日本国の社会自体がサイコパス化しているのかも?
憲法違反を犯して、世間体を守ろうとする。
国を守るといいながら、実際は、自身のお家を守っている。
やはり、国家という語は使用すべきでない。
国と家を分けるべき、区別すべき。
国と述べるときは、公の立場で、家と述べるときは、私の立場で・・・
これはキーポイントかもしれない。
国と、家を分離して、公私の区別をつける・・・
公私混同の日本人の頭を治すには、これが近道だと思う・・・
加えて、5W1Hを明確化することも重要・・・
皇国史観には、5W1Hが抜けている。
いにしえに回帰すれば、人口は300万程度になってしまうだろう・・・
このような先進国と思えない思想を主張することこそ、サイコパスの証拠である。
グローバルに対応するには、時制と、法を明確に認識しなければならない。
ある意味で、精神疾患と言えいる。もしかしたら、敗戦のショック、マッカーサーの上陸で、PTSDを罹患しているのかもしれない。
http://profiler.hp.infoseek.co.jp/p.htm
サイコパス(精神病質者)は、「異常だが病気ではではない」。
現在、サイコパス(=ソシオパス)という言葉はDSM-Ⅳ(アメリカ精神医学会の分類マニュアル)等からも削除されて、「反社会性人格障害(APD)」という名称に変更・統一されている。「異常だが病気ではない」ということは、刑罰を課する際には、サイコパスであるかどうかによって量刑が影響を受けることはないということだ。実際に、バンディやゲーシー、大久保清はあきらかにサイコパスだが死刑になっている(アメリカでは連邦最高裁の判例で精神障害者は死刑にできない)。大阪で8人の児童を殺害した宅間守も間違いなく死刑になるだろう。
サイコパスの特徴は、極端に自己中心的で、自分の行動に責任を持たず、他人を操る術に長じ、慢性的な嘘つきで、しかも全く反省しない(定義は本ページの最下部参照)。
「羊達の沈黙」でレクター博士(A.ホプキンス)は「サイコパス」として描かれているが、サイコパス=連続殺人犯、ではない。サイコパスはおよそ人口の1%程度おり、人口2.5億人のアメリカであれば250万人はいることになる。たしかにサイコパスは反社会的な行動をとるために危険だとは言えるが、殺人を犯すのはそのごく一部に過ぎない。
しかし、精神分裂病などの精神障害者は健常者より犯罪率が低いが、サイコパスは重大犯罪を犯す確率が極めて高い。サイコパスは、 ある学者の指摘によれば「凶悪犯の50%を占め、しかも再犯率が通常人の3倍」だという(Robert D Hare:Without Conscience:1993)。
サイコパスは中年を過ぎると数が劇的に減少、または症状が軽減していくのが普通であり、これは精神科医の治療とは関係がないようだ。
サイコパスの発生原因は分かっていない。また、いったん青年期に入るとほぼ治癒が不可能であることが経験的に明らかになっている。学者の意見を総合すると、遺伝的要因と幼少期の環境が両輪になっているという結論になる。
サイコパスの幼少期の特徴としては、慢性的嘘つき、人をだます、窃盗癖、火遊び、不登校、破壊行為、集団の秩序を乱す、家出、弱い者いじめ、性的早熟、などが見られる。こうした行動はどんな子供にも当てはまるが、サイコパスの場合、程度が深刻で長期間続く。
「良心を全く感じない」というのは脳の前頭葉に何らかの障害があると考えるべきで、可能性が高いのはホルモンの異常だろう。先天的・後天的なホルモン異常に、幼少期の虐待やトラウマが重なり、さらに生育環境が劣悪である場合にサイコパスが生まれやすくなるといえる。
治療法は現在のところ存在しない。電気ショック、薬物投与、グループセラピーなどほとんど全てに効果がないことが証明されている。そして、そもそも問題なのは、サイコパスが「病気」ではないことだ。サイコパスは、「異常だが病気ではない」のだ。患者本人な治療の必要を感じておらず、サイコパスのまま実業家・政治家・音楽家として成功している人間は数知れない。
つまり、「異常」とは何かという哲学的・形而上学的な問題にまで話が及んでしまう。攻撃的で厚顔無恥な人格はウォール街や学界ではむしろ好ましい性質だとも言える。できることといえば、危険な暴力犯罪を犯したサイコパスに薬物、例えば合成ステロイドの一種MPA(メドキシプロゲステロン・アセテート)を飲ませて暴力的衝動を抑える事くらいだろう。MPAを飲むと、勃起・オーガズム・攻撃衝動が抑制される。
心理療法の基本的立場は、心理的に痛みを伴う問題(例:不安・憂鬱・自己イメージの低さ・内気・強迫観念・強迫行動など)について、患者が助けを必要とし、かつ助けを希望していることが大前提になっている。患者は問題を認識し、解決策を考えなければならないが、サイコパスは自らに問題があるとは考えず自分を改めようとはしない。
サイコパスは、精神分裂病の患者などと違って、自らの行動を理性的に把握している点で心神喪失による刑の減免は原則として認めるべきではないし、実際にそのように法は運用されている。妄想や幻覚を見ているわけでもなく、主観的な悩みを抱えているわけではない。自分の行動を理性的に把握しており、行動は選択の結果である。
歴史上初めてサイコパスについて書いたのは19世紀フランスの精神科医世紀フランスの精神科医フィリップ・ピネルだった。ピネルは「譫妄なき狂気」という言葉を使って、良心や自制心が全くない行動パターンを説明しようとした。ピネルはサイコパスが「病人」だと考えたが、単なる「悪魔」であるという考えも多く、 「病人か悪魔か」という論争は、現在にいたるまで解決の糸口すら見出せないまま、連綿と継いている。
サイコパスと全く同じ症状を指して「ソシオパス(社会病質者)」という言葉が使用されていた時期があるが、現在アメリカ精神医学会はこの言葉を使用しないことにしている。また、DSM-ⅢR(1987)からは、「反社会性人格障害(APD)」と定義されるようになった。
ソシオパスという言葉が使われていたのは、「精神病」の響きがないからで、サイコパスが厳密に言って病気でない以上、psycho=精神、path=病理、という言葉は本来適切ではなかった。(私見では「人格障害」という訳語も不適切で「性格障害」とすべき。誰がPersonalityを「人格」と訳したのかは知らないが、これでは患者の人間性に問題があるように響く)
サイコパスとソシオパス、どちらの用語を選ぶかは、精神異常の内容と原因を診断者がどう考えているかによる。この臨床的症候群が社会の影響や幼年期の経験に由来すると考える学者(社会学者・犯罪学者)は、ソシオパスという言葉を使う。一方、心理学・生物学的・遺伝学的な要因も原因の一つと考える学者は、サイコパスと呼ぶ。だから、誰が診断するかによって診断名が異なることがある。
精神科医・心理学者の診断は、基本的に患者との面接やテストに基づいており、患者が俳優なみの演技力をもって嘘をついた場合、優秀な学者と言えどもだまされる事がある。実際のところ、犯人が狂っているとか、錯乱していたとか、精神病であるかという科学的・客観的証拠は何もない。
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