印欧語族の機械論的宇宙と生命論的宇宙に対して・・・
中国や朝鮮や日本や、南北アメリカや、ミクロネシア、ポリネシアなどは・・・
ジャー、シャーマニズム、アニミズム・・・
つまり、太陽と地球と月を、宇宙の主要素として捉えている・・・
薬師三尊は?
日光菩薩(太陽)&薬師如来(地球)&月光菩薩(月)
ドラゴンシステムの構成である・・・
太陽(ひだりめ)、地球(みつめ)、月(みぎめ)
考えていた通りのはず・・・
ひだりに日光、中に薬師、みぎに月光
薬師はみなみをみつめている、北に道とは? 後光である、ヘイローである・・・
太陽、ドラゴン、月
ジャーから、ドラゴン、ブッダへ
ニーナ・シモンは目覚めたトキこそ、ジャーであった・・・
そして、ブッダ(ドラゴン)になった。
ボブ・マーリィもジャーとして目覚め、ボディサトバ、菩薩(ドラゴン)になった・・・
燃えよドラゴン、ドラゴンへの道 - ブルース・リー
ドラゴンシステムでは、ブッダや菩薩に相当するものは、仙人、老師などである・・・
そういう意味からすると、チベット仏教のダライラマ探しは?
ジャー、シャーマン、巫覡などの子供を探すことである。
ダライラマや、クマリである・・・
だから、ヤン・リーピンや、マザーテレサや、ダライラマはお仲間である・・・
巫覡である、シャマンである・・・
預言者とは? シャマンの中でも、とくに、パワーが強い人たちである・・・
神(創造主)の声を聞いて、言葉を告げる人たちである・・・
モーゼ、イエス、ムハンマド、釈迦、、、
つまり、ミュータント・アンドロイドとは? シャマンのことである・・・
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
Tell Me Why
Lyrics someone
Tell me why the stars do shine,
Tell me why the ivy twines,
Tell me why the sky’s so blue.
Then I will tell you just why I love you.
Because something made the stars do shine,
Because something made the ivy twine,
Because something made the sky so blue.
Because something made you, that’s why I love you.
Let’s sing !
2006/10/20
摩訶不思議 ?
詩 あ洋介!&みなみ&燁音
お星さんは、なぜ輝くの ?
つたは、なぜ絡まるの ?
お空は、なぜこんなに青いの ?
教えてくれたら、あんたを好きなわけを言うわ
摩訶不思議が、お星さんを輝かせた
摩訶不思議が、つたを絡ませた
摩訶不思議が、お空をこんなに青くした
摩訶不思議が、あんたを作った。それが好きなわけさ
歌いましょう
左目はアマテラス、みつめ(ティカ)はスサノオ、右目はツクヨム
日光菩薩(みぎめ)、薬師如来(みつめ)、月光菩薩(ひだりめ)
薬師三尊像 【国宝】 白鳳時代
薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏様です。人間にとって死という一番恐ろしいものを招くのが病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気です。応病与薬[おうびょうよやく]の法薬で、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽[ばっくよらく]の仏様。だから人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃるのです。
極楽は西にもあれば東にも
来た[きた](北)道さがせ
皆身[みなみ](南)にぞある
西に阿弥陀様の極楽世界、東にお薬師様の浄瑠璃世界[じょうるりせかい]があります。けれども薬師如来は東方浄瑠璃世界だけが願うべき世界ではなく、西方極楽世界[さいほうごくらくせかい]へ往生したいと願う人には、薬師の名号を聞くことによって極楽世界へ導いてあげますよとおっしゃっています。その人その人にふさわしい浄土を願わし引導して下さいます。
金堂内の白大理石須弥檀[しゅみだん]上に、中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩[にっこうぼさつ]、向かって左に月光菩薩[がっこうぼさつ]がお祀りされています。薬師三尊のおわします内陣は長和4年(1015)に撰述された薬師寺縁起で「瑪瑙[めのう]を以て鬘石となし、瑠璃[るり]を以て地となし之を敷く、黄金を以て縄となし、道を堺し蘇芳[すおう]を以て高欄[こうらん]をつくり紫檀[したん]を以て内陣天井障子となす」とあり、まばゆいばかりの様相でした。まさに浄瑠璃浄土の世界です。
薬師如来台座 【国宝】 白鳳時代
薬師如来が座っておられる台座には、奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框[かまち]にはギリシャの葡萄唐草文様[ぶどうからくさもんよう]、その下にはペルシャの蓮華文様[れんげもんよう]が見られます。各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされています。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされています。正にシルクロードが奈良まで続いていたのです。
薬師寺伽藍図
下の薬師寺伽藍図で各所をクリックしていただく事でも詳細をご覧いただけます。
玄奘三蔵像
玄奘三蔵院の玄奘塔に祀られている玄奘三蔵像は、大川逞一仏師の手によって作成されたものです。右手には筆を、左手には貝葉(インドのお経)を手にしており、天竺からの帰国後、経典の翻訳作業中の玄奘三蔵の姿をモデルにしたものとしています。
リアーナは、アマテラス、同時に、ツクヨムが産まれた
イザナギは、太陽、イザナミは、月
インカ、太陽の子
アマテラス?(左目)
おらはしんじまっただ~~~、シャングリラ、良いとこ、一度はおいで・・・
ツクヨム(右目)
ドラゴンシステムは、ダイナミックシステム、サイエンスとも相性が良い
生き物はすべて、龍の子である・・・
分かる?
天の北極から見て、自転、公転ともに反時計回りである。 太陽、地球、月
陰陽大極
日光菩薩、薬師如来、月光菩薩
アマテラス カヨム(スサノオ) ツクヨム
剣 勾玉 鏡
また、日本語では暦を読むことを月を読む、ツキヨミ(ツクヨミ、月読)と言った。これは古代の暦が太陰暦であったため、月を読むとはすなわち暦を読むことであった。また、暦はカヨミ(日を読むこと)が転じた語彙という説が有力である。
天の川銀河の中心から太陽までの距離は約2万8千
光年である。
地球から太陽までの平均距離は約1億5000万kmである。この平均距離は地球太陽間距離の時間平均と考えても、地球の軌道長半径と考えてもどちらでも差し支えない。なお、正確な値は1億4959万7870 kmで、これを1
天文単位 (AU) と定義する。この距離を光が届くのに要する時間は8.3分であるので、8.3光分とも表せる。
太陽や月の動きをもとに暦をつくったりして、太陽と月は地球にとって大昔から特別な天体でした。
太陽や月についてはどんな天体なのか、もっと見ていきましょう。
太陽
| 太陽系ただひとつの恒星で
高温の気体からできている 黒点…太陽の表面にときどき現れる 紅炎…太陽の表面から高く ふきだしている赤い炎 コロナ…高温の大気の層 |
地球からの距離…約1億5000万km(1天文単位という距離の単位にもなっています) 直径…約140万km(地球の約109倍) 球形で自転している( 黒点の移動を観察するとわかる) |
【例題1】地球の公転軌道が円であるとして、地球が公転軌道上を動く速さを求めよ。 |
単に速さを求める問題です。あつかう数値が大きいので、計算ミスに注意しましょう。
「速さ=距離÷時間」 と、「地球は1年で公転軌道を1周する」ことから求めます。
1年で動いた距離…公転軌道の円周=150000000(km)×2×3.14 円周=直径×円周率
かかった時間…1年=365日=365×24×60×60(秒) 秒速で求めてみます。
速さ=150000000(km)×2×3.14÷365÷24÷60÷60(秒)=29.87…(km/秒)
答えは約30km/秒です。1秒間に30kmとは、意外に速いスピードですね。
月と地球
| 地球 地球の衛星で、表面は多数のクレーターがある。 約1ヶ月で地球を公転する。 |
地球と月の間の距離…約38万km
地球の直径は約1万3000km 月の大きさ(直径)は約3500km …地球の約4分の1(0.27倍) |
地球から太陽までの距離 : 地球から月までの距離 ≒ 400:1 太陽の大きさ(半径または直径) : 月の大きさ(半径または直径) ≒ 400:1 |
このため、地球から見た太陽と月の 見かけの大きさはほとんど同じになります。 よって、月が太陽をかくす日食が起こることがあります。 | |
日食と月食
太陽-月-地球が一直線上にならんだときに日食が起こります。
※皆既日食の起こる地域では月と太陽の見かけの大きさが同じため太陽は月にかくされて見えなくなります。
太陽-地球-月が一直線上にならんだときに月食が起こります。
※月は地球のカゲになってしまいます。
実際は地球の公転面に対して月の公転面は約5°かたむいているので、新月や満月のたびに日食や月食が起こるわけではありません。
---Wiki
西洋 [編集]
古来より月は
太陽と並んで神秘的な意味を付加されてきた。ヨーロッパ文化圏では太陽が金色・黄色で表現されるのに対し、月は銀色・白で表されることが多い。西洋では月が人間を狂気に引き込むと考えられ、
英語で "
lunatic"(ルナティック) とは気が狂っていることを表す。また満月の日に
人狼は人から狼に変身し、
魔女たちは
黒ミサを開くと考えられていた。
神話においては、
ギリシャ神話の月の
女神は元々
セレネであるが、後に
アルテミスや
ヘカテと同一視され、月が満ちて欠けるように3つの顔を持つ女神とされるようになった。
ローマ神話では
ルナがセレネと、
ディアナがアルテミスと同一視されたので、ここでも月神は2つの顔を持つとされた。これらの神々は一般にあまり区別されない。ルナ
Luna の名は
ロマンス語ではそのまま月を表す普通名詞となった。また、英語などではセレネから派生した
selen-,
seleno- という月を表す語根・接頭辞が存在する。元素周期表で
テルル(地球)の真上に位置し、あとから発見された
セレンはこの語根から命名された。
東洋 [編集]
東洋では月は
陰の象徴となり、女性と連関すると考えられていた。故に
月経と呼ばれ、『
竹取物語』では
竹から生まれた絶世の美女
かぐや姫は、月の出身と明かし、月に帰っていった。他に、『
今昔物語集』の天竺部に記されている「三獣、
菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語(こと)」という
説話の結末で、
帝釈天が火の中に飛び込んだ
ウサギを月の中に移したとされており
[6]、日本では月にはウサギが住んでいるという言い伝えがある。
中国の伝説では、月には
桂の木が生えているとされ、
呉剛という男が切ろうとしているとも言われる。また、夫の
羿を裏切った
嫦娥の変じた蝦蟇(
ヒキガエル)が住んでいるともいわれる。そのほか、中国でも月の模様をウサギの姿とする見方がある。また、月の通り道にそって28の
星座を作り、これを「
28宿」と呼び、月は1日にこの星座を1つずつ訪ねて天空を旅していくと考えられていた。
イスラム社会 [編集]
トルコ共和国、
パキスタン、
モルディブ、
マレーシアなどの国では
国旗に
新月(一般的には三日月と認識されることが多い)が描かれている。これらの国では
ムスリムが国民の圧倒的多数を占める、ないし
イスラム教を
国教としているため、新月はイスラム教の意匠であると思われることが多いが誤解である(
偶像崇拝の禁止が定められているため、月の崇拝も禁じられる)。
コンスタンティノープルにおいては古くから新月がシンボルとして用いられており、
オスマン帝国によってイスラム教共通の意匠として広めようと試みられた。今日、月を国旗に採用しているイスラム国家がそれほど多くはないのは、帝国の衰退とともに独立した諸国が、新月を採用しなかったためとされる。
太陰暦である
イスラム暦との関連性を指摘する説もある。
パラオ [編集]
パラオの国旗は、明るい青の上に黄金色の
満月を描いている。シンプルなデザインではあるが、
パラオの人々にとっては特別な意味を含んでいる。黄金色の月は、パラオ人の機が熟し独立国となったことを表し、また月はパラオの人々にとって
収穫や、自然の循環、年中行事に重要な役割を果たしている。
一説には日本による統治時代を評価し、日本国旗である日の丸を模したとも言われるが、パラオ政府の公式アナウンスはないため噂の範疇を出ない。
日本国内 [編集]
神話 [編集]
月見 [編集]
主に秋、月を愛でる行事。代表的なものとして、中秋の名月・十五夜がある。なお中秋の名月は満月とは限らない。
旧暦8月(
グレゴリオ暦9月ごろ)は乾燥して月が鮮やかに見え、また月の昇る高さもほどよく、気候的にも快適なため観月に良い時節とされた。
季語としての月 [編集]
俳句の世界で単に「月」と言った場合、それは秋の月。月は、
春の
花に対して、
秋の
季語である。「木の間よりもりくる月のかげ見れば心づくしの秋は来にけり」
よみ人しらず(『
古今和歌集』)、「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」
大江千里(同)など、秋の月を賞し、月に物思うこころは古くから歌に作られている。
- 秋もはやはらつく雨に月の形(なり) 松尾芭蕉
- 月天心貧しき町を通りけり 与謝蕪村
- 上弦
- 下弦(かげん・げげん)
- 弓張月(片割月・弦月・半月)
- 月の舟
- 月の弓
- 上り月
- 下り月(降り月・望くだり)
- 有明(有明月)
- 朝月(朝月夜(あさづくよ))
占星術 [編集]
その他 [編集]
月の模様 [編集]
日本では、月の海をウサギが
餅つきをしている姿に見立てることがある。古代中国でも月の模様をウサギの姿とする見方があり、月のことを玉兎(ぎょくと)と呼ぶ。月とウサギとの由来はインド仏教説話集
ジャータカからとされる。西洋においては、月の模様をカニの姿や編み物をする老婦人とみたものがある。また、
ネイティブアメリカン(インディアン)には、月の模様を女性の顔と見る慣習がある。
月を見ることに関する伝承 [編集]
北欧において「妊娠した女性は月を見てはいけない」、あるいは「イヌイットの娘は月を見ると妊娠するから月を見ない」、アイスランドにおいて「子供が精神障害になるから妊婦が月に顔を向けてはいけない」など女性が月を見ることを禁忌とした伝承はいくつかある。
俗説 [編集]
現代においても、月齢が、人間の生理的、精神的な事象(例えば出産や、自殺、殺人、交通事故の起こりやすさ等)に影響を及ぼしているという俗説、または
都市伝説があるが、学術的には認められているものではない。
天皇家は?
神代と天皇の発祥 [編集]
皇室の系図は、『
古事記』・『
日本書紀』
を始めとする史書に基づいて作られ、その起源は神武天皇元年(
紀元前660年)に即位した
神武天皇、さらにはその始祖である
天照大御神に始まるとされている。
明治政府から戦時中までの日本では史書の記述を真実の歴史とする
考えが支配的であり、
国定教科書では神武天皇元年を紀元元年とする紀年法(
神武天皇紀元(皇紀))が採られていた。しかし、『日本書紀』は
天武天皇の
勅命により編纂されたものであり、
歴史学的に証明の難しい
神話・
伝説などを多く含んでいて、皇室の祖先にまつわる伝承や事績、
および初期の天皇の存在について、
その実在性を疑問視されることが多い。特に
欠史八代の天皇につい
ては、古代
中国の
革命思想(
讖緯説)
に則って皇室の歴史を水増ししたのではないかと指摘する学説が現
在では主流となっている。一方で実在説もあり、
未だ決着を見ていない。歴史学的に証明できる皇室の起源は、
ヤマト王権の支配者・
治天下大王(大王)が統治していた
古墳時代あた
りまでである。
3世紀中葉以降に見られる
前方後円墳の登場は
日本列島における統
一的な政権の成立を示唆しており、
この時に成立した王朝が皇室の祖先だとする説や、
弥生時代の近畿
地方にあった場合の
邪馬台国の
卑弥呼の系統を皇室の祖先とする説
、皇室祖先の王朝は
4世紀に成立したとする説、
など多くの説が提出されており定まっていない。
古代の天皇 [編集]
倭の五王 [編集]
中国の史書における倭王の最古の記述は、
南北朝時代の
劉宋王朝に
朝貢した「
倭」の王たちである。中国の史書『
宋書』夷蛮伝・
倭国条(倭国伝)には、
5世紀に冊封された
倭の五王(讃・珍・
済・興・武)についての記述が残っている。これら五王を
仁徳天皇・
履中天皇から
雄略天皇までの天皇に比定する諸説がある。
これら五王は、
朝貢の見返りに、中国王朝から「
倭国王」
に封じられ、またしばしば安東将軍または安東大将軍に任じられて
朝鮮半島における軍事的権威も付与されて、
対外的にはこれらの称号を名乗っていたと推定される。
国内向けの王号としては、
熊本県と
埼玉県の
古墳から出土した
鉄剣・鉄刀銘文に「治天下獲加多支鹵大王」「獲加多支鹵大王」
とあり(通説では獲加多支鹵大王はワカタケルで雄略天皇の和風
諡号とする)、「治
天下大王」または「
大王」
が用いられていたと考えられている。
「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠くにも及ぶようになりました。
わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。自分は愚かな者でありますが、かたじけなくも先代の志をつぎ、統率する国民を駈りひきい、天下の中心である中国に帰一し、道を百済にとって朝貢すべく船をととのえました。
ところが、高句麗は無道にも百済の征服をはかり、辺境をかすめおかし、殺戮をやめません。そのために朝貢はとどこおって良風に船を進めることができず、使者は道を進めても、かならずしも目的を達しないのであります。
わが亡父の済王は、かたきの高句麗が倭の中国に通じる道を閉じふさぐのを憤り、百万の兵士はこの正義に感激して、まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。しかるにちょうどその時、にわかに父兄を失い、せっかくの好機をむだにしてしまいました。そして喪のために軍を動かすことができず、けっきょく、しばらくのあいだ休息して、高句麗の勢いをくじかないままであります。いまとなっては、武備をととのえ父兄の遺志を果たそうと思います。正義の勇士としていさをたてるべく、眼前に白刃をうけるとも、ひるむところではありません。
もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。みずから開府儀同三司の官をなのり、わが諸将にもそれぞれ称号をたまわって、忠誠をはげみたいと思います。」[13]
この頃までの代々の天皇の出自や系統については、
記紀の記述通り
の「
万世一系」ではなく、
倭国内各地の有力豪族の間での、
複雑な権力移動が裏にあったのではないかという説もある。
例えば、
雄略天皇の子の
清寧天皇には後嗣がなく、
履中天皇の孫で
ある
仁賢天皇・
顕宗天皇が王位を継いだとされているが、
実際は王位
簒奪ではなかったかとの説もあり、
またこれらの君主の実在を疑う説も否定されない。
また、仁賢天皇の子の
武烈天皇も跡継ぎがなく、
応神天皇の5世孫
とされる
継体天皇が王位に就いているが、
これにより仁徳天皇の血統が途絶えていることから、
王朝交代があったとする説もある。
しかし、実際にどのような経緯があったかについては、依拠しうる史料が中国史書を除けばはるか後代に編纂された『日本書紀』などに限られているため、前述の各説には異論もある。当時は、一つの血統が倭国王位を継いだのではなく、複数の有力な豪族たちの間で倭国王位が継承されたとする考え(連合王権説)も見られる。
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