応挙は図=デザイン
俺は絵=ソウル
あうんの唐獅子
あ、うん、の間にいるのが「しょうはく」
獅子でさえ、しょうはくの魂に怯えた
そういう風にしか見えない
世の中を素直に見るのは偽善者である
世の中をまっすぐ見るのは悪人である
世の中を裏から見るのが悪党である
同じ世界
善人、なおもて往生をとぐ、いわんや、悪人をや - 親鸞
しょうはくと親鸞は似ている
親鸞は破壊僧だった、つまり、宗教改革者だった
マーチン・ルターのお仲間
AO
ダルマでさえ、しょうはくを見ると、不安げになる
そういう絵を描いている
しょうはくがどんな人か知らない
描いている姿が見える
もしかしたら、この顔だったら、これはすごいぞ・・・
光も影も光である - 観阿弥・世阿弥
最後は、止水鏡明
鏡よ、鏡よ、鏡さん・・・
あなたは、だあれ? - Dr.鏡
---Wiki
蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。江戸時代の画史においてすでに「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた蕭白の絵は、仙人、唐獅子、中国の故事など伝統的な画題を、同じく正統的な
水墨画技法で描いていながら、その画題を醜悪、剽軽に描き出すなど表現は型破りで破天荒なものであり、見る者の神経を逆撫でするような強い印象を与えずにはおかない。
当時、蕭白の作品は、同時代の
円山応挙や池大雅、
与謝蕪村ほどではないにしろ、一般の人々に受け入れられていた。蕭白の贋作が多いのは、贋作者のモチベーションを刺激しただけでなく、それだけ蕭白の人気が高かった裏付けともいえる。明治時代以降は評価が低かったが、1970年頃『美術手帖』誌で連載された
辻惟雄の「奇想の系譜」で取り上げられたこと等がきっかけとなり、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な画家として近年再注目されている。
また、
横尾忠則の作品には蕭白の作品を下敷きにして描かれたものもある。『群仙図』から触発されて『消された記憶』、『雪山童子図』からは『二河白道図』などが制作されている。
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