金融危機じゃなくて、エコシステム危機
こちらのほうが当たっていると思う・・・
温暖化問題だけでなく、エコシステムです。
Economy&Ecology
エコノミーは経済的、節約する、エコノミークラス。
エコロジーは生態系、共生、適者生存、自然選択、、、
弱肉強食は間違っています。証拠) 恐竜が滅んだ・・・
ガイアの中を循環している・・・
父は子ども時代から、熱心にバード・ウオッチをしていた。父は生物学の教育を受けていて、環境保護活動家でもあり、人生の大半を自然と共に過ごして、自然を守るために戦った。一九六〇年代初期、友人数名と共同で、環境保護基金を設立したが、今や、この基金は、世界でもっとも大きな環境保護団体のひとつになった。父の血筋はユダヤで、母はカトリックだ。ふたりの婚姻は両家に摩擦を引き起こしたが、ふたりは宗教の違いを乗り越えて、自然を信仰するようになった。子どものころ、私と兄弟は特定の宗教を強制されずに、むしろ
「生命が織りなす偉大さ」
を理解して、感謝するように教えられた。
自然界から教えられることは、私にとってキリスト教や、ユダヤ教に関する本などを読むよりも分かりやすかったし、私は宗教的なものを心の底から受け入れることもできなかった。だが、エコシステムを作り上げる関連性は目で見えた。しかし、ゴッドが天地創造したことを受け入れられなかった(ゴッドのあばら骨から特別に作った創造物が人であり、その結果が人類であることも受け入れられなかった)。自分の目で見たことや、人生について知ったことや、常識などが、さまざまな物事とつながっていることを理解した。
父は死んだが、父の肉体が偉大な生命の鎖を循環する有機物になることを知っていた。父の肉体はバクテリア、菌、木、クジラ、鳥などに受け継がれて、偉大で不可思議なガイア(地球生命体)の一部として存在し続けるだろう。母とサンウッドの浜辺を歩きながら、父の魂が木々、空気、海、アヒル、私たち自身、カモメ、貝、砂、風などの一部となって、私たちの周りを漂っていると感じた。悲しみが立ち昇って消えていくにつれて、私たちはそんな気持ちになった。弔問者のいる葬儀場へ戻ったときに、私たちは自身を超えて、人生をも超えた大きな中(ガイア)の一部なのだと感じて、慰められて、元気を取り戻した。
『沈黙の春』 - レイチェル・カーソン
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
いまなお鋭く告発しつづけ、21世紀へと読み継がれた古典。待望の新装版。
内容(「MARC」データベースより)
自然破壊にとどまらず人間の生命の核、遺伝子直撃へと環境問題が加速度的に複雑化、深刻化しつつある今日、その危機を40年近く前にいちはやく指摘し、孤立無援のうちに出版された名著「生と死の妙薬」(64年刊)を新装。
登録情報- 単行本: 403ページ
- 出版社: 新潮社 (2001/06)
- ISBN-10: 4105197037
- ISBN-13: 978-4105197032
- 発売日: 2001/06
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やはり、勝ち組、負け組モデルでなく、1:8:1の緩やかなガウス分布が自然体に近いのでは?
諸行無常・・・
平家巻第一
祇園精舎鐘聲 諸行無常響有 沙羅雙樹之花之色 盛者必衰之理顕 奢れる人も不久 只春夜如夢 猛者終亡ぬ 偏風之前塵同
遠異朝訪秦趙高漢王莽梁周異唐禄山此等皆舊主先王政不随樂極諌不思入天下之亂事不悟民間之愁所知士歟者不久亡者也
近く窺本朝承平將門天慶純友康和義親平冶之信頼奢心猛事取々社有士歟共親六波羅之入道前太政大臣平朝臣清盛公申人之消息傅承社心言(以下略)
訓読: 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し、猛き者も終には亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝を訪へば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周異、唐の禄山、此れ等は皆、旧主先王の政にも随わず、楽を極め、諫をも思い入れず、天下の乱む事を悟らず、民間之愁る所を知ざり士歟者(しかば)、久しからず亡びし者ども也。
近く本朝を窺うに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平冶の信頼、奢れる心も、猛き事も、取々に社(こそ)有り士歟共(しかども)、親(まぢかく)は六波羅之入道前の太政大臣平朝臣清盛公と申せし人の消息、伝え承る社(こそ)心も言も。
(出典 Wikiquote)
春望 杜甫
国破山河在 国破れて 山河あり
城春草木深 城春にして 草木深し
感時花濺涙 時に感じては 花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短 白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪 渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
目を閉じると、カンムリチャイロガラの歌声が聞こえてきて、イルカが闇から現れてきて、私を見上げる。だが、私たちの間には、透明で深遠な壁が立ちはだかっている。別の惑星から異星人が来るように、私たちも異世界から来て簡単に出会えるし、共有しているものもたくさんある。たとえば、私たちは互いに好奇心が強いので、出会いを妨げる恐怖心には負けない。
あなたは何?
あなたは誰?
質問に対する答えは、私たちの間に横たわっている長い歴史の中にある・・・進化したものとしてと、個人としての両方に。
私たちの人生は山あり谷あり。生まれてから、子ども時代を過ごし、長い大人の時代になって、人生は大きく様変わりする。喜びも不満もあれば、幸運も不運もある。人とイルカは、種としては近くないが、どちらも複雑な水路の航行術を身につけた。愛したり嫌ったり、与えたり与えられたりしながら、理解し合って、友達になって交際した。私たちは長く複雑な歴史を同じ意図で今の瞬間に重ね合わせられる。
「友達になれるよ。やあ、あなた、どちら側にいたとしても、私たちの心(ハート)と精神(スピリッツ)は大差ないよ!」
カンムリチャイロガラのベルが鳴ると、イルカの姿は私の想像の世界から消える。小さな窓を通した私たちの出会いは、小さな点となり過去へ消えて行くが、その音とイメージが私を強く引きつけて、私をシャーク湾へ引き戻そうとする。近いうちにバックに荷物を詰めて、夫と子どもたちをオーストラリアへ連れて行くかもしれない。イルカたちと友情の火をふたたび燈して、私の家族と野生のイルカといっしょになって、胸がときめく触れ合いをするかもしれない。
謝辞
まず、過去および現在のモンキー・マイアのイルカたちにお礼を述べます。私たちが観察するのを許してくれて、ボートの騒音にがまん強く耐えてくれて、イルカの社会を充分に見せてくれたことに感謝します。両親のロバート・スモールカーとローズマリー・スモールカーに感謝します。自然に対する正しい認識と関心を与えてくれました。私は自然に対して末永く感謝の念を抱きます。自然が失われれば、生きる道に迷ってしまうでしょう。エリザベス・ゲイウェンは私たちをモンキー・マイアへ「導いてくれました」。バーンド・ワージッグは手助けしてくれて、ずっと道案内の灯りを燈してくれています。
過去から現在に至るまで、モンキー・マイアのレンジャーによる支援と、イルカ王国の沿岸警備に対して敬意を表します。モンキー・マイア観光協会にも感謝いたします。西オーストラリア博物館、とくに、ダリル・キッヘナーと西オーストラリア大学の有意な支援、とくに、リチャード・ホルストに感謝します。カリフォルニア大学サンタクルーズ校ロング・マリーン・ラボラトリーとミシガン大学動物学博物館は、合衆国で計り知れない貴重な後方支援をしてくれました。
ナショナル・ジオグラフィック協会、シービー・トラスト、ゴードン・アンド・アン・ゲッティ、合衆国科学基金、ミシガン大学は、主要な財源を支援してくれました。感謝いたします。ルース・マスグレイブ、ケン・マスグレイブ、アーヴ・デボー、リチャード・ランガムによるプロジェクト推進に感謝いたします。
大学および大学院時代に助言者として支援してくれた方々は、私の思考や方向性に対して多大な示唆を与えてくれました。ケン・ノリス、バーンド・ワージック、ボブ・トリバー、バーブ・スマッツ、アーヴ・デボー、リチャード・アレキサンダーの面々です。感謝いたします。
モンキー・マイアでの共同研究者、アンドリュー・リチャード、リチャード・コナー、ジャネット・マン、エイミー・サミュエルズ、パー・バーグレン、マイク・ハイサウス、ジョン・ペッパー、ビル・シャーウィン、みなさんに感謝します。本書に述べた体験の多くを共有しました。とくに、アンドリュー・リチャードとジョン・ペッパーは同僚であり、助言者であり、親愛なる友人でもあります。
夫のバーンド・ハインリッヒは熱心な生物学者兼ライターです。この体験を書くに際して、励ましてくれました。科学的な研究成果が学会の一部のエリートにしか知らされなければ、大して世の中の役に立たないことを教えてくれました。本書の執筆中には、洞察に満ちた聞き手も務めてくれました。夫にはモンキー・マイアへの最後の旅の後で出会いました。不思議なのですが、夫と出会う前まで私の心を独占していた動物と場所(イルカとモンキー・マイア)を、夫はまだ見ていません。
ニーナ・リアン、クリスチーナ・キャンネル、ダブルデイの編集者シーン・マクドナルドとナン・タレスは、あらゆる局面で原稿の改善に貢献してくれて、出版作業全体を指導してくれました。
みなさま、心から深く感謝します!
生き残りのもうひとつのカギは?
汚染に強い遺伝子? なのかな?
ずいぶん前に、新聞で報告された。極度にPCB汚染された魚が発見された。
1980年代は、環境問題に関する話題が放送されていた。
いつの間にか、そのような放送や報道がなくなった・・・
意図的なのかな?
環境ホルモンが話題になって、ずいぶんトキが経った・・・
アメリカのワニのペニスが小さくなって、生殖不能・・・
南米では、小学生の7歳くらいの女の子が妊娠した・・・
1980年代・・・
最近の女子のパワーアップを見ていると、環境ホルモンの影響が十分に考えられる・・・
クジラの大量死・・・
クジラの音認知システムが誤動作している?
汚染の影響なのかな?
イルカもクジラの仲間です・・・
釣り糸が絡まったイルカはピグレットが初めてではなかった。たくさんの人が桟橋で魚釣りをしていて、釣り糸がたくさん浮いている。子はとくに無防備で、好奇心が旺盛で、何にでも興味を持ち、危険もあまり知らない。それでも、シャーク湾のイルカは幸運な方だった。ナイロン製の釣り糸や、魚網や、釣り針でイルカが被る被害は、他の場所と比べればかなり少なかった。
この問題は大きいので、統計情報の分析は大変だった。毎年、毎日、毎分、漁業の影響で何頭のイルカが死んでいるかの情報が、漁業関係から一部公開されている。マグロと行動を共にするイルカも包囲して、マグロ漁をする。二、三年前になって初めて、新たな規制と技術が導入されて、イルカの致死率が下がった。IATTC(全米熱帯マグロ類委員会)は、毎年殺されるイルカの数は十万を超えていると見積もった。現在でさえ、マグロ漁によって殺されるイルカは、年間で三千から五千頭と見積もられている。ツナ・サンドを提供するために、ニッキー、パック、ホーリフィン、サプライズ、スクウェア、スクウェアレット、スナッブノーズ、ビビ、シックルフィンなどのように、賢いイルカが数千頭殺されている。
マグロ漁は脅威のひとつでしかなく、漁船は、全世界で年間二千七百万トンの獲物ではない海洋生物を、引き揚げて投棄しているようだ。「混獲」にはイルカや海洋性の哺乳類も含まれていて、全捕獲高の約四分の一になる。イルカは短繊維のプラスティック製の頑丈な魚網で、トラブルに巻き込まれる。海や川に関わらず、イルカは混獲されているし、イルカにとっての危険は人だけではない。イルカを食用として捕獲する地域もあり、チリ沖では最近まで、イルカをカニのエサとして使っていた。エサの魚類が乱獲されたことが原因で、イルカの生息数が減っている。中でも、川イルカは大きな危機に瀕している。世界中の大河の多くで水力発電が行なわれている。そのために、イルカは河を通り抜けられない。中国の揚子江(長江)もこれに該当する。ダムや、たくさん往来する舟や、漁業や、汚染が原因で、揚子江に生息するバイジ・イルカ(ヨウスコウカワイルカ)の生息数が減っている。現時点で生き残っているヨウスコウカワイルカは百頭以下だと言われている(二〇〇七年時点で千二百頭ほど確認されているらしい)。ヨウスコウカワイルカの未来は実に厳しい。
汚染は気づかないうちに進むことが多い。世界中のイルカにとって、最大の脅威は汚染だ。イルカは食物連鎖の最上位に位置していて、生物濃縮された汚染物質を摂取する。小さな生き物、つまり、小さな魚が汚染物質(DDTやPCBなど)を食べて、組織に蓄積する。大きな魚は汚染された小さな魚を食べる。結果として、小さな魚が蓄えた汚染物質を体内に取り込む。そして、さらに大きな魚がその大きな魚を食べる。こうして汚染物質が蓄積される。汚染物資を蓄積した魚をたくさん食べれば、人にとっても危険だ。
イルカなどの海洋性哺乳類の組織が、有機塩素化合物で高レベル汚染されていることが分かった。この汚染物質は内分泌システムや、免疫システムを害して認知発達障害を引き起こす。さらに悪いことに、汚染は授乳により、世代から世代へと伝わる。有機塩素化合物は脂肪に溶けるので、母が体脂肪を代謝して乳を造ると、この汚染物質が乳に混入する。そのために、赤ん坊は成長して自分でエサを捕る以前に、つまり、生まれてからすぐに、汚染物質の影響を受ける。その結果、汚染物質は世代から世代へと、幾何級数的に蓄積される。オゾンの減少や、二酸化炭素の排出や、森林の減少などが原因で起こる気候変動は、イルカなどの海洋性の哺乳類にとっても脅威だ。くわえて、気候変動がどのような影響を及ぼすかを、正確に予測するのは難しい。だが、イルカを含むすべてのエコシステムは、確実に、気温の上昇、塩分の濃度の低下、海面の上昇などの影響を受けている。
シャーク湾はアメリカからもっとも遠い地域のひとつで、浜は比較的すいていて、空気や水はきれいだ。シャーク湾でさえ、汚染の警鐘が鳴り始めた。一九八九年二月、アメリカに一時的帰国しているとき、モンキー・マイアのリチャードから電話が来た。リチャードが「悪い知らせがある」と言ったとき、声のトーンから、イルカが死んだと私は感じた。
「何かあったの」
と私は尋ねた。
「スナッブノーズとビビとシックルフィンが死んだようだ」
「どういうことなの。死んだって」
「ここ一週間くらい、モンキー・マイアでも沖でも見あたらない。死んだ可能性がある。さもなければ、浅瀬に来るはずだ」
オスのイルカが三頭も死んだ。私は愕然として受話器を置いた。このオスたちから、いろいろなことを学んだので、彼らがモンキー・マイアから消えたことは、想像すらできなかった。
一日かそこらして、リチャードから電話がきたが、そのときのショックは、さらに大きかった。
「レイチェル、ホーリーも死んだよ・・・ニッパーも(ニッキーの最初の子)」
と声が重苦しく震えた。
大人のオスであれば、しばらくどこかへ行っているだけで、戻ってくる希望は持てる。でも、ホーリーや幼子はたぶんダメだろう。小さすぎるので、自力では戻れない。私たちのイルカは死につつあった。
ホーリーの死はもっとも受け入れがたかった。ホーリーと私は長い間楽しい時間を共にした。ホーリーの小さな魂は活き活きと輝いていたので、私はホーリーの死を受け入れられなかった。ホーリーはまだ若くて、これから興味にあふれた長い生涯を送るはずだったのに、その成長を見届けられなかった。ホーリーが子を設けて母になり、年老いていく生涯を見届けられなかった。ホーリーと海草ゲームをしたり泳いだりすることは、もう二度とできない。
イルカたちの死因は汚染だった。その年は、環境が急激に悪化した。その前年、急増する観光客用のトイレが新設された。満潮の水準線から高さ六十センチ程度の場所に、汚水処理槽が設置された。トイレがひんぱんに使用されて、汚水が処理槽から湾内へ流れ込んだ。水質試験の結果、海岸付近は高レベルでバクテリアに汚染されていた。イルカの死は汚染と無関係だという説もあったが、実際は、死と汚染は無関係ではなかった。イルカ好きたちの排泄物が、文字通りイルカを毒したのは悲しいアイロニーだ。ウイルフとヘイゼルのキャンプが最新のリゾートに変わって、イルカは死んだ。餌づけ場所を規制するように、ウイルフとヘイゼルと激しく争ったし、イルカの健康のために、重要な規制も行なうように戦い続けた。私はモンキー・マイアの開発には初めから恐れを抱いていた。イルカは観光の呼び物なので、新しい管理体制にはイルカの保護策が取り入れられた。イルカが健康状態を保って元気な姿で、モンキー・マイアにやってくることに、人びとは大きな関心を寄せていた。
私たちはさまざまな提案をした。エサ、エサの与え方、イルカとの接触の仕方、沿岸でのボートの速度規制、海へ流出する農薬、化学肥料の制限、継続的な水質検査、ジェットスキーやセールボードなどのレンタル機器の制限などだ。セールボードは強風下では時速百キロを超えて、音もあまり出ないために、休んでいるイルカや、幼いイルカがたびたび衝突する。他の地域でも、イルカとセールボードが混在しているために衝突している。
私たちは長年かけて、モンキー・マイアの子の致死率に関するデータを蓄積した。モンキー・マイアに来ないイルカに比べると、モンキー・マイアのイルカは致死率がかなり高いことが判明した。モンキー・マイアの子は、野生の行動を身につけていないので憂慮された。母と時間の大半を過ごして、人からエサをもらうだけで、野生の中で自力でエサを捕らない。
私がモンキー・マイアで自由気ままに過ごした日々が過ぎ去って久しい。今や、観光地とイルカは「管理された資源」になった。モンキー・マイアはイルカを見て、イルカにエサを与えて触り、イルカの写真を撮るための観光地になってしまった。フルタイムの従業員が、観光客を管理して通訳して質問に答える。
私はこの変化はある意味で悲しかったが、逆に多くの人がイルカに関心を持つので励ましにもなった。イルカへの興味が高まって、シャーク湾へ人が流れ込み、人びとはイルカの保護に大きな関心を寄せるようになった。
私は長年にわたり断続的にイルカと会っていたが、会うのは当然だと考えていた。たくさんの観光客が海に入って、イルカと触れ合ったが、私は一歩下がって、時々感動的な光景を目にした。初めてホーリフィンと触れ合ったことを思い出す。手に伝わるホーリフィンの温もりは衝撃だった。夫が目の見えない年老いた妻の手を引いて、妻がパックのわき腹に触って浮かべる喜びの表情を見ることこそが、私の夢だ。人びとがイルカを学び、人びとの心に、イルカに対する興味や関心の火を灯すには、どうすれば良いのだろうか。
私は野生のイルカとの触れ合いは、素晴らしいと確信している。プールで飼育されたイルカは、訓練されていて、お決まりの行動を取る。だが、それはイルカの率直な気持ちではないだろう。モンキー・マイアでは、人が海に入って、イルカの本来の住みかとの中間点で、イルカと触れ合える。イルカの人なつっこい表情にも出会うが、同時にイルカはよそよそしくもある。これはイルカの野生を物語っていて、単に人を喜ばせる以上に、興味深い生きざまを見せる。だが、イルカの生きざまは、ほとんどの場合は人の都合に左右されない。
私は今、本書を書きながら、世界の指導者たちに海を保護するように促す
「イヤー・オブ・ザ・オーシャン」
を祝っている。
科学者や、政策立案者や、市民など数百名が署名し請願して、イヤー・オブ・ザ・オーシャンを開始した。私たちの惑星の心臓と肺である海が、死につつあることを示す厳粛で不吉な文書だ。イルカは絶滅しつつある生き物のひとつでしかない。
私たちは、自分が認識できることだけに気を使いがちだ。しかし、私は以下のように望む。モンキー・マイアのイルカは、生きざまや個性を人と分かち合い、人と触れ合ってきた。イルカは、魚類やマナティーなどの近親の動物の保護にまで影響を及ぼしている。私たちが海を救う行動を起こさなければ、さんご礁、タイなどの魚類、マナティー、エイ、人類の健全な未来のために、今、生きているニッキー、パック、サプライズとその子どもたちが、私たちに海を救う気持ちを抱かせるはずだ。人と触れ合うモンキー・マイアの伝統に従って。
「ここにはもう3、4時間います。専門家の指示を仰いだりクジラの体を湿らせて安心させるようにしています」(ボランティア)
ニュージーランド北島のコーラマンデル半島では27日、170頭近いクジラが打ち上げられました。
クジラの体が乾燥しないよう濡れたシーツでくるむなど、ボランティアや専門家らによる懸命の救助ののち、翌朝には43頭が海に戻りましたが、125頭が死にました。
専門家はクジラの音波探知の機能が何らかの原因で失われ浅瀬に迷い込み、抜け出せなくなったことなどが原因ではないかとみています。
一方、ニュージーランドの南島では26日、岸に打ち上げられたヒレナガゴンドウクジラ105頭が死にました。
上空を飛んでいた小型機のパイロットが打ち上げられているのを発見し通報しましたが、自然保護局のスタッフが現場に到着したときには30頭の生存が確認されただけで、残りの105頭は死んでいたということです。
ニュージーランドでは毎年夏、繁殖のため南極海から移動する大量のクジラが岸で座礁するケースが報告されていますが、詳しい原因は分かっていないということです。(29日01:08)(削減)
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