ガムランが雨のバリ島なら
バーニングマンは逆、タフ、ワイルドアート
毎日、砂嵐・・・
すげえ~~~
マニラで、バーンと言って遊んでいたが、笑い
超ド級キャンプファイヤー、1週間?
何にもないとは? 自由を意味する - ニーナ・シモン
じゆうといきていることをかんじる
イルカの調査にくわえて、シャーク湾についても調査した。オーストラリアの乾燥地帯のとげがある低木の光景や匂いと、そこから聞こえる鳥の声や湾の水の輝きに少しずつ慣れ、他の惑星からやって来た異星人のような感覚が薄らいで、風景の形や色が心の目に焼きついた。
シャーク湾は広さが約二万二千平方キロで、相当に広くて半分くらいが海だ。おおざっぱな地図で見ると、南回帰線の直下に電気の不正パルスのように横たわっている。湾の東側にオーストラリア大陸があって、西側はエーデルランド半島、バーニア島、ダーク・ハートグ島、ドーレ島からなる列島にさえぎられている。モンキー・マイアはペロン半島の大陸側の海岸にあって、デナムがその反対側の海岸にある。ときにはイルカの観察から離れて湾内を探索しようと、キャンプをするのに欠かせない物だけをボートに積み込み、二、三日かけて未踏の地へ行った。このときの探索は感動的で、私の記憶の中でもっとも光彩を放っている。シャーク湾の自然の驚異を初めてかいま見て、イルカだけではなく、シャーク湾自体も私を魅了していることに気づいた。
モンキー・マイアの浅瀬で、イルカと共に出会ったふたりの女性、デビー・グラスゴーとニッキー・フライヤーが同行した。ふたりともイルカと親密な関係になっていて、イルカの振る舞いを敏感に見ていた。ニッキーはスピリチュアル系のまじめな学生で、インドのアシュラムとモンキー・マイアを行き来していた。細身で優しく、髪の毛は茶色で、恥ずかしそうに笑うことが多かった。彼女は精神的な指導者から信念を伝えられていた。私にはその信念が受け入れられないこともあったが、人生の意味を追求する彼女の誠実さは評価できた。私たちはイルカのニッキーと区別するために彼女を
「人間ニッキー」
と呼んだ。
デビーはダンサーであり、アーティストでもあった。長い髪を三つ編みにして、背中にたらすか風になびかすかしていた。彼女にはきらめきと活気があり、楽しいことが好きな性格でクリエイティブだった。人間ニッキーとデビーはモンキー・マイアに長期間滞在した。イルカのそばで過ごすために、たまに見つかる片手間仕事をして生活を切り詰め、私たちの研究をたびたび手伝った。
私たちはモンキー・マイアを後にして、ペロン半島の海岸棚に沿って、ボートを北へ向けた。ローズ岬を過ぎて、ホエール・バイトへ入ったが、そこは不慣れな海域だった。グッチェンノールト・ポイントへ向けてさらに北上した。ペロン半島の先端がモンキー・マイアからはるか彼方の水平線上に揺らめいて見える。ペロン半島はグッチェンノールトよりもかなり先にある。
天気はかんぺきだった。日が照って、風は穏やかで、雲が水平線上にたなびいている。女人禁制と言えるような未踏の地なので、少しばかりナーバスになっていた。岸から離れていない棚の縁は安全に見えたが、島や岩礁がない開放水域のヘラルド・バイトを横切るときは不安だった。
デビーは前を向いて静かにへさきに座っていて、三つ編みの髪が風の中で後ろへたなびいていた。ニッキーは時々硬い笑いをして、エンジンの単調な音を聞きながら、個人的な夢想を楽しんでいた。私はボートを波間に入れて、水に濡れないようにと、船べりから立ち昇る水しぶきを払ったが、水に濡れるのは避けられなかった。三人とも興奮していたが、互いに何も話さなくても、冒険を共に楽しむ友情を感じていた。
私たちはヘラルド・バイトとペロン・ポイントの中間点の魅力的な砂浜に停泊した。そこは浅瀬が続いていて、岸から四百メーターの地点で錨を下ろして、荷物を抱えて浜辺まで歩いた。苦労のかいあって、夜のキャンプには絶好の地だった。風は凪いでいて、大きな灰色の雲が点々と浮かんでいる。成層圏へ向かってそびえ立つ雲もある。積乱雲なので雨が降り、夜は湿気に包まれそうだ。岸から離れたところに留めたボートが気がかりだった。ボートは文明の地へ戻る命綱なので、錨が効かずに朝になってボートが消えていたら大ごとだ。
腕一杯に荷物を抱えて砂浜に立つと、砂浜に大きなホラガイが突き出ていた。ピンクがかったオレンジ色をしていて、傷もなくて美しい。貝殻は浜辺へ打ち上げられるころまでには砕け散ってしまうのが普通なので、このホラガイは幸運だったのだろう。私にはこのホラガイが吉兆に見えた。
テントを張り、かまどを作って、キャンプを設営した。背後の赤いがけを登って景色をながめた。がけには山羊が残したたくさんの痕跡があった。角がついた山羊の頭蓋骨が、原型を留めたままで赤土の上に残っていて、山羊の足跡が侵食されたがけの側面を海へ向かって交錯している。野生化した山羊はのどが渇いたときに、海の水を飲むのだろうか。カンムリヅルとスズドリの鳴き声や、打ち寄せる波のゆったりしたリズミカルな音が聞こえてくる。がけの頂上では、片側からはシャーク湾を数キロほど見渡せる。もう片側からはペロン半島の景色が見える。綿のような雲と、あちこちで光るオレンジの稲妻が海面に反射している。長くて優美な雨のアーチが雲から水面へと連なり、水平線に沿って弧を描いている。
夜になる前にひと泳ぎした。他人の魂にはめったに入り込めないが、海には簡単に入れる。服を脱いで裸で海へ入った。
「ぴちぴち、チャプチャプ、ぴちぴち、チャプチャプ、ざ、ざ、ざっ~~~~~~」
と雨が降り始めた。
雨がいつ上がるか予測はできないが、激しくは降っていない。久しぶりにきれいな水を浴びた。めったにない素晴らしい雨のもてなしだった。私は浅瀬で踊って、自由と生を感じた。このときからずっと、自由の感覚と生の感覚を持ち続けている。
---Wiki
バーニング・マン(
Burning Man)とは、
アメリカ合衆国ネバダ州リノ市から約150km(90マイル)北北東に位置するブラックロック
沙漠において、年に一度、8日間に渡って開催される大規模なイベントをいう。 干上がった湖であり、堆積した泥が乾きひび割れた「プラーヤ」(Playa)と呼ばれる土地に面積4.5平方km、周囲7.5kmという広大な会場が設営され、その参加者数は
2008年には49,599人であったと発表されている。 「バーニング・マン」という名称は、会場の中心に設置された巨大な人型の木像「ザ・マン」(The Man)に土曜日の夜、火を放つ(burn) ことに由来する。
このイベントは、例年8月の最終月曜日に始まり、9月の第一月曜日(米国の祝日「Labor Day」)まで続く。 期間中、会場は地形的に外部とほぼ遮断されることとなり、そこで構築される独自の実験的な地域社会は、自らを架空の都市「ブラックロック市(Black Rock City, BRC)」であると名乗っている。 BRCの市民たる各参加者は、任意の場所に設営した
テントや
キャンピングカーを自らの家とし、そこで新しい隣人たちと出会い、友人を作り、交遊し、彼らと助け合いつつ過酷な自然環境下で一週間を生き抜く。 そのために必要となる水、食料、衣類、住居は、自らの責任において事前に準備することが求められる。 また、貨幣経済や商行為は禁止とされており、見返りを求めない'贈り物'と'親切さ'とで共同体を成立させている。(Give & Give精神) 物々交換や物とサービスの交換も行われてはいるが、「等価」での交換が難しいことから推奨はされない。
BRC市内には、参加者の手で大小多数のアートインスタレーションが設置され、
サーカス、
レイブパーティ、酒場、
ヨガ、
ボディペインティング、
ウエイトトレーニング、
舞踊、
瞑想、
天体観測、
彫刻、音楽演奏、ディスカッション、
ワークショップ、
演劇、ファイアーダンス、パン焼き教室、
トランポリン、
大道芸、
仮装、集団パフォーマンス、ローラーディスコ、自転車修理/改造、
セスナ機での遊覧飛行、など、自由な発想から生まれる多種多様な活動が、会場の至るところで実行されている。 一方で、新聞の発行やFM放送局の開設、診療所など、この一時的な共同体の構成員全体に貢献するような活動もまた、ボランティアによって行われている。また「ブラックロック・レンジャー」と呼ばれるグループは、事前に講習を受けた上で、様々なトラブルの解決にあたっている。 これらの活動に積極的に参加し、人の輪の中に入っていくこと、あるいはユニークな活動を企画し実行していくことが奨励され、自分では何もせず、物見遊山の観客であろうとする態度は恥ずべきこととされている。(No Spectators)
1986年に
サンフランシスコのベイカー・ビーチにて、ラリー・ハーヴィーという人物が恋人とのイザコザの憂さ晴らしのため2.4mの木製の人形を作って燃やしたことが最初のきっかけだった。「木製の人形を燃やす」という行為は西海岸を中心としたアンダーグラウンド・アートシーンの興味を集め、次第に多くのアーティストがベイカー・ビーチに集まるようになった。
イベントの規模が拡大するにしたがい燃やす人形も巨大化し、ベイカーズ・ビーチでの点火が不可能となったため、
1990年より会場をネバダ州のブラックロック沙漠(Black Rock Desert)に変更。東京23区よりも広い沙漠を会場として得たことで、さらに大がかりなイベントとなっていった。
1990年代初頭はまだ「知る人ぞ知る」イベントであった。しかし1990年代半ばから始まるインターネットの普及により、世界中で数多くのWEBサイトが作られ、爆発的に参加者が増えることとなる。
現在の参加者は5万人弱。期間中のBlack Rock Cityはネバダ州で3番目に大きな人口を持つといわれる。
毎年テーマがあり
2010年のテーマは「METROPOLIS: THE LIFE OF CITIES」
用語解説 [編集]
- ザ・マン:バーニング・マン像(Burning Man statue)。会場の中心にそびえるイベントの象徴であり、大団円で燃やされる木製の像。約15mの高さがある。夜間はネオン菅で輝き、目印のない砂漠で灯台の役目を果たす。
- ブラックロック沙漠:ネバダ州にある広大な沙漠。表層は砂地ではなく、Playa(プラーヤ)と呼ばれる太古の湖底でアルカリ塩の乾いた灰色の大地である。
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