鳥とご関係がある・・・
高円宮久子妃殿下【鳥の写真展】 開催
妃殿下が各地で撮影された写真は、美しい風景の中で生きる鳥たちの姿を鮮やかに捉え、環境保全の大切さを訴えてきます。
約1,200種が絶滅危惧種という鳥類の現状と、自然の中で生きる鳥たちの魅力をご紹介いたします。
皆さまのご来場を心よりお待ちしております。
(※入場料無料)
---Wiki
憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年7月10日 - )は、日本の皇族で、高円宮憲仁親王の妃。旧名、鳥取久子(とっとり ひさこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等。
略歴
昭和28年(1953年)7月10日、鳥取滋治郎・二三子夫妻の長女として誕生。聖心女子学院初等科・中等科を卒業後、父のイギリス転勤のため渡英。ケンブリッジ大学ガートン・カレッジで人類学・考古学を学び、昭和50年(1975年)に卒業した後、日本に帰国し翻訳会社に勤める。一時帰国の後、法律を学ぶために再び渡英し、1982年に帰国した。
三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めた。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。
昭和59年(1984年)4月23日、カナダ大使館のレセプションパーティーにて1歳年少の憲仁親王と出会う。5月上旬には、憲仁親王の父・三笠宮から好意の有無を確認される。5月20日に英語で「Will you marry me?」とのプロポーズに「Yes.」と答え承諾。同年9月17日に納采の儀、12月6日に結婚の儀を執り行い、憲仁親王と結婚。婚儀と同日に、高円宮家が創設された。承子、典子、絢子の3人の女王をもうけたが、男子はいない。
日本サッカー協会・名誉総裁である高円宮とともに、彼女もサッカー関係の行事に出席する際にはサッカー関連のアクセサリーを身につける等、振興に協力した。平成14年(2002年)には、サッカー・ワールドカップ日韓大会が開催された。5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、開会式にも出席した。ちなみに日本サッカー協会総裁としてではあるが皇族の公式な韓国訪問は、高円宮夫妻が第二次世界大戦後初である。
平成14年(2002年)に高円宮と死別。その後は日本サッカー協会をはじめ高円宮が務めていた諸々の総裁・名誉総裁職を引き継ぎ、精力的に活動している。
子女
承子女王(つぐこ、1986-)
典子女王(のりこ、1988-)
絢子女王(あやこ、1990-)
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