ヌーヴェルヴァーグ - ゴダール
本日のコメント:
フランス人は「バカロレアの哲学」で脳を鍛えているので、こういう映画でも普通人が理解できる?
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なぜ、このタイミングでこの映画を見ているかは不明(2006年12月15日)
ゴダールの「ヌーヴェルヴァーグ」1990年。ものすごい映画!ものすごいコンセプト!
国家、政治家、官僚、倫理がない、強制、後払い、仕事
弁護士、ファイナンシャル・タイムズ、手の奇蹟
雨が降らない、未来、解決策は理想的、今年の夏は暑かったリラも桜も狂い咲き
日本対策は、真似されることはありません
男、女、恋、愛、孤独、死
物の本質とは
呪われた二人とは? 神と悪魔のこと?
私たちは使用人よ
女は常に家を求め、愛と信頼、物であり言葉ではない
皆さん、偉い方なんだ
なぜ、ドストエフスキーにとりついたんだろう?
どんな行動でも、言葉よりはまし
愛と西欧
金持ちと貧乏人
「時の流れとともに 大地は汚れて 黒くなり
人を寄せつけない
自然は厳しさをくずさず
死から 生きているものを守ろうとしない
むしろ その逆に 生きているものより 死者を守る
自然はまた 人類の苦悩には背を向けて
土と化した骨を守る」
いつドルが下がるか考えているのよ
ドルの相場は?
「犯罪礼賛ね」
「私たちの取り分は正当よ」
光は存在と時間を超越したときに、永遠に輝き続けるだろう
「中央銀行とは人形使いです 必ず破産を招きます」
「平和とは戦争に見える」
「思い出とは、自己と一体になって初めて現れる」
「人は言葉から、イマージュを作る」
「作業のスピードは1万倍になる」
「ドルは上がったか?」
「欧州人が米国に向かって礼賛すればね」
「下げるには?」
「ひざまずいて、慈悲を乞えばいい」
庭は完璧なものなどない、常に直しを必要とされる
沈黙の声に耳を傾けるのだ
「資本が払うのは、労働に対する報酬だ」
「商いは神聖です」
「裸のマハがベイルートにあるとは」
「三菱には高く売れますよ、ひまわりは」
「ひまわり」って何だろう?
「裁く人はどこにもいない」
内なる言葉だけが自己を再生させるのだ
そのうち 社会生活 習慣 原則などのうち
幾つかは消滅するだろう
われわれの社会は遺物となる
しかし 未来の人には 魅力あるものと映る
かつて
「かつて 金持ちと貧乏人は分かれていた」
具体物であり、抽象物ではない
記憶と幻想
「事は終わりぬ」
ーーーーー
すっげ~~~映画! 言葉とイマージュの世界、びっくり!
最低でも、もう一回は見る。
青柳洋介
投稿者 AO 時刻: 12/03/2007 10:14:00 午前
キーワード
なぜ、ドストエフスキーにとりついたんだろう?
---Wiki
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(ロシア語: Фёдор Михайлович Достоевский,1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイと並び、19世紀後半のロシア文学を代表する文豪である。
その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。実存主義の先駆者と評されることもある。なお、姓は訳者によってドストエフスキイ、ドストエーフスキイ、ドストイェーフスキイなどと表記されることもある。
略歴 [編集]
モスクワの貧民救済病院の医師の次男として生まれ、15歳までモスクワの生家で暮らした。工兵学校生・作家時代を送ったペテルブルクは物語の舞台として数々の作品に登場する。
1846年、処女作『貧しき人々』を批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しく作家デビューを果たす。デビュー前のドストエフスキーから直接作品を渡されて読んだ詩人ニコライ・ネクラーソフが、感動のあまり夜中にドストエフスキー宅を訪れたという逸話は有名である。
デビューこそ華々しかったものの、続けて発表した『白夜』『二重人格』は酷評をもって迎えられる。その後、ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕される。死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられて(この一連の特赦はすべて仕組まれたものであった)、シベリア流刑へと減刑になり、オムスクで1854年まで服役する。この時の体験に基づいて後に『死の家の記録』を著す。他にも『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。刑期終了後、兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還する。この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表し、評価が高まる。
自身の賭博好きな性質、シベリア流刑時代に悪化した持病のてんかん(側頭葉てんかんの一種と思われる。恍惚感をともなう珍しいタイプのてんかん)などが創作に強い影響を与えており、これらは重要な要素としてしばしば作品中に登場する。賭博好きな性質は、ドストエフスキーの生涯を貧乏生活にした。借金返済のため、出版社との無理な契約をして、締め切りに追われる日々を送っていた。あまりのスケジュール過密さのため、『罪と罰』、『賭博者』などは口述筆記という形をとった。速記係のアンナ・スニートキナは後にドストエフスキーの2番目の妻となる。
また、小説以外の著作として『作家の日記』がある。これはいわゆる日記ではなく、雑誌『市民』でドストエフスキーが担当した文芸欄(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評(トルストイ『アンナ・カレーニナ』を絶賛)、政治・社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教論(熱狂的なロシアメシアニズムを唱えた)を含み、後年ドストエフスキー研究の貴重な文献として参照されることとなった。
晩年に集大成ともいえる長編『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。その数ヵ月後の1881年1月28日に家族に看取られながら60歳で亡くなる。
ドストエフスキーの末裔ドミトリーは現在もサンクトペテルブルクで活動中。関東(早稲田大学、東京芸術劇場)、関西(天理大学)で2004年に来日記念講演を行った。
ドストエフスキーと日本の接点 [編集]
ドストエフスキーは、日本に正教を伝え、日本ハリストス正教会の原型を築いたロシア人大主教ニコライ・カサートキンに会った事がある[1]。ドストエフスキーは日本に正教会を伝道する大主教ニコライと会う事を楽しみにしていたらしい。当時の二人の会話にある彼の台詞は、ドストエフスキーの日本に対する見方と、正教伝道に対する姿勢が垣間見える、貴重な判断材料である。
ドストエフスキー研究の専門家の中からニコライ大主教の膨大な量の日記を全て日本語訳するプロジェクトを監修するに至る研究者(中村健之介)が出てきている事からも分かるように、ドストエフスキーと日本との数少ない接点がここに見出される。
ドストエフスキーが日本文学に与えた影響は計り知れない。ドストエフスキー熱は現在でも冷めることなく、「ドストエーフスキイの会」(木下豊房代表)、「ドストエーフスキイ全作品を読む会」がある。全集は、大正期に新潮社(未完)ほか3社で、戦前は三笠書房で、戦後は2度米川正夫訳で河出書房より、小沼文彦訳で筑摩書房より、江川卓、原卓也、川端香男里、小笠原豊樹、工藤精一郎、木村浩等の訳で新潮社より刊行された。
著作 [編集]
死去するまでに残した著作は全部で35篇で、短編も多く出している。
1841年『マリア・ステュアルト』、『ボリス・ゴドゥノフ』(いずれも現存せず)
1846年『貧しき人びと』(Бедные люди)
『分身』(Двойник)
『プロハルチン氏』(Господин Прохарчин)
(以下の二作品は現存せず)『剃り落とされた頬髯』、『廃止された役所の話』
1847年『九通の手紙にもられた小説』(Роман в девяти письмах)
『ペテルブルグ年代記』(Петербургская летопись)
『家主の妻』(Хозяйка)
1848年『他人の妻』
『弱い心』(Слабое сердце)
『ポルズンコフ』(Ползунков)
『世なれた男の話』(のちに改稿の上『正直な泥棒』(Честный вор)と改題)
『クリスマス・ツリーと結婚式』(Елка и свадьба)
『白夜』(Белые ночи)
『嫉妬ぶかい夫』(のちに『他人の妻』と合わせて『他人の妻とベッドの下の夫』(Чужая жена и муж под кроватью)と改題)
1849年『ネートチカ・ネズワーノワ』(Неточка Незванова)
1857年『小英雄』(Маленький герой)
1859年『伯父様の夢』(Дядюшкин сон)
『ステパンチコヴォ村とその住人』(Село Степанчиково и его обитатели)
1860年『死の家の記録』(Записки из мёртвого дома)
1861年『虐げられた人びと』(Униженные и оскорбленные)
『ペテルブルグの夢―詩と散文』(Петербургские сновидения в стихах и в прозе)
1862年『いまわしい話』(Скверный анекдот)
1863年『冬に記す夏の印象』(Зимние заметки о летних впечатлениях) ヨーロッパ滞在経験が主となっている。
1864年『地下室の手記』(Записки из подполья)
1865年『鰐』(Крокодил)(未完)
1866年『罪と罰』(Преступление и наказание)
『賭博者』(Игрок)
1868年『白痴』(Идиот)
1869年『大いなる罪人の生涯』(創作ノート)
1870年『永遠の夫』(Вечный муж)
1871年『悪霊』(Бесы)
1873年『ボボーク』(Бобок)※
1875年『未成年』(Подросток)
1876年『キリストのもみの木祭りに行った男の子』(Мальчик у Христа на ёлке)※
『百姓マレイ』(Мужик Марей)※
『百歳の老婆』(Столетняя)※
『やさしい女』(Кроткая)※
1877年『おかしな人間の夢』(Сон смешного человека)※
1880年『カラマーゾフの兄弟』(Братья Карамазовы)
注:題名に「※」をつけてある作品は、『作家の日記』(Дневник писателя)に収録された短編。
一般に『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』が、ドストエフスキーの5大作品と呼ばれている。
研究 [編集]
ドストエフスキーの研究の歴史の中で、特に重要な研究者としては以下のような人々が挙げられる。
ミハイル・バフチン - バフチンはポリフォニー論やカーニバル論によって、ドストエフスキー研究の新たな境地を拓いた。バフチンの論は半ば一般論化している。邦訳はちくま学芸文庫版『ドストエフスキーの詩学』が購入しやすい。
アンドレ・ジイド - ジイドは『地下室の手記』がドストエフスキー文学を解く鍵であるとした。ジイドの論文「ドストエフスキー」は数ある評論の中でも特に有名である。新潮社版全集で寺田透訳がある。
レオニード・グロスマン(1888年 - 1965年) - ドストエフスキーの文学が冒険小説的構成をとっていることなどを指摘した。
『ドストエフスキイ』(北垣信行訳、筑摩書房、1966年、新版1991年ほか)
『ドストエフスキー全集・別巻』(新潮社版、1980年)- 年譜、伝記、日付と資料 年代記的伝記
『ドストエフスキーの一日』(原卓也訳、講談社、1981年)小説
江川卓 - 江川はドストエフスキーの言語のダブルミーニングなどについて、研究を行った。
『謎解き罪と罰』、『謎解き白痴』、『謎解きカラマーゾフの兄弟』 各新潮選書
ヴィクトル・シクロフスキー
『ドストエフスキー論 肯定と否定』(水野忠夫訳、勁草書房)
ニコライ・ベルジャーエフ
『ドストエフスキーの世界観』(斎藤栄治訳、白水社)2009年復刊
主な伝記・回想 [編集]
コンスタンチン・モチューリスキー 『評伝ドストエフスキー』
松下裕・松下恭子訳、筑摩書房、2000年 大著
アンリ・トロワイヤ 『ドストエフスキー伝』
村上香住子訳、中央公論社、1982年、中公文庫 1988年
アンナ・ドストエーフスカヤ 『回想のドストエフスキー』 松下裕訳
<みすずライブラリー 1.2>みすず書房、1999年、旧版は筑摩叢書上下巻、1974年
『ドストエーフスキイ夫人アンナの日記』 木下豊房訳、河出書房新社、1979年
『スースロワの日記―ドストエフスキーの恋人』
ドリーニン編、中村健之介訳 みすず書房、1989年
著名人への影響等 [編集]
ドストエフスキーは文学者以外の著名人からも、高く評価されている作家である。
アルベルト・アインシュタイン「ドストエフスキーは、どんな思想家が与えてくれるものよりも多くのものを私に与えてくれる。ガウスよりも多くのものを与えてくれる」
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、『カラマーゾフの兄弟』を50回以上も熟読したとされている(第一次世界大戦従軍時の数少ない私物の一つが『カラマーゾフの兄弟』だったため)。
ジークムント・フロイトは、論文「ドストエフスキーと父親殺し」において、ドストエフスキーの小説や登場人物について研究している(フロイトが論文の表題に作家の名前を冠したことは、極めて異例なことだった)。
グスタフ・マーラーは、妻アルマによれば、マーラーはドストエフスキーの信奉者であり、つねづね「この地上に誰か一人でも苦しんでいる者がある限り、どうしてわれわれは幸せになれようか」と言っていた。
江戸川乱歩は、ドストエフスキーの作品を繰り返し読み、「スリルの事」というドストエフスキーの作品に関するエッセイも書いている。また、乱歩の『心理試験』の設定は『罪と罰』から借りたものである。
黒澤明「ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んでいて、どうしても一度は映画化をやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタが違うけど、作家として一番好きなのはドストエフスキーですね」(黒澤監督は『白痴』を、人物と場所の設定を日本にした上で映画化している)
手塚治虫は、ドストエフスキーの影響を非常に受けた漫画家である。「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」と公言していた。手塚治虫は『罪と罰』を初期に漫画化している。[2]
脚注 [編集]
1. ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』岩波書店〈岩波新書〉。
2. ^ 『一億人の手塚治虫』JICC出版局。
もうひとつは?
ゲーテの
「ファウスト」
だと思う・・・
---Wiki
『ファウスト』(独: Faust)は、ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲。全編を通して韻文で書かれている。『ファウスト』は二部構成で、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年に発表された。
15世紀から16世紀頃のドイツに実在したと言われるドクトル・ファウストゥスの伝説を下敷きにして、ゲーテがほぼその一生をかけて完成した畢生の大作である。このファウスト博士は、錬金術や占星術を使う黒魔術師であるという噂に包まれ、悪魔と契約して最後には魂を奪われ体を四散されたという奇怪な伝説、風聞がささやかれていた。ゲーテは子供の頃、旅回り一座の人形劇「ファウスト博士」を観たといい、若い頃からこの伝承に並々ならぬ興味を抱いていた。そうしてこうした様々なファウスト伝説に取材し、彼を主人公とする長大な戯曲を仕立て上げた(なお、主人公の名前は「幸福な、祝福された」を意味するラテン語のfaustusに由来する。ドイツ語で「拳骨、砲」を意味するFaustと一致するが、偶然の一致にすぎない)。
あらすじ [編集]
プロローグ [編集]
献辞と前戯 [編集]
戯曲『ファウスト』はまず、1797年になって初稿『原ファウスト』(Urfaust)から20年ののちにこの作品を再び世に送るにあたり、ゲーテがその心境を告白した「献ぐる詞」から始まる。次に、インドの詩人カーリダーサ(5世紀)作の戯曲『シャクンタラ』に影響を受けたゲーテによって、その体裁に倣って同年に書き加えられた「劇場での前戯」(Vorspiel des Theaters)が続き、「天上の序曲」(Prolog im Himmel)に至っていよいよ悲劇の本筋に入る。
天上の序曲 [編集]
天使たち(ラファエル、ミカエル、ガブリエル)の合唱とともに壮麗に幕開けられた舞台に、誘惑の悪魔メフィストーフェレス(以下メフィスト)が滑稽な台詞回しでひょっこりと現れ、主(神)に対してひとつの賭けを持ちかける。メフィストは「人間どもは、あなたから与えられた理性をろくな事に使っていやしないじゃないですか」と揶揄し、主はそれに対して「常に向上の努力を成す者」の代表としてファウスト博士を挙げ、「今はまだ混乱した状態で生きているが、いずれは正しい道へと導いてやるつもりである」と述べる。メフィストはそれを面白がり、ファウストの魂を悪の道へと引きずり込めるかどうかの賭けを持ちかける。主は、「人間は努力するかぎり迷うもの」と答えてその賭けを容認し、かくしてメフィストはファウストを誘惑すべく、地上に下ってゆくのであった。
第一部 [編集]
ファウストが悪魔メフィストと出会い、あの世での魂の服従を交換条件に、現世であらゆる人生の快楽・悲哀を体験させるという約束をする。ファウストは素朴な街娘グレートヒェンと恋をし、子供を身ごもらせる。そして逢瀬の邪魔になる彼女の母親を毒殺し、彼女の兄も決闘の末に殺す。そうして魔女の祭典「ワルプルギスの夜」に参加して帰ってくると、嬰児殺しの罪で逮捕された彼女との悲しい別れが待っていた。
詳細は「ファウスト 第一部」を参照
第二部 [編集]
皇帝に仕えることにしたファウストは、メフィストの助けを借りて経済再建を果たす。その後、絶世の美女ヘレネーと美男パリスを求め、ギリシャ神話の世界へと、人造人間ホムンクルスやメフィストとともに旅立つ。ファウストはヘレネーと結婚し、一男をもうけるが、血気にはやるその息子は死んでしまう。現実世界に帰ってきた後ファウストは皇帝を戦勝に導き、報土をもらう。海を埋め立てる大事業に取り組むが、灰色の女「憂い」によって失明させられる。そうしてメフィストと手下の悪魔が墓穴を掘る音を、民衆のたゆまぬ鋤鍬の音だと勘違いしながら死ぬ。その魂は、かつての恋人グレートヒェンの天上での祈りによって救われる。
詳細は「ファウスト 第二部」を参照
日本語訳 [編集]
『ファウスト』は明治時代、森林太郎(森鴎外)によって初めて日本語に訳された。これは最初の翻訳であるにも拘らず、現在でも評価は高い。岩波文庫版では森林太郎の名のみでゲーテの名はなく、緑帯(現代日本文学)に分類されている。1928年初版である。文庫の赤帯(海外文学)で全2巻出されているのは、ドイツ文学者相良守峯訳である。鴎外訳は、ちくま文庫版「全集11」にもある。
日本語訳書 [編集]
多数の日本語訳版が出版されている。中でも手塚富雄訳の格調の高さには定評があり、読売文学賞を受賞した。
大山定一訳:人文書院版「全集2」と「世界古典文学全集50」、筑摩書房
山下肇訳:「ゲーテ全集 3巻」 潮出版社
高橋義孝訳:新潮文庫全2巻
高橋健二訳:世界文学全集・河出書房新社
手塚富雄訳:中央公論社、中公文庫全3巻でも出された。
柴田翔訳:講談社、新版が講談社文芸文庫全2巻、
池内紀訳:集英社全2巻、新版が集英社文庫ヘリテージ全2巻。
井上正蔵訳:世界文学全集7・集英社
小西悟訳:大月書店
片岡義道訳:近代文芸社
相良守峯訳:岩波文庫 大版も出された。
関連作品 [編集]
『ファウスト』にインスピレーションを得た作品は多数ある。
音楽 [編集]
シャルル・グノーには第1部を基にした同名のオペラ『ファウスト』があり、上演回数も多い。
フランツ・シューベルトを始めとするドイツ・ロマン派の作曲家は、本作品からテキストを選んで歌曲を作曲している。シューベルトでは『糸を紡ぐグレートヒェン』や『トゥーレの王』が名高い。
エクトル・ベルリオーズはフランス語訳を読んで感激し、『ファウストの八つの情景』を若くして作曲、後に独唱・合唱・管弦楽のための劇的物語『ファウストの劫罰』に改作した。
ロベルト・シューマンの『ファウストからの情景』は演奏の機会は少ないがオラトリオ形式の壮麗な曲である。
アッリーゴ・ボーイトのオペラ『メフィストーフェレ』はワーグナーの影響を強く受けたイタリア・オペラの傑作である。
リヒャルト・ワーグナーは20代の頃に『ファウスト』に基づく大規模な交響曲を構想した。これは完成しなかったが、第1楽章に当たる部分のみが独立した作品『ファウスト序曲』として完成された。
フランツ・リストはエクトル・ベルリオーズの勧めで『ファウスト』を読み、『ファウスト交響曲』の楽想を得た。『メフィスト・ワルツ第1番』も有名だが、こちらはレーナウの詩に惹かれてのものである。
グスタフ・マーラーの「交響曲第8番」は『ファウスト』の第2部最終幕からテキストを採っている。
キャメロットの『エピカ』『ザ・ブラック・ヘイロー』は本作を下敷きにした2部作の物語になっている。特に後者は音楽的にも高い評価を世界中で受けた。
酒場でメフィストフェレスが歌った「ノミの歌」が何人かの作曲家によって歌曲とされているが、ムソルグスキーのものがもっとも有名である。
漫画 [編集]
『ファウスト』には、手塚治虫による漫画版が存在する。この作品は1950年に不二書房にて、描き下ろし単行本で刊行された。手塚治虫は大の『ファウスト』フリークで、後に執筆した『百物語』や『ネオ・ファウスト』に、この作品の設定を絡ませている。
『ファウスト(不二書房)』
手塚治虫漫画全集『ファウスト(講談社)』
朝日文庫『ファウスト(朝日新聞社)』
演劇 [編集]
1989年宝塚歌劇団月組が第一部をもとに『天使の微笑・悪魔の涙』というタイトルでミュージカル化した。ただし結末は大幅に改変してある。
映画 [編集]
ファウスト(1926年/ドイツ) - F・W・ムルナウ監督。
悪魔の美しさ La Beauté du diable (1949年/フランス) - ルネ・クレール監督、ジェラール・フィリップ主演。
ファウスト(1994年/チェコ) - ヤン・シュヴァンクマイエル監督。
悪いことしましョ!(2000年/アメリカ) - ハロルド・ライミス監督。
ゲーム [編集]
アニマムンディ 終わりなき闇の舞踏(animamundi darkalchemist) - 2005年に発売されたPC/MAC用ゲームソフト。ファウストやダンテ「神曲」をモチーフにしたBLゲーム。完成度は高く、根強いユーザーに支えられ、英語版を後に発売。
Dies irae -Also sprach Zarathustra- - 2007年に発売されたアダルトゲーム。主人公がマジックウエポン「聖遺物」を使用する際に、この戯曲の一節を詠唱する。さらに敵の首領の称号が「愛すべからざる光(メフィストフェレス)」である。
関連事項 [編集]
アイオロス - 一部・二部双方の冒頭に名前が出てくる風神
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
メフィストフェレス
レーゼドラマ - とくに第二部がそうであるとされる。
バイロン - バイロン卿のクローゼット・ドラマ『マンフレッド』は、ファウスト第一部に影響を受けていると言われている。いっぽう、『マンフレッド』を読んだゲーテはこれを激賞した。また、第二部のオイフォーリンの死に顔は「周知の人に似ている」と書かれているが、この「周知の人」とは、当時ギリシャ独立戦争に参加して死んだバイロンのことである、という。高橋義孝訳の新潮文庫の注釈にはそう書いてある。[1]
アスモデウス - 第二部ニ幕に名が出てくる。
リュンケウス - ずば抜けた視力を持つ。
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