たとえば、ストレンジャー・ザン・パラダイス@マニラ、Leon Guinto
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ジム・ジャームッシュ監督、ジョン・ルーリー主演、84年 西ドイツ=アメリカ合作映画である。
'93年2月に京都みなみ会館で観て以来だから、なんと17年ぶりの再見だ。
ストーリーはこんな感じ
主人公はウィリー、ニューヨークの場末の町に住み、競馬やいかさまポーカーで生活費を稼ぐ無職者である。
ある日、クリーブランドに住むおばから電話がかかってきて
「ハンガリーからお前のいとこのエバ(女)が私を訪ねて来るが、10日ほど留守にするから私が帰るまでお前のところで預かってくれないか」
と頼まれる。
しぶしぶ承諾するウィリー。
こうしてしばらく一緒に生活した後、エバはクリーブランドに去って行く。
一年後、ウィリーは友人のエディといかさまポーカーで稼いだ金を手に、エバを訪ねてクリーブランドに向かうことを思いつく。
クリーブランドの叔母のところで、ウィリー、エディ、エバの三人はテレビを見たり映画を見に行ったり、トランプをしたりして過ごす。
そして又もウィリーの思いつきで、三人はフロリダに向かう。
たったこれだけの話しなのにこの映画にはとてつもなく惹きつけられ、愛しい気持ちにさせられる。
思うにそれは、人と人とが同じ場所で同じ時を過ごすということのかけがえなさ、暖かさをあますところなく描いているからだろう。
映画の冒頭、ニューヨークで過ごすエバとウィリーの生活が30分近く描かれる。
といってもそこに映し出されるのはウィリーの安アパートで一緒にテレビを見たり、おしゃべりしたり、ぼけっとしたりといった僕らの日常と殆ど変わらない光景だけなのである。
せっかくハンガリーから来たんだから、どこか観光スポットに案内してやれよ!と思わず突っ込みたくなるほどだ。
しかし、それがなんと豊かで、暖かい微笑を誘われ、やがてほんの少し悲しい気分にさせられることだろう。
映画とはこれだけの素材で十分なのだ、と確信させられる。
他人には何の関心もなかったであろうウィリーに、会ったばかりのいとこだが、一緒に暮らす内に少しずつ親密感が湧いてくる様子の説得力
10日が過ぎ叔母の待つクリーブランドに去っていくエバを見送る場面までくると、見ている僕らもウィリーと一緒に名残惜しい気持ちになっている。
ここまでエバはウィリーにどんな感情を持っているのかはっきり分かるようには描かれていないので、クリーブランドに訪ねて行ったウィリーをエバがどんな表情で迎えるのか?
注目して見守ることになるのだ。
果たして、エバの働くホットドッグ屋にこっそり会いに行ったウィリーとエディに、エバがどんな表情を見せるかは、まだ観たことのない人のために内緒にしておこう。
生きてこの世にあるだけで、なんて幸せなことなんだと思わせてくれる映画である。
そして、ダウン・バイ・ロー
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DJの仕事を転々として女に愛想をつかされるザック(トム・ウェイツ)と、ビッグになる夢を見続けるしがないポン引きのジャック(ジョン・ルーリー)。おいしすぎる話にマンマとのっかり、ものの見事にハメられて刑務所送りになる。「どうせあがいたって何も変わらないさ」と思っているであろう2人は、運命に流されっぱなしの、ジム・ジャームッシュ作品には欠かせないいつもの脱力系キャラだ。
その2人に対して、刑務所の牢屋で同部屋となる謎のイタリア人ロベルト・ベリーニは、あきらかに異質だ。愛嬌のあるベビーフェイスによく通る声。英語の手引き帳を持ち歩き、何とかアメリカ文化に馴染もうと、あくまでも人生には前向きだ。アメリカ社会の澱の中にどっぷり沈みこみ、すっかり生気を失っているジャックとザックとは大違いである。
まんまと脱獄に成功したものの、沼地をさまようハメになる3人。人生に目的のないジャックとザックは、ケンカ別れして別々の方向に歩き出すが、結局は元の場所に戻って来てしまう。唯一ロベルトだけが、沼地の近くに立つレストランで一生の伴侶(ニコレッタ・ブラスキ)を見つけて腰を落ち着ける。翌朝レストランを旅立ったジャックとザックはY字路にさしかかり、再び別々の方向に歩きはじめるが、結局は元の場所に戻って来るにちがいない。
そして、ブリトニー
♪とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ご用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります
ちょいと通してくだしゃんせ
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ
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