イタリアに行ったトキ、フィレンツェで宿泊した安宿
メディチ家に縁があるといううわさ・・・ 天井に絵が描いてあった・・・
メディチ家の紋章ではなかったのかもしれないが、ユリの花が描いてあったのかも
忘れた、なんとなくのイメージが頭の片隅に残っている
そして、宿の中庭は小さなカフェになっていた・・・
http://rb.e-royce.com/archives/2007/09/post_267.html
2007年09月05日
フィレンツェ探訪 第1回 文化の花咲く町・フィレンツェ
先日、イタリア中部の町フィレンツェを訪問しましたので、その様子をご紹介していきたいと思います。
小学館「伊和中辞典」を引くと、フィレンツェは別名Citta del fiore、つまり「花の都」とも呼ばれるとあります。古代ローマ時代につくられたこの町は、ローマ神話の花の女神フローラの名前を取って「フロレンティア」と呼ばれました。これが現在の町の名前の由来となったということです。
どこを歩いても中世そのままの街並みが続くフィレンツェ中心部
フィレンツェは古代からの長い歴史を持つ町ですが、中でも最も華々しく輝く時代がルネサンスのころです。14世紀から16世紀にかけて、イタリアから全ヨーロッパに広がっていったルネサンスの中心地の一つがフィレンツェだったのです。ちょうどこのころフィレンツェの町にはメディチ家という銀行業で財を成した一族が実権を握り、彼らの下に多くの芸術家や建築家たちがやって来て、素晴らしい作品を残しました。
フィレンツェ市の市章は百合の紋章ですが、これはもともとメディチ家の紋章だったものです。財政難に陥ったフランス王家を助けたことで、フランス王室の紋章である百合の紋章を使うことを許されたのだといいます。上の写真は街路灯のメーター?のふたについていたもの。
メディチ家がメディシンの語源、つまり、薬、医学・・・
だったような気がするが・・・
やはり、そうだった・・・
キョーリン製薬のロゴは、アンプルが三本
これに変わったようだ、なるほど、柔軟仕上げ、笑い
---Wiki
メディチ家の起源 [編集]
「メディチ」は「薬」という意味であり、先祖は薬種問屋か医師であったのではないかとされており、13世紀のフィレンツェ政府の評議会議員の記録に既にメディチの名前が残されているが、それ以前の経歴や一族の出自に付いてはあまり明らかにされていない。メディチの紋章(金地に数個の赤い球を配する)の由来については、2つの説がある。ひとつは、「メディチ」(Medici)の家名そのものが示すように、彼らの祖先は医師(単数medico/複数medici)ないし薬種商であり、赤い球は丸薬、あるいは吸い玉(血を吸いだすために用いる丸いガラス玉)を表しているという説である。もうひとつは、メディチ家をフィレンツェ随一の大富豪にした当の職業、すなわち銀行業(
両替商)にちなんで、貨幣、あるいは両替商の秤の分銅を表しているという説である。
[1] 銀行業を始める前は、薬品の一種である
ミョウバンを商って栄えていた。いずれにしろ、一族に多いコジモの名は、医師と薬剤師の守護聖人、聖コスマスに由来している。
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