからも行なっていくのだろう。地球生命体による天地創造はガイアの範囲内に限られるが。要するに成層圏あたりまで? 地球の引力が影響を及ぼし大気をガイア内に引き留めている範囲まで?
酸素を作って現状の大気の状態にしたのは地球上の生命体。人類が産業革命以来、二酸化炭素などを大量に放出したのはここ数百年。いずれにしろ生命体が大気を作るのに大きく関わってきた。大気の状態により天気は変わる。嵐が起きることもあれば雨が降ることもあれば晴れるときもある。
地球生命体にとって天気はいわゆる天の出来事! 地の出来事にも生命体が大きく関わっているのは自明。
ようするにガイアにおける天地創造にわれわれ人類も関わっているということ。ガイアにおける一生命体として。
さて、これから先どのような天地創造を行なっていくのだろうか? 人類は?
方法論は、地に足をつけて天を見るのだろう!
天地人!!!
中国風占いでは、天和、地和、人和がそろうと良いのだろう!!! 平和?
AO
投稿者 AO 時刻: 7/23/2007 08:55:00 午前
Yahwehとユダヤ教・・・
壁を取り除くことこそ、和平の始まり・・・
水曜日, 3月 25, 2009
いにしへの民 - 追憶
If you had the chance to do it all again...
You should Open the Western Wall!
西へ、西へ向かった者の前に立ちはだかったのは、太平洋
東へ、東へ向かった者の前に立ちはだかったのも、太平洋
しかし、太平洋には、壁がなかった。世界で一番広くて平らな海原だった・・・
だが、人は、The Western Wallsをたくさん築いた・・・
そのため、流れによどみができた・・・
【西】にし
(「し」は風の意か)
1.四方の一つ。日の入る方向。西方。
2.西風の略。
3.[仏]
ア) 西方浄土。
イ) 西本願寺の略。お西。
4.相撲で、土俵の正面から見て右手。また、そちらから登場する力士。
5.江戸の劇場内で、舞台に向かって左側。大阪では右側をいう。
6.新宿遊里の称。
7.西ヨーロッパの自由主義圏。
8.(沖縄で)北
東京で言えば、西新宿の東京都庁を開け~~~
皇居の西、永田町を開け~~~
Satanがウヨウヨ・・・
他にも、たくさんありそうだ・・・ The Western Walls
【東風】こち
(「ち」は風の意)春に東方から吹いてくる風。東風。こちかぜ。
こちが、The Western Wallsで、遮られている。
そして、HAL is malfunctioned...
そういえば、チベットって、西蔵じゃなかったっけ?
西貢(ベトナムではサイゴン、香港ではサイクン)だよ・・・
そういや、アメリカ大リーグの西の門を開いた男こそ、野茂だ~~~
それが、今回のWBCの2連覇につながった・・・
さすが、野武士、ポーカーフェースの野茂、いよ~~~、男!
そして、大相撲の西の門を開いたのは、朝青龍だ~~~、いよ~~~、男!
大昔、野球の西の門を開いたのは、西鉄ライオンズの稲尾だ~~~
鉄腕稲尾、3連敗の後に、ジャイアンツを4タテ~~~、いよ~~~、男!
The Way You Were...
The Way We Were, too...
バビロンシステムは、以下のようにしてできたようだ・・・
ユダヤと、バビロン
彼らは、表裏一体だ・・・
似て非なるもの、その中庸こそ、カギだ・・・
それを分断するのが、
「嘆きの壁」
じゃないの?
壁を通過するのが、たとえば、トンネルダイオード・・・
だと思うよ・・・
例えば、
「仏陀の悟りの境地」
だと思うよ・・・
おそらく・・・
Creator Aoyagi YoSuKe
「嘆きの壁」
が無くなる時、
「無と無限が表裏一体である」
ことが、分かるんじゃないの?
おそらく・・・
ところで、
「嘆きの壁」
って、一体何だろう・・・
---Wikipedia
嘆きの壁(なげきのかべ、Western Wall, Al-Buraq Wall, HaKothel HaMa'aravi, ヘブライ語:הכותל המערבי)は、エルサレム神殿のいわゆるヘロデ神殿の外壁の一部。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。
概要
紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め、外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。
訪れた人々が壁に触れて祈りをささげるため、人の背の高さの壁部分は黒ずんでいる(上部画像参照)。
歴史
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
嘆きの壁の歴史は、紀元20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。
70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った。
バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる(詳細不明)。
1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。
---Wikipedia
ヘロデ(ヘブライ語:הורדוס、英語:Herod、紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、共和政ローマ末期から帝政ローマ初期にユダヤ地区を統治した王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)であり、ローマとの協調関係を構築してユダヤを統治。エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。だが、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害した。息子たちと区別してヘロデ大王、あるいは大ヘロデと言われる。
生涯
「ヘロデのイェルサレム占領(The taking of Jerusalem by Herod the Great, 36 BC,)by Jean Fouquet, 15世紀後半
古代ユダヤにおいて再び独立を獲得したハスモン朝の末期の王アレクサンドロス・ヤンナイオスの息子ヒルカノス2世の側近にイドマヤ(エドムのギリシャ語読み)出身のアンティパトロスという武将がいた(イドマヤはハスモン朝によってユダヤ教化させられた土地であり、ユダヤ人からは軽視されていた、と書かれている)。ヘロデはこのアンティパトロスの息子である。父アンティパトロスはローマ軍の軍事行動を積極的に援助することでユリウス・カエサルの信用を勝ち取ることに成功した。
ヘロデはカエサル死後の混乱したローマの政治情勢を読みきって、ローマとの友好関係を維持することに成功。ガリラヤ地方の知事として統治した。父アンティパトロスがマリコスというユダヤ人に毒殺されると、即座に彼を捕らえて処刑しているが、ヘロデの専制的なやり方はユダヤ人最高法院の反感を招くものであった。
ヘロデのチャンスは人生最大の危機によって訪れた。政教一致政権であるハスモン朝において大祭司でもあったヒルカノスの甥アンティゴノスがパルティアの援助を受けて伯父に叛旗を翻したのである。エルサレムにいたヘロデの兄パサエロスも捕らえられて命を落とした。ヘロデはヒルカノス2世の孫娘であるマリアムネ1世を妻としてハスモン朝との関係を作っていたが親ローマであったため身に危険がおよび、ガリラヤから当時クレオパトラのもとにいたマルクス・アントニウスの援助を求めてアレクサンドリアへ逃れ、そこからローマに渡った。
ヘロデはローマにおいて元老院にアピール、父の代から続くローマへの忠誠を評価されてローマの軍勢を貸与され、エルサレムへ向かった。エルサレムはローマ軍の精鋭の前にあえなく陥落。紀元前37年、ヘロデはついにローマ皇帝に従属することを約束して、ユダヤの分封王となることができた。
アントニウスがオクタウィアヌスに敗北すると、ヘロデはすかさず勝利者へ乗り換えた。ヘロデはローマの指導層との友好関係こそが自らの政権の唯一の基盤であることを熟知していたのである。王位についたヘロデが徹底したことは前政権ハスモン朝の血をひくものをすべて抹殺することであった。BC37年に最後のハスモン王アンティゴノスをローマ人によって処刑させた。そして、ヘロデは、BC34年頃妻マリアムネの弟アリストブロスを暗殺し、BC29年に妻マリアムネを処刑し、BC28年に彼女の母であるアレクサンドラを処刑し、BC7年にマリアムネとの間に生まれた自分の二人の王子アリストブロスとアレクサンドロスを処刑した。また自分に対して敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なレビ族の祭司たちを迷わず処刑している。これ以降最高法院の影響力は弱まり、宗教的な問題のみを裁くようになる。
ヘロデは都市計画において業績を残した。人工港湾都市カイサリア、歴史に名を残す大要塞マサダ、アウグストゥスの名前を冠した新都市セバステ(サマリア)、エルサレムのアントニア要塞、要塞都市ヘロディオン、マカイロスなどはすべてヘロデの時代につくられた。それだけでなくヘレニズム君主としてパレスティナや小アジアのユダヤ人が住む多くの都市に多くの公共施設を提供している。この行為はギリシャ系住民の間でヘロデの名声を高めたが、ユダヤ系住民にはかえって反感を買うことになった。
しかし、なんといってもヘロデの名を不朽のものとしたのはソロモン王を超える規模で行ったエルサレム神殿の大改築であった。神殿はローマ帝国を含む当時の世界でも評判となり、このヘロデの時代にディアスポラのユダヤ人や非ユダヤ教徒までが神殿に参拝しようとエルサレムをさかんに訪れるようになった。
ヘロデ大王の最晩年は後継者問題が彼の頭を悩ませた。また、エルサレム神殿に金の鷲をすえようとしたため、ユダヤ教指導層と対立することになった。紀元前4年、死去。
なお、キリスト教の歴史認識においては、キリスト教の教典である新約聖書のマタイによる福音書に、新たな王(救世主)の誕生を恐れたヘロデ大王が二歳以下の幼児を虐殺(幼児虐殺)させたため、イエスと両親がエジプトに避難したという記事がある。しかし、歴史的な裏づけはない。ただし、この描写が福音書記者の時代のヘロデに対する一般的な認識を反映している可能性はある。
ヘロデの死後、遺言に従って息子のアルケラオ(アルケラオス)とヘロデ・アンティパス、フィリポスと三人の兄弟たちが後を継いだ。ユダヤ人たちはローマに使者を派遣して、ヘロデ王家の支配を廃してくれるよう要請したが、聞き入れられなかった。しかし、アルケラオが王を名乗ることは許されなかった。後にアルケラオは失政を重ねたため、住民によってローマに訴えられ、解任されてガリアへ追放された。その後のユダヤはローマ帝国の直轄領となった。他の兄弟たちも父のように王を名乗ることはゆるされなかったが、分封領主としてユダヤの周辺地域をおさめることを認められた。
墓の所在
ヘロディウム(南西方向より)
ヘロデの墓については、エルサレム近郊のヘロディウムに人工的に作られた山に存在するとされてきたが、確証は得られていなかった。しかし、2007年5月7日に、ヘブライ大学の研究チームがヘロデの墓を発見したと報じられた。
---Wikipedia
古代イスラエル(こだいイスラエル)は伝説的な太祖アブラハムの時代からユダヤ戦争終結までのイスラエル古代史を概説する。古代イスラエルの歴史に関する資料は旧約聖書による部分が多いが、研究や発掘などによって史実としての裏づけが取れている部分もある。
伝説から史実へ
イスラエル人の祖先アブラハム放浪の背景
紀元前5000年頃、カルデア人がウルに王朝を建てる。紀元前4000年頃、メソポタミアの平原一帯に大規模な洪水が起こる。その後、二つの民族があらたにウルに侵入し新しい王朝を建てる。紀元前3千年代、シュメール朝が興る。この都が「創世記」で言われるカルデア人のウルである。紀元前2100年頃、ウル第三王朝のウル・ナンムは支配下においたバビロン(バベル)にジグラッドを建てる。このような建造物の存在が創世記のバベルの塔の物語の背景にあるとも考えられる。
紀元前2000年、ウルは古バビロニアのハムラビ王によって滅ぼされる。紀元前1800年頃、ウルからハランへと北上してゆく半放牧のセム諸部族たちのなかに、テラ、アブラハム一家もあったと推定される。やがてアブラハムはハランの南方カナンの地に半定住する。これは旧約のなかでアブラハムの放浪として描かれてある。
紀元前1760年頃、バビロンとハランの間に位置するマリの大帝国がハムラビ王によって滅ぼされる。
イスラエル十二部族
旧約の「創世記」には、アブラハムの子のイサク、イサクの子ヤコブが後の古代イスラエル人の直系であるとある。 ヤコブは後にイスラエルと改名、このイスラエルの十二人の子供の子孫がイスラエル十二部族と呼ばれる。ところで、「創世記」ではおもにヘブライ人という呼びが主だが、「出エジプト記」以降ではイスラエル人という呼び名が主となっているため、二つの異なる物語が混成したのではないかという説もある。そのイスラエルの子の一人であるヨセフが族長の時代は、前1700年~1600年頃であった。
出エジプト
古代パレスチナに定着したセム系の遊牧民であるヒクソス(エジプトの言葉で、よその土地の王の意)が、紀元前1730年頃から紀元前1580年までエジプトを支配。この頃にイスラエルの一族がエジプトに移住する。だが前1580年ヒクソスが倒され、エジプトはアーモセス第十八王朝となる。このときから外国人であるイスラエル族の奴隷時代がはじまる。
紀元前1230年頃(諸説がある)、エジプトのイスラエル人たちはモーセを中心にしてエジプトを脱出しカナンに向かう。その人数は多くても5千~6千人だったのではないかと推定されている。これが出エジプト(エクソダス)である。その後40年にわたってシナイ半島、ネゲブの砂漠をさまよう。この頃の部族の戒律がモーセの十戒である。
モーセの後継者ヨシュアのときに、カナンに散っていたイスラエル諸支族らを連合させてカナンの土地を落とし、ここに一応の定住をみた。 この一派がヤハウェ(ヤーウェ)を神とする宗教的な共同体を形成したはじめてのイスラエル民族の起こりとされる。だが当時カナンの地で有力な信仰はフェニキア系のバアル神であったためヤハウェ信仰はこれと混交した。
紀元前1300年頃から、鉄器をもつペリシテ人が地中海側からカナンに侵入しイスラエル人と敵対した。
以上が旧約聖書(ヘブライ聖書)の創世記からヨシュア記までの内容を基にした「歴史」記述であるが、神話的または伝説的な要素が強く、聖書記述の内容自身矛盾しているところもかなりあることから(たとえばヨシュアのカナン征服と士師記のカナン征服の「やり直し」など)史料としてどの程度価値があるが議論されている。また、旧約聖書のこの部分が最終的な編集段階を経て現在の形の書物にまとまったのも、後世の捕囚期かペルシャ時代という説が強い。
イスラエル王国の誕生
士師の時代から王政へ
士師記の記述によるとヨシュアの後の指導者はイスラエル人の神ヤハウェによって任される「士師」であったという。これが士師の時代である。「士師」という概念は、部族間や個人の争いを軍事的または法的に調停する裁判官の役目と、対外軍事や防衛を指導する指揮官を兼ねたような地位で、王権のように世襲制ではなく、部族間の内政や対外的な問題が起こるごとにヤハウェに任命されたという。このような一時しのぎ的で不安定な士師制から王政へ移行せよとの欲求が部族間から出てくる。サムエル記によると、紀元前1080年ごろペリシテ人が北部のガリラヤを制圧し、その地域のイスラエル人が奴隷となると、最後の士師で預言者でもあったサムエルは、サウルをはじめてのイスラエルの王として任じた。この王はペリシテ人との戦いの必要からでた軍事的な指導者であった。
サウル王の死後、サムエルに見出されたダビデは南部のユダ族をまとめて王となり、都ヘブロンを中心とした王国を建てる。これに対して北部イスラエルの11部族はサウルの死後、その子イシュバールを王とし、都マハナイムを中心に王国を建てた(サムエル下2:9-11)。これら二王国の内紛は7年以上続くが、イシュバールの死後、両国はダビデを王として認めることで和解した。
紀元前995年頃、ダビデは両王国の中心に位置するエルサレムのエブス人を倒し、以後、ここを拠点にペリシテ人らを退け、イスラエル王国(統一王国)を築いた。
ダビデの死後、紀元前963年にその子の一人ソロモンが国王を継ぐ。ソロモンは引き続き国の体制を整え諸外国との交易を盛んにし、またエルサレムに大きな神殿(エルサレム神殿)を建てた。この神殿は後世、第一神殿と呼ばれることになる。
ソロモン王の死後、部族間の抗争により統一体制は崩れ、やがて10部族がイスラエル王国(北王国)として独立し、南のエルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離することになる。以後両国は盛んに争ったが、この戦争によって国力が衰えた。
北王国の首都サマリアは紀元前721年にはアッシリアによって陥落した。アッシリアのサルゴン2世はサマリアのイスラエル人指導層などを奴隷として連れ去りまたは追放して、その土地にメソポタミアなどからの異民族を移住させた。ここにイスラエル王国は滅亡する。このとき故地から引き離されたイスラエル人たちは後に「失われた十部族」と呼ばれている。またサマリアにはアッシリア支配下の各地からの移民が移り住み、イスラエル王国の故地に残ったイスラエル人と移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれるようになった。サマリア人は、混血したことや移民たちの信仰をユダヤ教に混交させたことから後に差別される存在となった。
貢納国としてのユダ王国
一方の南部のユダ王国はアッシリアの貢納国として独立を保った。ヒゼキヤ(前715?-686年)が王のときにアッシリアとの間に戦争を起こすが、前701年にはエルサレムが包囲され陥落されそうになり、和議を結んで再び貢納国として独立を保った。 前612年にアッシリアが新バビロニアに滅ぼされたため、旧北王国の領土が解放された。これを受けてヨシヤ(前647-609年)は国内の宗教改革に取りかかった。前622年に祭壇から発見されたとする「申命記」の記述に従って、国内の祭儀と司祭制度を中央集権化した。(申命記改革)
前597年、新バビロニアのネブカドネザルがエルサレムに侵攻し、ヨヤキン王を含めた1万ほどのイスラエル人をバビロンに連れ去り捕虜とした。これは第一回の捕囚と呼ばれる。その後ユダ王国は新バビロニアの貢納国となったが、10年後にゼデキア王が完全独立を試みる。だが紀元前586年にはネブカドネザルによってエルサレム城壁が崩され神殿は破壊された。ここにユダ王国は滅亡。このときもバビロンに多くが捕虜とされて連れて行かれたが、これは第二回の捕囚と呼ばれる。捕囚されたユダヤ人たちのバビロンでの生活はかなり自由であった。
ユダヤ人のエルサレム帰還
新バビロニアを滅ぼしたペルシア王大キュロス(前600年頃-前529年)は、紀元前538年にイスラエル人を解放する。だがバビロニアでの生活を捨ててエルサレムに帰還したユダヤ人は2~3割と言われている。それ以外の多くは自由意志でバビロニアに残留した。 ペルシア王ダレイオス1世治下の紀元前515年、ゼルバベルの指導でエルサレム神殿が再建された。これは第二神殿と呼ばれている。紀元前458年にエズラの指導のもとで二度目の集団帰還が行われた。またネヘミヤとエズラとがこの時期、国の整備とユダヤ教の形式とを固め、これが現代のユダヤ教またはユダヤ文化へ直接に影響している。ユダヤ人の民族外結婚を禁じたのもこの時であり、これによってユダヤ民族の独自性が今日にまで保たれている。
ヘレニズム時代
紀元前333年にマケドニア王国のアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)がペルシアのダレイオス3世を打倒すると、ユダヤ地方もギリシアの支配下に入った。ヘレニズム国家支配時代の始まりである(ヘレニスト)。
ヘレニズム国家による支配は紀元前143年まで続くが、ギリシアの自由政策のもとユダヤ人による自治と宗教の自由は守られ国内の商業も盛んとなった。同時にユダヤ地方がギリシャ風のヘレニズム文化の影響を受けていくことになる。
プトレマイオス朝の支配
アレクサンドロス大王が逝去すると、その領土は将軍たち(ディアドコイ)によって分割され、その支配をめぐる争いがおきた(ディアドコイ戦争)。ユダヤを含むシリア地方南部ははじめエジプトを領したプトレマイオス朝の支配を受けたが、この地方に触手を伸ばすセレウコス朝シリアとの間で何度も戦いが繰り返された。
この時代、紀元前3世紀の中ごろ、エジプトのアレクサンドリアにおいて聖書がギリシャ語に翻訳された。これを「七十人訳聖書」という。
セレウコス朝の支配
セレウコス朝シリアは数次にわたる戦いのすえ、ついに紀元前198年にユダヤ地方を含む地域の支配権を獲得した。
紀元前175年にはセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスがプトレマイオス朝を圧迫し、アレクサンドリアも陥落寸前となった。ここにおいて急速に勢力を伸ばしていた共和制ローマが中東における巨大勢力の誕生を危惧して、中東情勢に介入したため、プトレマイオス朝は滅亡を免れた。このアンティオコス4世はユダヤにおいてもヘレニズム化政策を強引に押し進め、エルサレム神殿での異教崇拝などを強要したため、ユダヤ人の反感は高まっていった。
マカバイ戦争とハスモン朝
紀元前167年になると祭司マタティアとその息子たち(マカバイ家)をリーダーとする反乱が勃発した。マタティアがなくなると息子のユダ・マカバイ(ユダス・マカバイオス)をリーダーとして戦闘が継続され、紀元前164年にエルサレム神殿を奪回した。ユダの死後は兄弟のヨナタンが指揮をとった。
この一連の戦いをマカバイ戦争といい、この戦争のユダヤ人側の観点による記録が「マカバイ記」である。ヨナタンとその兄弟シモンは諸勢力との合従連衡をたくみに繰り返し、紀元前143年にはセレウコス朝の影響を脱してマカバイ家による支配を確立させた。ここに実に数百年ぶりにユダヤ人による独立国家が回復した。
この国家は紀元前130年ごろ、シリアの支配力の増大によって、一度は独立を失ったが、シリアの内紛によって再び独立を獲得した。シモンの息子ヨハネ・ヒルカノス1世は父の死後、父の保持していた大祭司にして首長というユダヤ神権政治の権威を世襲した。このマカバイ家の世襲支配によるユダヤ独立国家を、祭司マタティアの曽祖父ハスモンの名からハスモン朝という。
ヨハネ・ヒルカノス1世は軍事的才能と傭兵の力によって支配領土を拡大することに成功した。ハスモン朝のやり方は伝統的なユダヤ人の反感を買うこともあった。この時期にユダヤ教敬虔主義からエッセネ派、ファリサイ派、サドカイ派が起こり、特にエルサレム神殿祭司層を中心としたサドカイ派と在家で民間基盤のファリサイ派の対立が激しくなる。
ヨハネの子で親サドカイ派のアリストブロス1世がはじめて「王」の称号を名乗った。以後、弟アレクサンドロス・ヤンナイオス、さらにその死後、親ファリサイ派の妻サロメ・アレクサンドラは息子ヨハネ・ヒルカノス2世を大祭司にたてて統治した。]
サロメが死ぬと、ヨハネ・ヒルカノス2世が王位を継いだが、弟アリストブロス2世は武力にものを言わせてこれを奪取。王位についた。
ローマ支配時代
ハスモン朝の内紛とヘロデ大王の時代
紀元前63年にはローマのポンペイウスが中東へ遠征してきてセレウコス朝を滅ぼした。当時のハスモン朝はヨハネ・ヒルカノス2世とアリストブロス2世の争いが続いていた。両勢力はローマへの接近を図るが、ローマは無能なヒルカノス2世のほうが傀儡にふさわしいと考え、支援したため、アリストブロス2世は死に追い込まれた。
ユダヤはこうしてある程度の自治を認められながら、ローマの属州シリアの一部となった。この時期、ローマに取り入ってユダヤの実権を握ったのはヒルカノス2世の武将でイドマヤ出身のアンティパトロスであった。その後、ユリウス・カエサル暗殺後の混乱の中で、アンティパトロスは紀元前43年に殺害された。代わって息子のヘロデ(ヘロデ大王)が兄パサエロスと共にユダヤを支配した。先の王アリストブロス2世の息子アンティゴノスが隙に乗じてヒルカノス2世とパサエロスを捕らえると、ヘロデはからくも脱出。ローマにわたって支援を要請した。
ヘロデはユダヤの王という称号を認められ、エルサレムに帰還してアンティゴノスを撃破。紀元前37年にハスモン朝が終焉し、ヘロデ大王の時代になった。ヘロデ大王は純粋なユダヤ人でなかったので、ヒルカノス2世の孫マリアンメ1世を妻にするなどハスモン朝の血統を利用しながら、自らの正当性を確立していった。そして不要となるとハスモン朝の血を引く人々をすべて殺害していった。ナザレのイエス(イエス・キリスト)が生まれたのはこのヘロデ大王の治世の最晩年であったらしい。
猜疑心にとりつかれたヘロデ大王が紀元前4年に血にまみれた生涯を終えると、その息子たちによってユダヤは分割統治された。ローマはユダヤ王の称号をヘロデの息子たちに与えず、エルサレム、サマリアを含むユダヤをヘロデ・アルケラオスが、ペレヤとガリラヤをヘロデ・アンティパスが、ゴランとヨルダン川東岸をヘロデ・フィリポスがそれぞれ統治する。結局アルケラオスの失政のため、ユダヤはローマの総督による直轄支配となった。ちなみにイエスの出身地とされるナザレはガリラヤの寒村である。
ユダヤ戦争
ローマ帝国はユダヤでサンヘドリン(最高法院)に宗教的権威を認めながらも政治的権威を与えなかった。ユダヤは総督の支配におかれたが、総督たちがユダヤ文化を軽蔑し、失政を繰り返したこともユダヤ人の反感を募らせた(そもそもユダヤ人にはローマ帝国の国是である政教分離の概念が無かった)。その間、ヘロデ大王の孫アグリッパ1世がユダヤの統治をしたこともあったが、死後はまた総督直轄に戻された。
紀元66年、ついにユダヤ人の不満が爆発し、ここに独立を目指してユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発。しかし70年にはローマ軍が半年にわたってエルサレムを包囲し兵糧攻めにしてついに陥落させ、神殿も破られた。(この間の事情はフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』にくわしい。)
132年にもバル・コクバに率いられた反乱(バル・コクバの乱、第2次ユダヤ戦争)がおきた。彼はユダヤの独立を達成し、キリスト教徒を除く全ユダヤ人からメシアであると承認された。彼はエルサレムで二年半の間イスラエルの大公(ナーシー)として統治した。彼の公国は135年にローマ帝国征服された。
大きな反乱が続発し、ユダヤ人の統治の困難さに手を焼いたローマ人はユダヤ地方からユダヤ色を一掃しようと考え、ユダヤ人が忌み嫌っていたペリシテ人の名前をとり、この地方をパレスチナと名づけた。ユダヤ人たちはこれ以前にもすでに広くローマ帝国内や各地に離散していたが、ここに再び多くのユダヤ人が離散を余儀なくされ、長いディアスポラの時代が始まった。ローマによるエルサレム神殿破壊の結果、神殿祭儀中心の古代ユダヤ教は終焉し、以後ユダヤ教の学問の中心はガリラヤ地方に移り、ファリサイ派の伝統を下地に、今日の現代ユダヤ教にまで発展するユダヤ教の原型ができた。一方、ナザレのイエスの活動から、普遍的な教義を受け入れたグループは初期キリスト教(原始キリスト教)に発展することになる。
投稿者 AO 時刻: 3/25/2009 07:42:00 午後
ラベル: AO, ART HARBOUR, 理念
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